- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480087348
感想・レビュー・書評
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烏兎の庭 第一部 書評 1.11.03
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/hisshokuy.html -
私たちの書く文字は、いくつもの字画から成っている。それぞれの字画は、起筆・送筆・終筆によって形成されている。これらが文字を構成し、文字が語を構成し、句、節、文章へと連続している。だが、私たちが「文学」について語るとき、言いかえれば書かれた言葉の内容について語るとき、文字を構成している字画や運筆にまで議論を及ぼすことはない。「文字を書く」という行為は、美術的観点ないし人格的観点からのみ語られる。ワープロ・パソコンの普及は、こうした傾向にいっそう拍車をかけている。だが、ほんとうに「文字を書く」ことは、私たちの紡ぎ出す言葉の内容とは関わりを持たないのだろうか。
著者は、私たちが「文字を書く」場面に生じている出来事を、〈筆蝕〉という言葉で表現する。私たちは、摩擦に逆らって尖筆で文字版を刻り込みながら、鉛筆の芯を紙に押し付けながら、あるいは毛筆に含ませた墨汁を紙に吸い取らせることで紙を穢しながら、文字を書く。私たちが文字を書く現場で起こっているこうした出来事、私たちが自然の抵抗に逆らって痕跡を刻み付け、自然を蝕む出来事を、著者は〈筆蝕〉と呼ぶのである。
その上で著者は、私たちが意識的・無意識的に、紙の抵抗を感じたり、ペン先の引っかかりを覚えたり、毛筆のしなやかな運びを感じたりしている、この〈筆蝕〉の場面こそが、私たちの思考の成立現場にほかならないと主張している。
そうだとすれば、文字・語・句・節・文章のレヴェルと、筆触・運筆・字画のレヴェルを区別して語ることは適当ではない。著者は、ふつう「文体」と訳されてきた「スタイル」(style)という言葉を「書体」と訳することで、〈筆蝕〉から生まれる「スタイル」が構成する表現の美質を論じる視座を切り開く試みをおこなっている。