道徳と宗教の二つの源泉 (ちくま学芸文庫 ヘ 5-4)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480096159

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  • 若い頃ベルクソンに夢中になった時期がある。『試論』『物資と記憶」『創造的進化』と立て続けに読み、生まれて初めて哲学を心底面白いと思った。だが『二源泉』だけはずっと敬して遠ざけてきた。「閉じた道徳」と「開いた道徳」というあの対概念が、K.ポパーの『開かれた社会とその敵』を連想させ、そのリニアであまりにわかり易い合理主義が、直観と生命の飛躍(エラン・ヴィタール)を重んじたベルクソン哲学にどうもそぐわない気がしていた。哲学の通念を破壊するシャープで挑発的なベルクソンが、晩年に説教くさくなって論理の切っ先が鈍ったのではないかとの思いも正直あった。

    半信半疑で本書を手に取ったがそれは全くの杞憂であった。本書は紛れもなくあのベルクソンの著作である。前三部作の確固たる哲学的基礎の上に、生命の創造の観点から道徳と宗教を位置付けるもので、ベルクソン哲学の総仕上げと言ってよい。表面的にはポパーと似たところもあるが、消極的自由と社会の漸進的進歩を志向するポパー哲学とはやはり似て非なるものだ。ベルクソンの自由は種の進化をも射程に入れた生命の創造を担うものであり、本書は単なる社会理論にとどまらない、それを包含した壮大な生命論だ。

    「閉じた道徳」とは社会を守るための規範を指し、人間以外の動物では本能に組み込まれている。人間は知性を持つが故にそれを反省的にとらえることができるが、逆に逸脱する危険もある。それを防ぐのが「静的宗教」だ。いずれにしても固定的・閉鎖的な社会の存続が目的であり、そこに社会と社会の闘争が生じることは不可避だ。それを克服するのが、より開いた社会、究極的には人類を目的にした「開いた道徳」であり「動的宗教」である。こうした見方には第一次大戦の悲惨な経験が影を落としていることは間違いない。

    「静的宗教」から「動的宗教」への発展は非連続であり、神的実在を直観した天才がその圧倒的な存在感で周囲を感化し、広がっていくという形でのみ実現する。ベルクソンの神は生命の創造の源泉であり同時に愛である。それは特定の対象を持たない。何かを愛する愛ではなく、愛そのものとしての愛だ。強いて言えば創造への愛である。人々はキリストの如き天才を通じて神の愛(或いは愛としての神)に触れ、それを分かち持つことで、人類の「創造的進化」に参与するのだ。

    本書は一見取っ付き易いが、『試論』『物質と記憶』『創造的進化』のエッセンスが凝縮されており、そこで展開された概念を前提とした記述も多く、それが分からなければ正確な理解は難しいかも知れない。併読を勧めたい。

  • 訳文に、ちょっと硬かったり、一見意味がわからないところがあるが、たぶん、あまり意訳していないんだと思う。古めのベルクソンの翻訳は仏文学者が訳していることも多く、独特の流れるようなかんじがあっていいのだが、この訳にはそういうところは希薄。哲学畑の人なので、なるべく直訳に近いかたちにしたのかもしれない。後半は慣れた。読み終わってから解説を読むと、とてもよくまとまっているのがよくわかる。これを書いた人が翻訳しているのはいいことのように思う。4大主著の中では、初期2作ほどの切れ味もないし、前作の一種異様な迫力と壮大さにはちょっと及ばない。でもなんかしみじみ来るのよね。

  • 上巻しか買っていない本

    ベルクソン 「道徳と宗教の二つの源泉」


    こういうのを認識論というのだろうか? 社会における道徳的責務を論じた本。道徳的責務とは 道徳による拘束

    社会における道徳の圧力を 理性とは別の場所で働く力として、習慣の形で意志にのしかかっている力と表現し、いっさいの道徳を生物学的な本質としている

    社会の定義が鋭い
    *社会は一個の有機的組織をなす
    *社会は 要素相互間の互角な関係での協調 と 相互の従属関係を意味する
    *社会は 規則ないし法の一なる全体である

    道徳に2つの異なる力を見出し、閉じた道徳と開いた道徳に分けている

    開いた道徳
    *既成の価値を乗りこえる運動と人を駆り立てる人格的な呼びかけ
    *個人と社会が安定した平衡状態に落ち着くことを目指す

    閉じた道徳
    *創造的運動の性格を持ち、それを体現する者は 開放感や歓喜に突き動かされている
    *社会の維持〜個人への圧力として働く非人格的なもの



    名言「理性を賦与された唯一の存在たるホモサピエンスこそが 不合理なものにすがって生きてゆける唯一の存在でもある」




  • 死についての思考はのちに哲学というものの枠に収めうるものとなり、哲学が人類を人類自身を超えたところまで高め、より多くの活動力を人類に与えることになる。

    死の確実性が自然の意図を妨げる。人間はこれにつまづく。死は不可避という観念に自然は死後における生の継続というイメージを対立させる。

    宗教は死の不可避性の表彰に知性によって対抗する自然の防衛反応。---個人と同じぐらい社会も関与させられている。(安定性と持続を欲しているため)

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著者プロフィール

1859-1941。パリ生まれ。フランスの哲学者。コラージュ・ド・フランス教授(1900)。アカデミー・フランセーズ会員(1914)。ノーベル文学賞(1927)。主著に『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)、『物質と記憶』(1896)、『創造的進化』(1907)、『道徳と宗教の二源泉』(1932)など。

「2012年 『ベルクソン書簡集 Ⅰ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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