学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480684288

作品紹介・あらすじ

「道徳は教えられるか」「学校の勉強は仕事に役立つか」「教育は格差を解消できるか」「AI社会で教育は変わるか」――広い視点と多様な角度からとらえなおす。

感想・レビュー・書評

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  • あけましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願いいたします。(2回目)

    年末に読んだ本のレビューが追いつかないまま、年を越してしまった…
    2023年に残した、わたしの煩悩かも。
    新書のレビューって長くなっちゃうんですよね。
    2024年は、もう少しレビューを早くコンスタントに端的に、したいものです。

    仕事に行き詰まり、どうにかあの子に届けられる言葉がないか、伝わる言葉がないか、そんな思いで読んでいった。
    この、ちくまプリマー新書というのはそもそも、「若い読者のみなさんにも読みやすいよう、わかりやすい表現で書かれた、学生から大人までオススメの新書」であって、「一般的な教養新書と比べて、普遍的なテーマを扱い、入門書が多い」シリーズだ。
    だから、学校に行けない子どもに、何か、学校というもの、学校に代わる居場所の大切さを伝えられる、何かわかりやすい言葉があるのでは、と、わたしは必死に答えを探したし、視野狭窄に陥っていた。

    そもそも、教育とは。
    P55「いわば、『一人ひとりが未来の新しい社会を作り出していく主人公のような存在になること』が目指さされているのです。」
    これが、教育基本法の第一条で定められた、教育の目的。
    教育学部でないわたしにとっては、初耳だった。

    そして、学校で学べるものは、P95「『この世界が何なのか』について縮約・再構成された知識や文化であり、あるいは、それをベースにした技能の習得のようなものです。ですから、日常世界での経験では学べないものが『カリキュラム化された知』」であるので、「親や友達からは学べないような種類の知を学ぶことができ」るのだ。そうすることで、P96「子どもたちは親の職業とは別のさまざまな進路の可能性が開かれるので」ある。

    そうは言われても、学校で行われているものに興味を持てない子はいる。
    でもそれは、P100「学校の知の本質です。つまらないと思った人は多いと思いますが、学校はそういうものです。身近な日常経験とは切り離されたものを教わっているので仕方が」ない、とのことだ。

    タイトルにもなっている通り、学校は退屈なものなんだ。
    それでもなんで大切なのか。
    ①P184「学校は子どもたちを学習に没入させようとするさまざまな仕掛けをつくってきているからです。子どもたちの多くは、『勉強したい!』と思って生きているわけではありません。そういう子どもたちを『勉強に没入させる』という、学校という装置のもつ強みは簡単には捨てがたいはずです」。
    ②「『学級』とか『班』とか『グループ』とか、そういった小集団をうまくコントロールしながら学習を進めていくというやり方がおそらく今後も有用だし、そのためには、子どもたちを集めて対面状況で授業を進めることがなくなることはないだろう、と思うのです。」「積極的でない子どもにとっては、『みんなとその場で一緒に』というのが、動機づけの面で欠かせないように感じます。また、周囲を観察して、周りの友だちの様子や発言などから学ぶといった部分もまた、子どもの学習過程で欠かせないものです。」

    と、抜き出しでざっくりまとめると、以上が「学校が退屈で大切な」理由である。

    この作品の興味深いのは、現在の教育方法や家庭環境によって格差が生じていることを認めつつ、ベーシックインカムや給付型奨学金、授業料の無償化などにも触れているところである。
    また、最後は学校に意味を見出せない、学校に行きたくないと思っている子どもたちへエールが送られている。

    それでも、最後まで読んで思うのは、教育の目的はやはり、子どもの「将来」にある。
    なんだか、「今」苦しんでいる子たちを置いていっているように感じる部分もある。この作品を最後まで読んでも、わたしが求めていた答えを見つけることはできなかった。不登校についての本ではないので、確かにそれはそうなんだけど、あくまで定型発達の子をターゲットとしていて、現在の、様々な背景までは描ききれていない、というところだ。でも、それはたぶんわたしの求め過ぎだ。それを求めるならちくまプリマー新書ではなく、「一般的な教養新書」を読め、という話だ。

    ただ、様々な背景を考慮しなくとも、現代を生きていくには、お金がかかりすぎる。
    子どもを産むなんて、育てるなんて、大学へ入れるなんて、あまりにも無理すぎる。罰ゲームかと思うくらいのお金がかかる。わたしは自分ひとり生きていくので手いっぱいなのに。ただでさえ、生きづらさを抱えた人が多いのだから、せめて費用的負担だけは、政治でなんとかならんのだろうか。政治家の裏金が何のお金か知らないけれども、その裏金を子どもの教育にまわしてくれたら、国民が現在抱えている奨学金なんて、全部返済できるのではないだろうか。

