- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480424938
作品紹介・あらすじ
呆けてしまった母の姿に、分からないからこその呆然とした実存そのものの不安と恐怖を感じ、癌になった愛猫フネの、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるみ、その静寂さの前に恥じる。生きるって何だろう。北軽井沢の春に、腹の底から踊り狂うように嬉しくなり、土に暮らす友と語りあう。いつ死んでもいい、でも今日でなくていい。
感想・レビュー・書評
-
ふむ
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かった。笑って元気が出た。アライさん夫婦が尊い。自然は美しい。
-
ちょっと今、しんどい思いをしているので、長編フィクションとか読む気分じゃなくて長年の積読本からふと手にとった本書、するする読めた。
「いつ死んでもいい、でも今日でなくていい」こういう境地にいつか辿り着くことができるのだろうか。 -
なぜか分からないけど暖かくて泣きそうになる
納谷、納谷とか特に
同じような経験をしてきたわけでもないのに、佐野さんの死生観や故郷に対する気持ちには、ああ分かるなあと思ってしまう。不思議
自分の足りなさを認め恥ずかしげもなく晒してしまう正直さが、悟りを開いた仙人的ななにかにも見えるし、ただの子供にも見える
文章に現れる人柄まで好きになる -
著者の田舎暮らし あーだこーだの日常が、なんでもないようで、その実しっかり生きてて、頼もしい。エッセイは読みやすくて、今の状況には丁度いい。
-
「100万回いきた猫の」の作者のエッセイ集。
北京で生まれ、戦後に日本に戻ってきたバックグラウンド、そして群馬の山奥で暮らす様子を語った一冊。
基本は笑えるという意味でとっても面白い。
でも、時たまズシーーーンとくる言葉に出会うことができます。
家畜についての洞察、エジソンやピカソの情熱について、沈黙に耐えられない人についての描写。
浮世離れしたような生活だけど、スコーンと本質を貫くような歯切れの良い言い回しがとても心地よいです。 -
老齢になり、迫りくる呆けと世間の意見に驚き怯える姿は他の作品にも見られる。作者のあからさまに見えて繊細でするどい感受性が大好き。