橋本治と内田樹 (ちくま文庫 は 6-19)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480428486

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  • 橋本治と内田樹の2004~2005年の対談本。「私的なところがなく」「自分のことなんかどうでもいいと思っている」(ただし自己犠牲的な意味では全くなくて)とにかく天才としかいいようのない橋本治の魅力が浮き上がる内容になっている。早世といってもいい年齢での逝去が惜しい。

    興味深い対話がたくさんあったが、今読んで特筆だなぁと思うのは、能力を必要とする「参考にする」という行為がだんだんできなくなり「参加」するしかなくなってきて、「全員参加型社会になる」という兆しを指摘している点。15年後のいま、まさに参加する/しないの二択しかないかのような世の中になっているが、中間である縁側を設けてそこに身を置き、ひととの距離を置いてひとを参考にしてひととの関係を深める、そんなありかたへの回帰の必要性に気づかされる。

    多神教と神仏混淆に対する解釈も目鱗である。

    P48 (橋本)「橋本さんの小説ってえが見えるんですよね」とか言われて、「おうやった!」とかって思って。そうしたらそういう言い方してくれる人ってビジュアルの仕事してる人だけだったんです。(内田)そうなんですか。僕は橋本さんの書いたものではむしろ音が好きですけどね。ものすごく音響的に非常に響きがいいんですよ。

    P61 (内田)1950年代ってなんかね、まだ江戸時代の尻尾を引きずっているような感じだったじゃないですか。

    P69 (内田)僕は橋本さんのその能力が多分ものすごく貴重な部分だと思いますね。歴史的に過去にも拡大して行けるけれど、多分同時代でも、水平方向に、性別とか年齢とか職業とか関係なしに、想像力で体感を追体験できる。

    P78(橋本)アルバート・フィニーの時代って、男に天然が入ってるじゃないですか、エキスみたいな。[中略]今の人ってみんなそう(人工的)なんですよね。男も女も。だから、何かしない限り、その人工から脱せられないというのがあるんじゃな
    いかなあ。だからえぐい役やりたがるっていうのがあって。

    P89(内田)世の中というのは、向こうから「おいでおいで」って言ってこなきゃ入れないもんなんだから。誰かがどこかで「おいでおいで」してるから、それを探しなよっていうんです。(橋本)「入れて」って言って「だーめ」って言われるっていう経験を積んで、何回か後に「いいよ」っていう「承認を得る」っていう経験をしてない子はなんか人間関係が根本でダメですね。(内田)共同体というのは向こうからしかドアが開かない。どうやって開けてもらうかそれを考えなよっていうんですけれど。

    P104 (橋本)技術ってある程度のところに行くと余分なことをしたくなるものだっていうことをわかってない人ってとっても多いですよね。[中略]でもできない人って「その余分は要らないから基本だけ教えてください」っていうんだけど、それは絶対に技術と結びつかない。余分という開花のしかたをしないから、決して幸福にならないんですよ。

    P121 (内田)先生っていうのはね「君は才能があるよ。それはみんな気が付いてないけど」っていう、一種あれですよね、愛の告白と同じで。[中略]「この人だけしか、わたしの本当のいいところを知ってる人はいない」って思わせるのが先生の大切な仕事ですよね。(橋本)先生ってそういう意味で愛人じゃないから、「あなたの本当のいいところを私だけが知っているのよ」っていうことを、わからないようにいうんですよね。だから言われたほうはね「本当かな、嘘かな」って怯えてね、それで勉強するようになるっていう。

    P124(橋本)こっちの体力から言ってもね、そんなにすべての人の中に潜り込んでその人のいいことを発見するってことはできないですよ。それはその人を好きになることなんで。嫌いになったまんまでいたい奴っているんだもん。

    P156(橋本)「時代遅れになっている。けど当人は一向に気にしていない」みたいな。あ、それは素敵(笑)と思って。

    P158(橋本)カミソリの小技はないんだけど、ナタ振り回して円空仏みたいのを作れるような、大技と小技の区別がないみたいな、そういう感じというのは年寄りになるとあるなぁと思いましたね。

    P188(内田)橋本さんてすごくパブリックな人だっていう話をしたじゃないですか。基本的にあんまり「私的なところ」がないんですよね、橋本さんて。

    P219(内田)ボランティアとか介護したいとか、スクールカウンセラーになりたいとか、その子たちの体が動いてないんです。動くんじゃなくて、まず観念があって...(橋本)あんたにその能力あるの?というそこから始まらなきゃいけないんです。役に立ちたいとしても役に立てないんです。(近所のうちで鳥にハコベを食わせるという話を聞いて)一生懸命摘んで「はい」って渡したんです。そのときに、「どうもありがとう」と言われたことが、すごくうれしかった。道ばたでハコベが咲いているのを見ると、柔らかくて鳥が好きなんだなと摘んで、自分の手で握り締めてて茎が萎れてた感じまで思い出すんです。