    なんて、こうやって政治のせいにしてばかりではなく、わたしはわたしのできるところから、あの子に届けられる言葉を見つけていかないとね。

  • 【感想】
    「なんで勉強しなきゃいけないの?」
    円の面積も、徳川家の歴代将軍も、アンモニアの化学式も、社会に出てしまえば一切使わない。いずれ不要になる知識を頭に詰め込んでなんになるのか。多くの子どもたちがそんな疑問を抱えながら、意味の分からぬままに教室に座って退屈な授業を受けている。
    だが、そうした知識は決して無駄にはならない。教育は子どもたちに「可能性」を与える。そして、可能性を与えるという機能を持つがゆえに、「学校は退屈」なのである。

    本書は、「教育と社会化」というテーマを軸に、日本の公教育の意義と目的を考察する一冊となっている。書の前半では、学校の目的と機能、学校知vs社会経験、道徳教育の方法といった、教育に関して議論百出される重要トピックについて論じる。後半はさらに発展し、家庭環境と教育機会の不平等、個別最適化の学び、教育とAIの関係性などを論じていく。

    「すぐ役に立たなくなる学校の知識なんかより、社会経験を重視すべき」という声は大きい。だが筆者はこれに反対の立場を取っており、そもそも「歴史は逆だ」と説明する。近代までは、学びは主に「社会経験」の中で身に着けるものだったのに対し、それだけでは複雑化する世界に対応できなくなるという懸念のもと新設されたのが「学校教育」なのだ。

    学校がなかった時代において、人間形成は、普段の生活の中で周囲の大人と一緒に生活することで行われていた。同時に、生きていくためのスキルも大人たちとの関わりあいの中で継承されるものであった。羊飼いの子は羊を世話するスキルを教わり、農民の子であれば農業を覚える。そうして家業を手伝ったり、雑談の輪に入ったりする中で、いろいろなことを覚えていく。生活それ自体が学習の過程であり、そこで身に着けたスキルは、家業を継ぐ形で限定的に発揮されるものだった。
    しかし、社会が発展して複雑になると、日常の身近な関係だけの中の学習では対応できなくなる。そのため、「経験によっては子どもが到達し難い部分」、つまり、身の回りにないものを学ばせる必要が生じてきた。それが「学校での勉強」なのだ。

    そもそも、近年やたら神聖化されている「経験」は、状況によって全く役に立たなくなる。転職すれば今までの会社のやり方が通用しなくなるなんてザラだし、相手によって対応のルールが変わるなんてしょっちゅうだ。ジョン・デューイは、「経験の材料は、本来、変わりやすく当てにならない。それは、不安定であるから、無秩序なのである。経験を信頼する人は、自分が何に頼っているのかを知らない。なぜなら、それは、人ごとに、また、日ごとに変わり、そして言うまでもなく国ごとにも変わるからである」と言っている。個人の経験というのは偶然的で特殊的であり、人によって狭く偏っている。経験しか重視しない限り、羊飼いは羊飼いにしかなれず、農民は農民にしかなれないのだ。

    だから、学校での教育が重要になってくる。学校での教育――国語・算数・理科・社会だけでなく、規律や上下関係や友達とのコミュニケーション――は、いわば世界の縮図だ。教養や文化を効率的に取り入れるためにカリキュラム化された知識こそが、公教育であり、それによって、子どもたちは知らない世界に足を踏み出すことが可能になるのだ。

    しかし、世界の全般的な知識であるがゆえに、その内容は日常の経験とは疎遠であり、子どもにとってなじみにくいものである。学校は生活に無関係な知識を身につける場であるがゆえ、本質的に退屈であり、それゆえかけがえのない価値があるのだ。

    ――家族や友人からだけ学び、家族や友人との世界だけで生きるのは、「狭い」と私は思います。世界中の貧しい農村で暮らす子どもたちは、このローカルな世界の狭さに閉じ込められてしまっています。日本でも、子どもたちは、多様な可能性を持った生き方が選択できることが望ましいはずです。地元にしばりつけられず、仲間に頼らざるをえないわけでもなく、もっと自由と可能性に富んだ将来展望ができること、 多様な進路や生き方の選択肢をもてるということが大事だと思うのです。子どもたちにそういった幅広い可能性を与えてくれるのが、学校です。

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 教育と社会化
    教育の定義:「教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである」

    教育の難しさの一つは、教育をしても学習が発生しないことがあるし、逆に、教育なしでも学習は発生することにある。
    学習とよく似た概念が「社会化」だ。人が外にある何かを自分の知識や感じ方として学ぶことを、「社会化」と呼ぶ。個人が学習することの多くは、たいていの場合、社会の中にある知識や考え方や価値観や感じ方であるため、通常は、学習は社会化とほぼ同じ意味になる。

    子どもは、社会化を誘発するようなたくさんの人や物に囲まれて生きている。学校教育はその中の一つに過ぎず、影響は限定的である。
    学校はさまざまな仕掛けを作って、子どもたちを学習活動に没入させようとしてきた。学級という囲い込み空間、教師―生徒という上下関係のある役割構造、他の子どもとのコミュニケーション、成績評価による記録と選別などだ。しかし、その没入が時にいきすぎてしまい、学校でのあらゆる活動を教育化しようとした結果、過度な統制や意味不明な校則が生まれてしまう。
    学校は他から切り離された空間を作ることで、子どもたちを学業に専念させようとするが、同時に、外部との情報をつなぐ「仲間集団」も学校によって形成される。学校は子供たちを社会から隔離しきれないのだ。


