安楽死が合法の国で起こっていること (ちくま新書 1759)

著者 :
  • 筑摩書房
3.53
  • (9)
  • (18)
  • (19)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 525
感想 : 45
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480075772

作品紹介・あらすじ

終末期医療の辛さ、介護疲れへの同情の声がある一方、医療費削減を公言してはばからない政治家やインフルエンサー。安楽死が合法化された国の驚くべき実態とは。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 安楽死を合法化すると、なし崩し的に要件が緩和され、終末期ではない患者に安楽死が提案されるようになる。医療費削減や医療資源の逼迫であるという本人とは無関係の要因で安楽死が進められる実態がある。既に患者の長男の意思で治療を中止する林田医療裁判(平成26年(ワ)第25447号損害賠償請求事件、平成28年(ネ)第5668号損害賠償請求控訴事件)のようなことが起きている。公立福生病院透析中止事件では安易に「延命治療」を中止させたり、その約束をさせたりする行為が批判された。一度合法化すると拡大することは違法ドラッグの合法化論と通じるところがある。

  • 「安楽死が合法の国で起こっていること」 「安直」で「安価」な代替案になってしまう実態 杉田俊介が選ぶ新書2点|好書好日(2023.12.06)
    https://book.asahi.com/article/15074301

    まずは「安楽死」とは何かを知ることから始めませんか?|ちくま新書|児玉 真美|webちくま
    https://www.webchikuma.jp/articles/-/3286

    【“安楽死"をめぐって(4)】フリーライター・児玉真美さんに聞く[前編] - 記事 | NHK ハートネット(2020年11月04日)
    https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/426/

    児玉真美 – SYNODOS
    https://synodos.jp/expert/kodamamami/

    筑摩書房 安楽死が合法の国で起こっていること / 児玉 真美 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480075772/
    ――――――――――
    littleHalさんの本棚から

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      第664回:臓器提供で「人の役に立」ち、社会保障費も削減?――『安楽死が合法の国で起こっていること』(雨宮処凛) | マガジン9
      http...
      第664回:臓器提供で「人の役に立」ち、社会保障費も削減?――『安楽死が合法の国で起こっていること』(雨宮処凛) | マガジン9
      https://maga9.jp/240124-1/
      2024/01/24
  • 安楽死は「合法化」なのか、「非犯罪化」なのか…。
    安楽死と緩和ケアの混同。
    囚人でも安楽死を行う国もある。
    臓器提供安楽死の問題…。
    認知症や障がい者、精神的苦痛のみを理由にした安楽死の判断は難しい。
    その判断は誰がやるのか、医者なのか…。
    治療してくれてる医師に死にたいって言うのも、なんか辛いし、言われる方も悲しい。でも…
    医療費や介護費のことを言い出したら、倫理的にどうなのかと思うけど、正直なところ、心の中で思うことはある。


    消極的安楽死(尊厳死)については、賛成。
    末期がん患者の苦痛をとるための緩和ケア的な安楽死も賛成。
    しかし、積極的安楽死のルール作りがとても難しいのだとわかりました。

    これは非常にデリケートな問題で、著者は慎重派のようだけど、人によっては綺麗事と思うかもしれない。
    死にたいと思うことはそんなにダメなのか。
    病気の本当の苦しさは本人にしかわからないから、本人が死を望むならその意思を尊重させてもいいのではと思う。
    NHKで放送されたスイスに渡って安楽死をしたドキュメンタリーも観ましたが、
    死の瞬間までカメラを回していました。衝撃的で今もあの映像が鮮明に焼き付いています。

    日本ではまだまだ議論の余地がありそうですが、そのためにも多くの人に興味をもってもらいたいです。

  • われわれが考える安楽死とは何か。そして安楽死先進国ではどんな問題が起きているのか、一方の日本では。考えるべきトピックが非常に多く読み進めるうちに辛いと感じる事も多かった。今の時代は段々と多様な命を許容できない局面に至っているのかもしれない。
    コロナ禍のトリアージは医療の現場にいない私は「仕方ない」と勝手に思っていた。命の選別にも無自覚だった。恥ずかしながら高齢者が起こす痛ましい事故を見ると何か心が揺れる事もある。そしていつのまにか浸透した「健康寿命」、ここにも健康でなければ価値がないという危険な思想が透けて見える。