    P228 (橋本)俺はパブリックな人だから自分の仕事の範囲は責任をもってやるけど、それ以外は他人の仕事で他人がやるもんだと思ってる。他人を信用してそこをやらないでいるというのがパブリックでしょう、と。

    P241(橋本)偉い人は意地を張ってでも偉くなくちゃ駄目。[中略]なんか若い人に色目を使う年寄りって嫌じゃないですか。若い人に慕われてもピンとこない年寄りのほうが素敵でしょう。

    P259(橋本)参考にするということができないから、参加するしかなくなってしまったんですね。(内田)「全員参加型の社会」ですか。(橋本)参考にするためにはある種の器用さみたいなのがなくちゃいけないし、上手な人のを見ながら自分もうまくなってみたいなことがあったけれども、参加というのは行くだけでしょう。「私には参加をする権利がある」と言ってしまえば、そういう、うまくなるもへったくれもないじゃないですか。

    P283(橋本)戦うと戦うほうも戦われたほうもみんな傷つくじゃないですか。本当に戦う力があったら、モノを作っていけばいいのに。

    P285(橋本)モーゼが杖をかざせば紅海が2つに割れるというのはあるけれど、そういう時代ではどんどんなくなって来てる。今は小さな人たちが何か能力を持っていなくちゃいけないんだけど、その能力の使い方を間違えているから、プライドだけ高くなって、統合障害になるみたいな方向に行くだけの話。やっぱり参加じゃなくて、何かを参考にしなきゃいけないんですよね。それで、参考にする以上、縁側なないと困るという、そういうものだと思う。人と人との間に微妙な距離を置かない限り、人との関係は深まらない。

    P298(橋本)わたしは批評が要らないんです。ちゃんと紹介してくれれば。ちゃんとした紹介が最大の批評だと思ってるんです。「私がこう読みましたというのが紹介になっているけれども、それじゃ感想文じゃん。「これはこういう本だから読むべきです」というのがちゃんとした紹介文なんです。

    P310(内田)使えるストックって「おや、こんなところにこんなものが。いやこれはラッキー、なぜか今しているこの仕事にぴったりだわ」というものですからね。
    (橋本)わかるのは具体的なことだけで、わかったら一度忘れるんです。膨大な具体的なものでも「こうなのか、こうなのか、」と飲み込んでいったらすとんすとんと入っていって、その時に忘れていくんです。忘れたことによって自分の中で一変発酵して、「結局はこんなんだ」というわかり方をするんですけれども。

    P314(橋本)拾えるものは拾えるのになんでいきなり(宗教に)救いを求めるんだよっていう。(内田)救いってよくないですよね。(橋本)貧乏ったらしいよね。

    P315(橋本)「(古事記の最初は)結局自分の必要なものに一つずつ神様というものを存在させていく。そこのところがとても感動的だったんです。「初めに光があった」とかというんじゃないんですよ。[中略]でも一つだけ欠けているものは何かというと、「自分自身に対応する神」なんですよね。自分が病気になったときに助けてくれる神様がいないんですよ。病気を起こす神様はいるけれども。そうすると仏教は薬師如来が対応してくれるんです。人に対応する神が外国からやってきたから、地域共同体という前近代の中に近代がすっぽり入るという形で神仏混淆は起こるんだと。

    P319(橋本)(アメリカに)王様がいないということと吸血鬼がいないということは同じですね。[中略]もう状況的にアメリカが馬鹿だみたいなところになっちゃってるけど、アメリカってかわいそうなんです。ものがなさ過ぎて。

  • 大好きな橋本治と、最近興味を持った内田樹の対談集ということで読んでみました。

    橋本治が自信を持ってあちこち話題が飛ぶのを、内田樹が常識でつなぎとめようという感じの対談でした。

    たとえば、橋本治は桃尻娘を書くときに、

      俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。

    と、主人公のキャラクターのパーソナリティの作り方を明かすと、内田樹が、

      先生は誰でもそういうことができると思ってるんでしょ。引き算が。あえてしないんじゃないんです。「できない」んですよ。引き算なんて。

    と応じてみせる。うん。全般そんな感じのやり取りが続く本です。

    ★★★

    また、内田樹が自身のブログの敷居が高いと言われたけど、敷居の下げ方が分からないとこぼすと、インターネットをしていない橋本治が、

      簡単ですよ。書き手の個性をもろ出しにしてしまえば、敷居は低くなるんですよ。テヘッとか、入れるとか。

      (snip)

