朱子学と陽明学 (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房 (2013年9月10日発売)
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レビュー : 11
  • Amazon.co.jp (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480095695

感想・レビュー・書評

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  • 多分
    3%くらいしか内容わかってないけど
    朱子学が「至る」
    陽明学が「正す」
    っていうのが、しっくりきた。
    朱子学がまずは読書、静坐
    陽明学が現場主義
    っていうのも、なんとなくしっくりきた。
    どちらも
    孔子の教えを正しく伝えたいだけなのに、流派がわかれちゃったことを知った

  • 放送大学の教材を改稿した本で、朱子学と陽明学を中心に宋代以降の中国思想史をわかりやすく解説しています。

    本書とおなじタイトルで、名著として知られる島田虔次の『朱子学と陽明学』(1967年、岩波新書)がありますが、本書は「文庫版まえがき」で書かれているように、朱熹や王守仁らを「研究対象として突き放す立場」をとるとともに、「過去に存在した思想教説を彼らの意図に即して解析する」という方法にもとづいています。とくに、それぞれの思想家たちが彼らの生きた思想状況のなかで抱えていた問題にどのように対処しようとしていたのかという意図をあぶり出し、そこから思想形成にいたる過程を、ある意味では「覚めた」視線で書かれているのが印象的でした。

    中国思想史に対する関心を読者の心のなかに呼び起こすような本ではありませんが、中国思想史のなかで重要な位置を占める朱子学と陽明学の二つの流れを概観するうえでは、有益な入門書ではないかと思います。

  • 2015.08.02 Amazonで「ちくま学芸文庫」を検索していたら、見つける。

  •  朱子学と陽明学はどちらも儒学の学派であるが、何が違うのか?と問われると答えることは難しい。本書では熹と王陽明の生い立ちの違いから見られる対する考え方の違い、『論語』の読み方の違いを比較するという方法で、朱子学と陽明学の違いを解説している。中でも『論語』そのものよりも、朱熹が論語をどう解釈していたかという点に議論が移っていった点が興味深い。何しろ『論語』をそのまま読むと朱熹の解釈にはならなず、なぜ朱熹はこのように解釈したのかを考えなければならないからである。これは朱熹が弟子に対して異なる説明をしていたことが原因ではあるが、それ以上に、朱熹自身の考えを『論語』の解説に混ぜ込んでいたことが原因だろう。そして生じた歪を解消しようとする揺り戻しが陽明学ではあるのだが、これも結局は『論語』に戻りつつも結局は朱熹の解釈に対する解釈にとどまってしまっている。ここから見えてくるのは、古典に対する解釈に自身の意見を混ぜる、権威を背景に自説を押し通すという姿勢である。なるほど、たしかに長く儒教の支配下にあった国家が”なぜああなのか”が朱子学と陽明学から見えてくる。

  • 【資料ID: 1117023758】 125.4-Ko 39
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB13434467

  • 【書誌情報+内容紹介】
    東アジアの思想を一望する極めつきの入門書!
    近世儒教を代表し、東アジアの思想文化に多大な影響を与えた朱子学と陽明学。この二大流派の由来と実像に迫る。通俗的理解を一蹴する入門書決定版!

    シリーズ:ちくま学芸文庫
    定価:本体1,100円+税
    Cコード:0110
    整理番号:コ-41-1
    刊行日: 2013/09/10
    判型:文庫判
    ページ数:256
    ISBN:978-4-480-09569-5
    JANコード:9784480095695

    儒学は、中華帝国の正統思想として2000年の長きにわたり君臨してきた。その儒教史上に燦然とかがやく二つの学派がある。南宋の朱子によって体系化され、やがて明・清および朝鮮で体制教学となった朱子学であり、それを明の王陽明が批判的に継承し展開した陽明学だ。日本を含む東アジアの思想文化に決定的影響を及ぼしたこれらの流派は、はたして何を唱えたのだろうか。朱子学・陽明学が誕生した時代背景とその問題意識に焦点をあてることで、通俗的理解とは大きく異なる実像が見えてくる。両教説の異同を明快に説き、壮大な思想体系の全体をあざやかに一望する、入門書の決定版!