  • 患者から見た、医療従事者から見た、介護者やケアラーから見た、健康体な人からさ見た、「安楽死」に対する考え、思いとはどのようなものか。

    それを「個人」が選択できる制度になったとして、それは熟慮の末の選択だといえるだろうか。

    医療従事者は、患者や患者家族の思いに寄り添えているか。無益であるという割り切りや見通しによって、生死を判断していないだろうか。

    社会は、誰が「死んでもいい」と線引きするのだろうか。痛みを抱える当人の思いを、社会が代弁することで、それは見えない圧力とならないだろうか。

  • ときどき考えます。
    治る見込みのない辛い病気になったら
    あるいは認知症になって
    誰かに世話をしてもらわないと生活できなくなったら
    自分は安楽死したい
    日本も合法化したらいいのに。

    この児玉さんの本を読むと
    そう単純なものではないとわかります。

    〈安楽死を個人の「権利」と認めて合法化し、なお高齢者や障害者や病者や貧困層など社会的弱者の命が不当に切り捨てられたり脅かされたりすることのない社会は、はたして実現可能なのかー。海外の動向を追いかけながら、そのことをずっと考えてきた。今のところ私には、安楽死合法化の「先進国」にそのチャレンジで成功している例があるとは思えない。まして、権威主義的で、組織や集団からの同調圧力が大きな日本の文化風土の中では、その試みはより危険なものとなるだろう。私は日本で安楽死が合法化されることには、欧米以上にリスクが大きいと考えている〉

    児玉さんの書くものには二つの流れがあります。
    ひとつは障害のある人の医療をめぐる倫理問題、
    特に安楽死と「無益な治療」論について書いたもの。
    もうひとつ重い障害のある娘を持つ親であり
    ケアラーである立場からかいたもの。

    そう、児玉さんは重い障害をもつお嬢さんと
    36年間くらしてきた
    だから私は一読しただけで軽く感想を語ることなどできません。

    でも、ここは十分に理解しました。
    頑張って読んで良かったです。

    〈もう生きられないほど苦しいという人がいるなら死なせてあげたい。
    そういう人のために安楽死を合法化してあげようと
    考える人たちが善意であることは疑わない。
    けれどひとりひとりの善意が集まって世論を形成し、
    その世論の勢いに押されて(乗じて?)
    制度となった(された?)ものは、
    人々の善意とはまた別のダイナミズムによって
    動き始める。
    安楽死という選択肢をもった社会は、
    政治や経済やその他もろもろの思惑を孕んだ力動によって、
    当初の善意からも意図からも
    かけ離れたところへと動かされていくのだ。(略)
    この問題は、「あまりに苦しいから死にたいという人は
    死なせてあげてよいかどうか」
    「自分は一定の状態になったら死なせてほしいかどうか」
    といった、個々の人のレベルの議論で終わるわけにはいかない、
    社会全体のありようまで変えてしまう
    大きく複雑な問題なのだという側面に、
    目を向けてもらえればと思う〉

  • #安楽死が合法の国で起こっていること
    #児玉真美
    23/11/9出版
    https://amzn.to/49tCJhS

    ●なぜ気になったか
    いつかは自分も死ぬし、「安楽死」について考えたりすることはある。認めるべきか否かは難しい問題。合法化されている国で起きていることを知りたい

    ●読了感想
    「安楽死」の意味捉えを間違っていた。「尊厳死」と「安楽死」の違いを知った今、「安楽死」は認めるべきでないと考えが変わった。「安楽死は是か非か」は筆者が提唱する別問いに転ずべき

    #読書好きな人と繋がりたい
    #読書
    #本好き

  • 本書を読む前までは、自分の中では安楽死を尊厳死と同じようなものと考えていて、自分が死にたくなった時に好きに死ねる制度の何が悪いのか・・・で、本書にやたら出てくる「すべり坂」という表現に、失礼ながら少々うんざり感もあったんだけど、半分くらい読んだところで、著者が重度の障害を持つ娘の母であるということがわかってようやく腑に落ちた。

    筆者の言いたいこともわかるが、全肯定もできない、重くて考えさせられる内容であった。

  • タイトル通りの前半部分と、著者の主張と医療批判強めに出てくる後半部分。笑

    そう言う意味では、著者の立場がかなり明確。というよりも、偏っていると思って読む方がいいのかな、と思いました。

    医療サービスって、当然資源的な制約もあるし、医者だって人間であるわけで、医療にかかればどんな病も解放に向かうわけではないし、医者は全知全能の神ではないのです。

    また、医療の進歩とはいえ先進的な治療はスキルと費用がかかるし、資源を有効活用するためにトリアージという仕組みがあるわけで、それを批判されてしまうと「では、どうしろと?」という疑問を持たざるを得ません。

