- Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480089397
作品紹介・あらすじ
21歳での処女出版『ランスの大聖堂』と、第2次大戦前後の重要テクスト選集。1918年の表題作は信仰時代の青年バタイユの貴重な証言であり、すでに聖性における究極の脱自という生涯のテーマがうかがわれる。ほかに、信仰放棄後の地母神と大地の闇に光を当てるディオニュソス的母性論、消尽のエネルギーを論じるプロメテウス=ゴッホ論など『無神学大全』の思索の原型から、戦後のシュルレアリスムへの逆説的擁護や実存主義との対決、凝縮されたイメージに神を透視する論考など17のテクスト。バタイユ最初期から中期のエッセンス。
感想・レビュー・書評
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難しかったです(苦)
でもなんかいいこと言ってるなということはわかる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
神は光によって地上で平和に暮らしたのだが、忘れてならないのは、人々はその光が消えるのを見たと思い込んで苦しんだということである。
この光は君達の若々しい欲望の中でのみ再び輝きだすだろう。
人間は自分が打ち捨てられた上体にあることに気づくということができる。
宇宙はそんな人間のことには気づかない。人間の宇宙というものは一つの巨大で光り輝く霧の墓のようには閉ざされてこなかった。
シュルレアリズムの芸術は思考を表現することを目的にしている。神の栄光の中で神を見たことのなかった人の無知は深い。だが神は存在しないという神がこの人に啓示しないのならばこの人の無知はもっと深い。
本質的なものとは聖なるもののことである。
至高なものは守ることのできないものなのだ。 -
初期のジョルジュ・バタイユを窺い知ることができる本である。キリスト教を礼賛し、第一次大戦で荒廃した国土と人の心の復興をうたう「ランスの大聖堂」は特にバタイユ思想の根源を知る上に置いて一読の価値があると思われる(アンチ的な意味合いで、ではあるが)。その他芸術論なども収められているが、「過剰」を追求する辺りにバタイユらしさが色濃く出ているものの21世紀の現在から見るとなんとはなしにチープな内容である。訳のせいもあるのだろうか、全体的にだるい本であった。