廃仏毀釈 ――寺院・仏像破壊の真実 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480074072

作品紹介・あらすじ

明治の神道国教化により起こり、「寺院・仏像を破壊する熱狂的民衆」というイメージが流布する廃仏毀釈。実際はどんなものだったのか。各地の記録から読みとく。

感想・レビュー・書評

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  • 廃仏毀釈とはどういう運動だったのか、ざっくり知ることができる新書。

    まず冒頭で、日本では、仏教伝来後、仏教と日本の神々が両立し、混淆していた状況を紹介する。廃仏毀釈の際、薩摩、大隅、日向では、4000余りあった神社の御神体で神仏混淆ではなかったのはわずかに1社だけだったという。どちらかといえば、超絶に論理的な仏教が神道を飲み込んでいったということなのかもしれないが、もともと日本は、かなりカオスで、大らかな宗教状態が続いていたようだ。

    具体的な毀釈の例も数々紹介される。それらを読むと、全国的によく知られた神社の多くが、元々は仏像を神の本地として祀っていたり、そもそも権現を祀る寺だったものが神社に宗旨替えしたりしていることに驚かされる。つまり、今のように、一目で神社、お寺と区別できる状況はわりかし最近のことなのだ。
    はるか昔に創建されたお社と思い込み、その歴史を肌で味わいつつ参詣していたつもりが、その実つい最近までその神社は寺だったということもあり得る。本書で紹介されている神社について、HPの来歴を見ても、当然のことながら、かつての御神体は別でしたとか、廃仏毀釈で改称しましたという説明はなかった。

    さらに本書では、こうした神仏混淆が進んだ日本独自の神格である蔵王権現と牛頭天王が廃仏毀釈で受けた影響を紹介していく。本書を読み、そういえばと気がついたことがある。地元の近くに少し変わった名称の神社があるのだ。よく調べてみると、牛頭天王にゆかりの名称ながら、祭神はスサノオとなっていた。HPもなく、社の由来も何もわからないが、かつては牛頭天王を祀っていたものが、廃仏毀釈の波で、祇園祭と同じく、スサノオに置き換えられたのかとも想像してしまう。

    廃仏毀釈については、当の神社が語りたがらないため、よくわからないことが多い。僧侶の中にもあっさりと宗旨替えをして、率先してして破壊に手を染めた者もいる。昭和の歴史を見るまでもなく、またコロナ禍の政治家の対応を見るまでもなく、日本人は過去の歴史を省みたり、それを活かしたりすることが得手ではない。自戒を込めつつ、参詣する寺社の歴史くらいは知っておきたいと思う。

  • 廃仏毀釈についての解説書。

    本書は、まず序章で神仏習合についての解説がされ、第一章で日吉・薩摩・隠岐、第二章で奈良・京都・鎌倉そして宮中について、第三章では伊勢・諏訪・住吉・四国について。

    第四章では吉野・出羽三山・金毘羅などにあった「権現」について、第五章では八王子・祇園・大和などにあった「牛頭天王」について。
    終章では「廃仏毀釈果たされたのか?」と題し、廃仏毀釈のその後や現在、そして最後に「民衆は廃仏にどこまで積極的だったのか」と問うている。

    廃仏毀釈についての本は3冊目になります。
    そうすると、大体ここの地域ではこうで、ここはこんなだった。ということが少し頭に入っているので割と読み進めやすかった。

    その中でも印象的だったのは、自分の生活圏内に近い鎌倉や江ノ島に触れられていたこと。
    それと、後半の章で書かれていた「権現」や「牛頭天王」についても興味深かったです。

    近所の八幡様の境内に「権現社」という祠があって、お参りに行くたびに「権現?徳川家康??うーん???」と首を傾げ、まいっかとなっていました。でもそのクエスチョンマークが取れてきたんですね。

    その八幡様の近くに古いお寺があり、そのお寺の由緒に八幡様の別当寺だったと書かれていて、それも「???」だったのですが今なら分かります。
    このように、お寺や神社への意識がガラリと変わります。

    あと「八王子」や「天王」の意味も分かり、地名にその語がついている地名の神社仏閣には牛頭天王がいたのかなーと思えるようになりました。

    でも何より、本書の肝かなと思ったのは、最初と最後で書かれていた「伝聞が誇張されすぎていないか」ということ。

    破壊された仏像があるのは嘘ではないだろうけど、救われた仏像もある。破壊活動に参加した民衆もいただだろうけど、どうにか救おうと動いた民衆もいた。

    寺院や仏像がなくなってしまったことに対してもったいないなという気持ちに変わりはないけれど、でも一概にこうとも言い切れない。
    前2冊で、もったいねーなープンスコプンスコとなっていた気持ちが、本書を読んで冷静になりました。

    本格的な検証もまだまだこれからでしょうし、よく取り上げられている地域以外ではどうだったのか、という検証も可能ならばされたらいいなと思います。
    これから折々で関連書を読みたいと思いました。