    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095695/


    【簡易目次】
    朱子学・陽明学とは何か
    士大夫の時代
    朱子と王陽明の生涯
    中国における展開
    日本における受容
    性即理と心即理
    格物と親民
    天理と人欲
    礼教と風俗
    理と気
    思想史における唐宋変革
    儒仏道三教の関連
    経学史のなかで
    東アジアにおける近世
    朱子学・陽明学の未来


    【蛇足】
    ・こんなイベントがあったようだ。
    「子どもたちに語る日中二千年の歴史」
    http://peatix.com/event/223557?lang=ja


    【抜き書き】
    “儒家思想において感情のむきだしな表出は控えるべきこととされ、これらの感情をどう統御するか、あるいは統御することが可能かが、修養論の一つの主題であった。”

  • 入門書としてわかりやすい。もっと読み返して、自分のものとしたい。

    日本に与えた影響。
    また、中国でどのように受容されきたのかもわかる。

    本書は、少し前に放送大学ように書かれたものであり、さらに研究がすすんでいると思われる。
    筆者のあらたな知見をもりこんだ書の刊行を望む。

  • まだあとちょっと残ってますが、小島先生のこの本は面白い。いわゆる朱子学と陽明学と、対立構図で描かれがちな両派の複雑な流れを明快に説明してあるので、よくわかる。今まで太い幹しか見えてなかったものが、その間にある細かな枝までが短いこの本の中に細大漏らさず描かれている点、好著だと思います。何度か読み返したい感じです。

    読了。
    2013に出版された新しいもの(ただし元になった内容は放送大学原稿で多少古い)で、おそらく一番新しい朱子学と陽明学についての概説本。最終章は、現代儒学の行く末について論じてあり、この古くて新しい東洋の思想の行く末について、読者の後学を促す。良い本だと思います。

  • 不思議な本だった。
    朱子学と陽明学について 丁寧に説明してあったが、私の期待していたものと違った。なぜ朱子学と陽明学が日本で受け入れられたのかと言うことを知りたがったのだが、朱子学の系譜、そして陽明学の系譜が、実に丹念に説明されていた。
    思想文化的に解説。
    朱子学と陽明学の学派が誕生した時代背景と問題意識に焦点を当てながら、『なぜ、彼らはそう考えたのか?』を明らかにする。
    朱子学は、性即理。陽明学は心即理。
    孔子 紀元前552〜479年。儒教が 王朝体制を支える思想となった。
    それ以降 中華思想を支える思想的支柱だった。
    儒教は近代以前の旧体制の象徴だった。
    11世紀から12世紀に起こった朱子学も 陽明学も 孔子の異図を正しく受け継ぐことを標榜している。
    朱子学は南宋(1127〜1276年)の朱熹
    陽明学は明(1368〜1644年)の王陽(王守仁)
    朱子学は宋学に包括される。宋学には、道学、朱子学が含まれる。
    朱子学の勝利
    ①儒教の仏教、道教に対する闘い。唐の韓愈。
    ②儒教内部の訓詁学にたいする闘い。
    ③宋学内部における道学の他の諸流派(蜀学)にたいする闘い。
    ④道学における内部の諸流派にたいする闘い。

    陸九淵との『無極太極』論争。陸九淵の系譜 陸王心学 VS 程朱性理学。

    二つのキーワード。あくまでも『万世のために太平をきりひらく』
    朱子 『修己治人』(おのれをおさめてひとをおさむ)
    士大夫
    『天下の憂いに先立ちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ』先憂後楽。

    主一;一を主とす。精神を一事に集中させて他事に惑わされないこと。
    君子は動かずして敬せられ、言わずして信ぜられる。

    朱熹の生涯(1130〜1200年)
    朱熹は印刷技術をうまく利用した。福建省北部には、安価な印刷物の工房が多かった。
    朱子は二程の語録も編集 出版。
    朱子は 大学、中庸、論語、孟子の注解 『四書章句集注』を作成。
    大学、中庸は 礼記のなかにある 一篇であったが、独立させた。

    『あなたの考え方は間違っている。』という言葉で満たされていた。

    王守仁(1472〜1528年)
    父 王華派、科挙試験の状元だった。
    王陽明は、庭に生えている竹の理を極めようとして、神経衰弱となった。
    相手の言い分をみとめて励ますものが多かった。
    科挙官僚として成功し、政府高官になったために時間的なゆとりがなかった。
    修辞の学→聖人の学(学三変)知行合一から静座の重要性→致良知(教三変)
    『理は自分自身の内面に備わっており、外部に求める必要はない』37歳の時。
    龍城の大悟。
    『聖人の学とは心学である。』
    『宇宙のありとあらゆる存在はすべてひとつながりになっており、それらをそれらの本来のありようのままに活かすことこそが儒教の究極の目標である。』
    『二程以来道学が強調してきた万物一体の仁も、良知を致すことによって正しく実践される。』