      普通に書くということが、偉そうであるということに、もうなってしまったんですよね。

    この回答が内田樹の役に立ったかどうかは分からないけど。ww

    ★★★

    あと、これは大切だって思って思わずツイートしてしまったのだけれど、

      内田 壊すのは簡単なんですよ。物を壊すのって。作るのは壊す百倍くらい手間がかかるから。
      橋本 でも何かを作ると、ちゃんと壊れるんですよ。最大の破壊は建設なりと思っていますから。
      内田 すごい、これは名言! そうか、そういうことを考えるんだ。
      橋本 だって新しいものがあって、古いものあったら、もういらないな、となって、古いものって完全に捨てるじゃないですか。中途半端な捨て方は、捨ててないんですよ。破壊なんかされると、破壊しちゃったけれど、ちょっと惜しかったんじゃない? といわれますから。
      内田 ほんとうにそうですね。批判なんか、あまりしても意味がないんですよね。批判するくらいなら、批判されているものよりもいいものをこっちで作っていれば、自然に不用品は捨てられちゃうんだし。


    ということで、おもしろいですよ。おすすめ。

  • タイトルそのまんま、お二人の対談集。
    5年くらい前の対談ですが、内田先生が言っていることが震災後も全然ブレてないのがすごい。
    二人が掛け合うごとに話がどんどん広がっていって、面白い。橋本さんの著作は読んだことがないのですが、すっかり橋本先生のファンになりました。

    橋本さんの「教養というのは、くだらないことを分かるためのパーツ」という話がおもしろかった。ことにこのお二人の対談は、哲学から古文から映画から義太夫・能楽に宇多田ヒカルまで知ってないと、すみずみまでは楽しめないものなぁと実感。あぁ、世の中のことが全部知りたい。

  • 本にマーカー引きすぎてえらいことになっている。
    それくらい「そうだよな!」とか「そうだったのか!」が詰まっている。

    身体知は大事。
    水泳ばかりやってたら水泳に有利な身体になるように、
    文句ばっかり言ってたら文句を言うのに有利な身体になる。
    この前読んだ「ミラーニューロン」も、
    人間が形から変化することを証明しているのではないかな。

    特に唯物論的なことを言いたいのではない。
    心というものはあると思う。
    愛とか勇気とかと同じくらいには。

    愛とか勇気とか国家とか常識とか、
    それらすべては共同幻想だから、
    なんとなく皆が「在る」と思っているものは「在る」ことになっている。
    その方がこのよくわからん世界を生きるために都合がよろしいのだろう。

    幽霊もそう。
    天皇もそう。
    天皇が万系一世というのも実際にそうである必要はなくて、
    そういう物語が共有されているというのが大切。
    その方が上手く社会が廻る。
    少なくとも今までは廻ってきたわけであるからね。


    以下、
    興味のあった話題を羅列。

    ・文明化された都市で残された自然は身体である。
    とするとピアッシングやタトゥーは身体の文明化になる。

    ・「、」と「・・・」の違い、タメの表現。

    ・タフネスの理由は幸福な思い出にある。

    ・「義務教育」を「教育を受ける義務がある」と思っている学生が多い。
    「オレ様化する」のは無時間モデルの消費者思考だから、
    少ない労力(授業に出ない・聞かない)で、
    どれだけ利益(単位・点数・学歴)を得るかに執心する(コスパ)。
    とりあえずクレームつける、とかは典型的な「賢い消費者」の行動だろうな。

  • テーマとか気にしないで、おもろいなぁとかなるほどなぁとか思いながら読めばいい本。

  • 対談集の苦手な私が珍しく楽しめた。
    たとえば文学者の語る公共の概念が特に面白い。
    社会学者や政治学者ではなく、文学(研究)者と文学(執筆)者が語る公共:一人ひとりが自分のできることを「お互いさまだからね」と差し出すこと。相手のそれを受け取ること。
    橋本治が「理解できないことを書かない」「理解してから書く」「理解するとは、自分がその話し手になりきれること」という基準を持っていることにも驚き、その責任感に胸が暖かくなった。
    今度、ひとつ読んでみよう。

  • とてもおもしろかった。頭のよい(独自の視点を持ち深くよく物事を考えておられる)ひととひとの、忌憚なくなされるおしゃべりを一緒に聴く楽しみ。

著者プロフィール

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BAcBAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

「2019年 『思いつきで世界は進む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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