    • 川野隆昭さん
      廃仏毀釈について、かなり、突っ込んで追求されておられるようですね。
      明治日本でも、バーミヤン遺跡の石仏破壊のようなことが行われていたことを、...
      廃仏毀釈について、かなり、突っ込んで追求されておられるようですね。
      明治日本でも、バーミヤン遺跡の石仏破壊のようなことが行われていたことを、我々は直視しなければなりませんね。
      2021/11/15
    • ユズコさん
      >川野さん
      コメントありがとうございます。
      創建が古い時代の寺院も、古い姿をとどめてる訳ではないということがよく分かりました。
      これもっと知...
      >川野さん
      コメントありがとうございます。
      創建が古い時代の寺院も、古い姿をとどめてる訳ではないということがよく分かりました。
      これもっと知られてもいい事だと思いました。
      2021/11/20
  • 神仏習合の前史と廃されずに残った仏について前後に1章ずつ。中心な各地の廃仏毀釈の事例。具体名が出て詳細ではある。史実の検証が難しい分野ではあるが、その全体像や深層にもう少し踏み込んで欲しい。
    最初に手に取るには良いか。

  • 牛頭天王の存在を知って、聖林寺十一面観音の展示をみて、神仏習合と廃仏毀釈を理解したいと思い読み始めました。

    明治の神仏分離令が出される前の神仏習合について述べたうえで、各地の個別の廃仏毀釈運動がどのようなものだったかが解説されるので、流れがつかみやすく理解しやすかったです。行ったことのある場所も多く、新たな視点の蒙が啓かれました。

    仏教建築そのままに、名称を変えて神社建築に利用されている談山神社には行ってみたいと思いました。修験道は山岳信仰なのに密教なの?とか、御嶽神社と講、権現の考え方といったいくつものもやもやが少し晴れた気がします。

    一方で、廃仏の憂き目に遭った仏を受け入れた寺社はどうしてそれが可能だったのか。また、寺請制度によって寺は地域の戸籍を管理するような役割もあったはずだが、簡単に寺を辞めてしまってその機能はどうなったのか…(明治政府が吸収?)など新たなもやもやも発生し、無知の旅はまだまだ続くようです。

  • 明治維新と共に語られる廃仏毀釈、1000年も続いていた神仏習合が、なぜ廃されたのかと思っていたが、この本を読み理解が深まった。

    今ある神社、寺が元々 習合していたこと、その面影を今度探しに行ってみよう。

  • 明治以前、大半の神社は神仏習合で神も仏も、神殿も仏堂も区別なく同居し、神前の仏像に僧侶が読経したり神に奉仕するカオスな世界が「神仏判然令=神仏分離令:神祇官事務局達慶応4年3月28日」で『中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号ニ相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細に書付、早早可申出候事神社』と仏教用語で神を名乗る神社は由来を書面で提出させられた
    仏具(仏像・鰐口・梵鐘)を取り除かされ、十日前の通知で僧侶は俗人(=復飾)となる命令があるので・・・仏教・・・詰んだ(´・ω・`)
    全ては神祇官、謎の支配があったのだ
    羽根田文明「仏教遭難史論」
    ・・・古制に則り神祇官の設置となった。この神祇官は古例のごとく、太政官各位の上位にある独立の官衙である。慶応四年すなわち明治元年二月、神祇官最初の総督は白川三位、大輔が亀井茲監(かめい これみ:前に排仏主義を実行せる、津和野藩主)その他、正権判事も、みな排仏家の国学者、儒者であったから、神祇官は、あたかも排仏者の集合団体の如くであった。(平田国学派沢山)
    そして全国で悲惨な実例が本書で語られる(読めw)

    新しい権力が生まれる時、支援団体が主張する極論とかも(余り興味が無い時は任される)採用されてしまう
    今の日本で政権交代がなされた時に、共産主義の様に自国の繁栄よりも主義主張が重要な場合、環境至上主義の様に極端に非生産的な国益を害する国家運営とか、差別主義排斥者の様に日常の些細な事を対立軸に特定のマイノリティ擁護を国是として貧弱な国力を擁護者に注ぎ込む・・・いびつな世界は明治初期同様に令和のはじめに起きているんですよ( ゚Д゚)コワッ

  • 時代劇や時代小説などで江戸時代やその前の時代のことをある程度は見たり読んだりできるものの、どうしても判らないのが廃仏毀釈前の神仏習合の時代のこと。この本では神仏習合の時代から説明を始めているので、神仏習合の時代の神と仏の様子も見ることが出来ました。
    それにしても、牛頭天王なんて全くどこにあるか判らないまでにいなくなってしまう破壊の強さに唖然とします。

  • ふと興味を持って借りてみたのだが、廃仏毀釈について何も知らなかった事、今の神社が神仏習合時代の明治以前とは大きく違う事を知る。

  • 明治政府による神道国教化で沸き起こった廃仏毀釈。民衆が熱狂的になり寺院や仏像を破壊しまくったイメージがある。




    しかし、物事はそんな単純ではなかった。従来のイメージが覆すのが今回の本だ。




    廃仏毀釈のきっかけになったのは、神仏分離令だった。1868年4月5日から1868年12月1日までの間に出された太政官布告、神祇官事務局達などの総称。





    破壊されたはず仏像や仏具が他のところに移されて現存していたりと破壊一直線とは言い難い。




    全国各地の寺院が被った影響についても言及している。




    あまり見聞きすることのないテーマだけに新鮮だな。

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著者プロフィール

大阪府大阪市生まれ。民俗学者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『天災と日本人』(ちくま新書)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)、『五輪と万博』(春秋社)などがある。

「2023年 『『忘れられた日本人』をひらく 宮本常一と「世間」のデモクラシー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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