    朱子学は 成り上がりの見栄。→おかみの御用学問
    陽明学は 放蕩息子の道楽。→民間 在野の批判思想

    朱熹は言う
    『太極は、天地万物の理を総合して言うのであって、天地万物から離れて、別に太極を論じてはいけない。天地万物からはなれて理があると説くと、二つの部分に分裂してしまう。結局のところ天地万物がしょうじる以前には、かならず、まずこの理があるのである。』

    無善無悪は心の体
    有善有悪は意の動
    知善知悪はこれ良知
    為善去悪はこれ格物

    理と言う字のもともとの意味は、玉の筋目である。
    玉は 理 珍 珠の漢字の部首としてつかわれる。
    『そうあるべきすじめ』が 理である。
    論語や孟子には 『理』が見えない。

    程顥はいう
    『自分の学問は先人から学んだところが多いけれども、天理の2文字については、自分自身で体得した。』
    程頤はいう
    『性は理である。いわゆる理性のことである。この世の中の理は、由来を尋ねてみれば善でないものはない。喜怒哀楽も未発の段階ではすべての善である。それらが外に現れても節度にかなっておれば、ことごとく善でないものはない。』*ここでの理性は、りせい ではなく りしょう。事相の対概念。
    性とは、解説を必要とされる、いまだ明らかになっていない概念。
    理とは、聞き手にとっても既知の明確な概念。

    孟子派言う。
    『性には善も悪も決まった性質はない』

    孟子の性善説が正統の地位を手にするには、程顥、程頤、そして朱熹が『性即理』として定式化したことによって。
    孟子自身は、自分の性善説を理と言う語を用いて説明したことはない。

    程頤はいう
    『天にあれば 命 といい、人にあれば 性 という。』
    中庸
    『天の命ずるを これ性という』

    朱熹は張載の言う言葉を好んだ
    『心は性と情とを統括するもの(心統性情)』

    天の理だとされた性は、人間の心の一部でしかない。他方に情と言うものが存在する。

    喜怒哀楽の4つ、もしくはこれに 愛悪欲の三つを加えた七つは、人が他者に対してしめす感情的態度の類型範疇である。
    儒家思想において、感情のむき出しな表出は控えるべきこととされ、これらの感情をどう統御するか、あるいは統御することが可能かが、修養論のひとつの主題だった。
    正しい 怒り方や 正しい悲しみ方がある。

    朱熹は言う
    『喜怒哀楽は情である。それらの未発は性である。かたよることがないのを中という。表出してすべて節度にかなっているのは、情の正しいすがたである。それにそむくことがないのを和という。』

    朱子学の精緻な体系性は、個々の述語を厳密に定義していくことによって成り立っている。

    朱熹は言う
    『心の外部に物はない。自分の心が親に孝行することが物なのだ』
    『心の本体は性であり、性即理である。だから、親孝行しようとする心には孝の理があり、親孝行しようとする心がなければ孝の理もない。』

    陽明学で言う 心即理 とは、生身の人間が今ここで精神活動、肉体活動を行なう、そのありさまそのものが 宇宙の道理に由来するという意味である。

    朱子学は 理と気の二元論である。

    朱熹は言う
    『性を論じて気に言及しなければ充分ではない。気を論じて性に言及しなければ明確にならない。これらを二つの別個のものとするのは、正しくない。』

    『先に理があるのでしょうか。それとも先に気があるのでしょうか。』
    『理が気を離れることはない。ただ 理は形而上、気は形而下の存在だ。形而上、形而下と言うことから言えば、先後がないわけではない。』→理先気後

    中国で 儒教、仏教、道教が確立するのは 西暦5世紀頃。

    ふーむ。
    心 性 理 気 それぞれの概念が よくわからないなぁ。
    時代によって 大きく変化している。
    言葉も 時代によって 変化する。
    しかし、このようなことを考える という人たちがいたが、
    今の中国では あまり見当たらないのは なぜだろう。

  • 日本では何故、動機の純粋性が失敗した結果に対する免罪符になり得るのか?

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著者プロフィール

1962年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。中国思想史。『儒教の歴史』(山川出版社、2017年)、『近代日本の陽明学』(講談社、2006年)、『宋学の形成と展開』(創文社、1999年)、『中国近世における礼の言説』(東京大学出版会、1996年)、『中国思想史』(共著、東京大学出版会、2007年)、ほか。

「2021年 『東アジアの尊厳概念』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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