    こう書くと、それは今わたしが切り捨てられる立場にいないからだという反論もありそうですが。

    少数派の意見をどう社会に反映させるか、という課題はLGBTQの話題にも関係するなぁと思うのですが、この場合は「選択肢を増やすこと」で多くのケースに対応できると思うのです。

    そう考えたときに、安楽死という選択肢また取り入れる方向で議論していくのは、そこまで飛躍した発想ではないようにも思います。

    もちろん、選択肢のひとつとして。です。

  • 安楽死に関する本を読むのは『私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年』以来2冊目。

    書店でこの本を見かけ興味が惹かれて手に取ったのですが、おそらく冒頭で語られた記事は目にしたことがある気がします。ただ、後で読もう、とブクマしただけでしっかり内容を追えていなかったと思います。

    前半までは、一般の人が混同しているであろう尊厳死・安楽死の定義や現在安楽死が合法化されている国々で起きている考えるべき問題、様々な医師の主張など読みごたえがあるものでした。

    この本を読む前に自分が日本社会で一般の人が抱く安楽死のイメージや軽く扱われている印象を受け、危ないと思ったきっかけはアマゾンプライムで見たBBCドキュメンタリーの『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』において、凄惨な絶滅政策・大量虐殺が起きた始まりは、障害者を殺害することを許可する計画のせいだと思ったからです。
    同じ人間の中で、差別をし、殺しても良い/社会から切り捨てても良いと思う存在を公的に認めてしまう。人を人とみなさない、常軌を逸した事柄が法として認められることでタガが外れ、転がり落ちるかのように倫理観は歯止めが利かず、そのまま進みホロコーストまでいってしまったのではないか、と。

    だからこそ、一番最初のおかしなところで声を上げ、止めなくてはならない。
    むしろ、おかしなことが公的に認められ、法とならないように止めなくてはならない。
    昨今の社会の経済的不安、税の負担に対する不満や少子高齢化の未来の見通しの怖さからか、高齢者の医療行為・医療費に対しての反発や、相模原障害者施設殺傷事件のような他者の独りよがりな判断による命の略奪、それに理解を示すネット匿名の意見。
    自身の不安から弱者を切り捨てようとすることは、ナチスの二の舞になるのではと恐ろしく、人の生き死にを他人が判断・指示すべきではない、と自分は考えていました。
    その意見や考え方がまかりとおってしまったらエスカレートして悪化する未来しかないように思える。
    P087で著者もナチスの施策について触れており考えが近いのかもしれない、とその時は思いました。

    当初安楽死自体には、希望する者の選択として尊重すべき選択肢かもしれないと思っていたのですが現状、安楽死の対象者が「無益」の考えから医療従事者が選別し、死を選択するようにマニピュレーションされている状況には驚き、単純に安楽死について判断できないのだと考え直しました。
    本著でも指摘されているように経費削減の視点から言えば(倫理的視点は除いてその点だけからいえば)、「無益」の考えは相性が良く進んでいきそう。

    ただ、人として失いたくない倫理はありながらも、人は思想だけでは生きていけない。食べなくてはいけない、お金がなくてはいけない。故に経済の視点からの意見もスルーはできないと思いました。
    賛同できそうな著者の意見、述べ方もありながら違和感を抱きながら読んでいたところ、途中で著者自身の事実がさらりと明かされ衝撃を受けました。
    語弊を招くかもしれませんし、説明がつかないのですが内心「正体をあらわした!」と感じました。
    本の半分くらいだったかと思うのですが、それ以降からは徐々に著者の主張が強く出てきていて、居心地が悪くなりました。常に責められるような気持ち。
    著者の主張が出るのなんて、その人の本だから当たり前かとは思いますが、それまで読んできた限り中立というか事実を述べながら少しの主張、まずは現状起きていることを伝えてゆだねる、という雰囲気を感じていたので、後半から怒涛の勢いに、ここが本番だったんだなと印象が変わりました。

    障害者の親として現状、障害者・ケアする障害者家族を取り巻く医療・行政のサポートや意識が全くなっていないと批判が続く様子に、何か言いたくなります。
    人でなしと言われてしまうかもしれないし、安楽死を認められない人がいるならその人達の人権侵害では?という論調で拡大が止まらないと指摘されていた論理展開に似通うかもしれないですが…毎日仕事に忙殺され苦しんでいるかもしれない医療従事者たちへは気を遣わなくて良いのか?要望がエスカレートしていないか?ともやもやしてしまいました。

