- Amazon.co.jp ・本 (519ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480431189
感想・レビュー・書評
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数々の海外の怪奇小説が読める一品。
怖さだけでなく、ジワジワくる悲しさもあったりして奥が深い。 -
エイクマンの短編が読めて感激…
マーマレードの酒と妖精にさらわれた子供、ボルドー行の乗合馬車がとてもよかった -
そういや海外怪奇?小説ってこんな感じだったな…
突然の死!みたいなEND…
ホラーともミステリともいえない合いの子?みたいな… -
先に発売されていた『短篇小説日和』を読み、その続きでもあるので手に取った。表紙のだまし絵的な絵画(『短篇小説日和』の装画と同じレメディオス・バロの作品)が洒落ていつつやんわりヤバくてとてもいい。これだけでも手に取る価値があるというもの。
怪奇小説というからには、幽霊やら悪霊が出てじわじわ、あるいはばんばん住民を襲っていくものが多いのだと乱暴な予測をしていたが、それはたぶんモダンホラーと呼ばれるものであって、実際にはずいぶん違う感じ。「AしたからBが起こった」という因果関係をさほど伴わず、遠いようで近いようでやっぱり遠いんじゃないか、よくわからないや…でも私の隣で起こったよ!みんな、聞いてくれ!という恐怖譚、あるいは奇跡譚が怪奇小説なんだろうと思う。もっともこれは、収録されている編訳者・西崎さんの論考「怪奇小説の黄金時代」で把握できたことだけど。
どの短編も面白く読めたけれど、個人的にはコナン・ドイル「茶色い手」、ロバート・エイクマン「列車」、ヒュー・ウォルポール「ターンヘルム」あたりにザ・怪奇小説の趣きを感じる。アン・ブリッジ「遭難」はパトリシア・ハイスミスの『目には見えない何か』によく似た、厭世感というか引っぱられ感。ヴァーノン・リー「七聖剣の聖女」はドン・ファンがどういう運命をたどるかということよりも、あまりにもきらびやかな修辞に圧倒される作品なので、分厚い『教皇ヒュアキントス』を読んでみたいけれど根気がない…と危惧されるかたにはとてもおすすめできると思う。
作品を一つ一つ楽しめ、最後に西崎さんの論考で締められるスタイルは、私の浅い作品の楽しみ方をがっちりサポートしていただけるので、とても好きです。 -
西洋の怪奇小説というのは、日本のそれと違って定まったパターンのようなものがなく、とても意外な部分で怖さがあると思う。日本で訳出されているものがとても少ないというのが残念。
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一昔前の怪奇小説アンソロジーと違い、個人的には全く知らなかった作家や作品がほとんどで読み応えがあった。だが、最後まで不可解なまま終わった作品や、結末のわからない作品も多く、それも「怪奇小説」の魅力だろうが、モヤモヤが残った。
個人的に、以前から気になっていたヴァーノン・リーの作品が読めたのが嬉しかった。とてもバロック的な印象の残る作品だった。 -
・西崎憲編訳「怪奇小説日和 黄金時代傑作選」(ちくま文庫)は その書名に恥ぢない書である。巻末に、本書所収作は国書刊行会版「怪奇小説の世紀」全3巻から13篇と解説を採り、それに新訳4篇も含めた計18篇とある。本書は文庫版で本編のみ470頁弱だから、平均すれば1作あたり30頁に満たない短編集である。言ふまでもなく、この黄金時代といふのは怪奇小説の黄金時代である。巻末の編者による解説「怪奇小説考」は、そのものずばりの「怪奇小説の黄金時代」といふ一文に始まる。これも含めて、この35頁に及ぶ解説だけでも十分に読み応へがある。いつの間にやらホラーと呼ばれるやうになつた怪奇小説の、さうなる以前の通史や概説が様々な観点から記されてゐておもしろい。ここで編者は、怪奇小説の黄金時代は、アンソロジストスターンの1898年から1911年までの14年間を指すとする説を紹介しながら、かういふ作品への嗜好はごく個人的なものであるから、結局は「おそらく研究家・愛好家によって黄金時代の切り取り方は様々に変化するはず」(480頁)だ。従つて、明確な怪奇小説の黄金時代といふ時代区分はないとしてゐる。実際、その通りであらう。本書所収作もまた先の14年間に収まることはなく、ごく大雑把に言へば、19世紀半ばから20世紀半ばまでの作品を収める。傾向も趣向も様々、コナン・ドイルやシェリダン・レ・ファニュといふ有名作家を初めとしたこのアンソロジー、その名に恥ぢないだけでなくおもしろい書でもある。
・巻頭のフィッツ-ジェイムズ・オブライエン「墓を愛した少年」を怪奇小説と言へるかどうか。そんな雰囲気は全くない。墓を愛して死んでいつた少年のごく短い物語である。佳品とはかういふ作品を言ふのだと思ふ。続いてヨナス・リー「岩のひきだし」、これも怪奇小説といふよりは民話とでも言ふべき作品である。このリーはノルウェーの国民的作家で、「民間伝承に材を取った話を」(18頁)書いたといふ。これもその一つであらう。岩の(引き出しの) 女に取り憑かれた男の物語である。あまり物語に細工をしてゐないと思はれるのが、却つて私には好ましい。これも佳品と言へよう。こんな2作を巻頭にもつてくるあたりに、編者の本書への思ひ入れの深さが知れようといふものである。次の3作目、マージョリー・ボウエン「フローレンス・フラナリー」になるとそれなりに怪奇小説の雰囲気が出てくる。古い館にやつて来た、(もしかしたら)何世代も前の同名の女の生まれ変はりかもしれない女がヒロインであり、この女は最後には(どうやら怪魚に)殺される。女が自分は生まれ変はりかと考へ始め、同時に池にまつはる事どもに囚はれ始めるあたりの雰囲気と心理描写がおもしろい。かうして一つ一つ書いていくときりがない。ただ、本書は怪奇趣味横溢とは言へないのではないかといふ気がしないでもない。これはもちろん古典的な、例へば幽霊譚といふ類のことである。新しいアンソロジーはさういふものをわざと避けてゐたりする。これもさうかもしれない。ただ、そんな中で、ヴァーノン・リー「七短剣の聖女」はヒロイックファンタジーの雰囲気を持ち、J・D・ベリスフォード「喉切り農場」はどこか奇妙なホラーの味はひ、シェリダン・レ・ ファニュ「妖精にさらわれた子供」はレ・ファニュお得意の、その題名通りの妖精譚(もどき)である。これなど怪奇小説、当世風にホラーといふよりは普通にファンタジーとでもいふ方が良ささうである。以上のやうなわけで、本書は確かに編者の腕の冴えを見せる見事なアンソロジーであつた。それゆゑにまたおもしろい書でもある。 -
『短篇小説日和』に続くアンソロジー。
幻想怪奇小説好きにはお馴染みの名前が並んでいるが、読んだことのない・知らない作家名もチラホラあった。
どれも面白いが、選ぶなら『墓を愛した少年』『陽気なる魂』『茶色い手』『妖精にさらわれた子供』の4篇。
巻末に『怪奇小説考』として纏められた3本はどれも解りやすく怪奇小説の歴史や成り立ちを解説していて興味深い内容だった。