    人の生き死には、医療で抗うことはあっても天に、自然に任せ、人為的に起こさない。安楽死は摂理(この言葉であってるかわからないけれど)に逆らうのでは、人間の思い上がりでは、として。この不自然な行為がまかり通っていることについて。
    詳細は違っても、自然に抗い人間の力でどうにかしているという点では、障害者や重病者が生きていること自体もそうなのではないかと気になります。

    QOLで、障害者や末期患者の幸福については著者の考え方と同じです。
    人それぞれ幸せの感じ方は異なるので、他者からQOLが低いと判断され、あまつさえ死を提案されるなんてまっぴらです。
    でも、視点を変えて、生産性にフォーカスしてしまうと、何ができるのか?とは人でなしと言われるかもしれないですが思います。
    ただ、自分は、社会福祉として障害者を支えることは賛成です。自分がいつどうなるかもわからないですし、頑張れる人が頑張って、苦しい人を助けられたらと思います。
    でも、言い方がきつかったり要求がノンストップだと、反発心が沸き起こってしまうのです。これはトーンポリシングになるんでしょうか。
    『ハンチバック』にしても、何にも気付いていない節穴の目を持ち思いあがった健常者たち、みたいな感じで言われてしまうと心が萎んでいってしまいます。
    その立場に立った人にしかわからない苦労・地獄があるため、語気を荒げるほどに怒りがたまるかもしれないですが…。。。。

    なぜ、こうなっているかと言えば、
    障害者支援が全然足りていない!もそうであろうけれど、普通に生活しているだけでも財政難、円安、少子高齢化、実質増税。政府の働きに不満が募り、国民同士で責任をなすりつけあったり足を引っ張り合ったりしている気がします。
    政府に対して、声をあげる方向に国全体で変わっていき、国民同士の足の引っ張り合いではなく、思い合い助け合う、豊かな心構えでいられるのが理想なのかなと。
    となると、障害者、障害者家族についての医療行為における不満を変えてほしいと労働者である医療従事者にぶつけるのではなく、もっと上から変えなくちゃいけないんじゃないのかな。。。患者側も医療従事者を思いやらなくていいのかな?とは思う。
    日本的な医者のいいなりの馬鹿な患者と思われるんでしょうか。
    でも要求だけエスカレートしてリスクばかりあがったら誰が真摯な医療行為を行ってくれる医療従事者になるんでしょうか。みんな楽で稼げる自由診療の方に行っちゃうんじゃないでしょうか。

    理想から言えば、漫画『19番目のカルテ 徳重晃の問診』のような、症状だけでなく患者の生活を見て、治療だけではなく寄り添ってくれる先生が増えたら良いかもですが、この漫画の中でも院内で話が上がっているように、部門の採算・売上という視点から言うと…とお金がなければ立ち行かなくなる話でもある。

    医大ではテクニカルなことは学ぶけれど、医療倫理についての指導は不足しているのではないかという指摘はもっともではないかと思いました。
    医大での指導だけでなく日本国民全体に基本的人権の意識や倫理、哲学の知識が不足しているように思えます。

    安楽死を日本に導入したら相性が悪く、どんどん自己責任論で弱者に対して匿名の場所から死ね死ねいう未来が予測できるので恐ろしいです。
    感想とも言えない、とっちらかった自分の考えを書きながら着地点が全く見つからず、どうしようかと思いながら、個々の事象に向き合っていくしかない、という著者の主張の通りなのかもしれないと思わされました。
    書けば書くほど陳腐な一般論を振りかざそうとしてる自分が恥ずかしい。

    生かされている限りは懸命に生きる。
    考えすぎない。
    他者に奪われない。
    と自分は思って生きる。

全45件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

児玉真美(こだま・まみ):1956年生まれ。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。京都大学文学部卒。カンザス大学教育学部でマスター取得。英語教員を経て著述家。最近の著書に、『増補新版 コロナ禍で障害のある子をもつ親たちが体験していること』(編著)、『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(以上、生活書院)、 『〈反延命〉主義の時代――安楽死・透析中止・トリアージ』(共著、現代書館) 、『見捨てられる〈いのち〉を考える――京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』(共著、晶文社) 、 『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』 『死の自己決定権のゆくえ――尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』 (以上、大月書店)など多数。

「2023年 『安楽死が合法の国で起こっていること』 で使われていた紹介文から引用しています。」

児玉真美の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×