    2 学校の目的と機能
    教育基本法や学校教育法からみた学校の目的は、「社会の一員を育てる」、「社会に適応する人間を育てる」のではなくて、「自分で社会を作りだしていけるような子どもたちを育てなさい」ということである。

    学校の機能は、①社会化 ②選抜・配分 である。
    社会化機能は時に暴走することがある。学校や教師が「これを学ばせたい」と思っているわけではないのに、子どもたちが勝手にまずいことを学んでしまうことだ。
    また、選抜・配分機能も暴走することがある。例えば受験でいい点を取るために、それに合わせた教育を行うこと。選抜・配分機能への対応を目的化してしまい、本末転倒な教育や学習をしてしまう。


    3 知識と経験
    学校で教えられる知識(学校知)がなんの役に立つの?そう考える子どもはたくさんいる。また、学校知よりも現場での経験が重要だと考える大人もたくさんいる。

    学校がなかった時代において、人間形成は、一次的な生活世界、すなわち普段の生活の中で周囲の大人と一緒に生活することで行われていた。羊飼いの子であれ、農民の子であれ、子どもたちは大人と一緒に暮らし、家業を手伝ったり、雑談の輪に入ったりする中で、いろいろなことを覚える。生活それ自体が学習の過程だったのだ。
    しかし、社会が発展して複雑になると、日常の身近な関係だけの中の学習では対応できなくなる。そのため、「経験によっては子どもが到達し難い部分」つまり、身の回りにないものを学ばせる必要が生じてきた。それを補完するのが学校なのだ。

    モレンハウアーは、子どもたちは学校に通って「カリキュラム化された知」を学ぶと述べてしている。「カリキュラム化された知」というのは、この世界を再構成して縮約(縮尺)したものだ。つまり、「この世界が何なのか」について再構成された知識や文化である。
    モレンハウアー「そこでは子どもたちは、学校のような実生活から区別された空間のなかで、言語的・記号的に組織された知識を学ぶことになる。……子どもたちは、知の世界を通して現実世界とは何であるかを知り、こうして現実世界への参入が準備されることになる」。
    カリキュラム化された知によって、子どもたちはより広い世界に出ていくことが可能になるのだ。


    4 なぜ学校の勉強はつまらないのか
    学校で教えられる知は、子どもの日常生活を超えた知だからこそ重要である。ただしそうであるがゆえに、その内容は日常の経験とは疎遠であり、子どもにとってなじみにくいものである。学校は生活に無関係な知識を身につける場であるため、本質的につまらないものであるのだ。
    ジョン・デューイは、「経験の材料は、本来、変わりやすく当てにならない。それは、不安定であるから、無秩序なのである。経験を信頼する人は、自分が何に頼っているのかを知らない。なぜなら、それは、人ごとに、また、日ごとに変わり、そして言うまでもなく国ごとにも変わるからである」と言った。個人の経験というのは偶然的で特殊的であり、人によって狭く偏っているのだ。

    また、知識があるかないかで、経験の質そのものが変わる。
    デューイ「知識の内容は、すでに起こったこと、終了し、またそれゆえに解決され、確実であると考えられているものなのであるが、知識の関係する先は未来すなわち前途なのである。というのは、知識は、今なお進行中のことや、これから行なわれようとしていることを理解したり、それに意味を与えたりする手段を提供するからである」

    われわれは色々な知識を身につけ、現状を認識し、未来に向けた判断をする。世界がどうなっているかという知識をみんなが勉強して、それを使って眼の前の現実を解釈して、新しい事態への対応に活かす。それが学校知の役割なのだ。


    5 道徳教育の難しさ
    道徳教育が困難な理由は次のとおりだ。
    ①道徳とはそもそも何か、ある道徳の体系が正当化されるとしたら、その根拠は何か、という難題がある。
    ②誰がどういう道徳の中身を選ぶべきなのかという問題がある。
    ③道徳は教えられるものなのかという原理的な問題がある。

    そもそも、学校という場は道徳の時間以外にもさまざまなやり方で道徳的影響を子どもたちに与えている。マラソン、社会科見学、修学旅行、グループ学習、部活動など、さまざまな活動を通じてルールや社会の仕組みを教えている。また、先生の話をじっと聞く(規律)、遅刻しない(時間厳守)、クラスメイトと仲良くする(他者との関係構築)など、学校の制度そのものが道徳的な学習をさせている。「学校で普通にやっていく」ということ自体が、子どもたちに「よい振る舞い/よくない振る舞い」についてのさまざまな観念を作っていく。

    一方で、日本の学校の「道徳」には、少し偏りが見られる。
    ①「あなたはどう生きるか」という、個人的な生き方やふるまいに関する主題ばかりが大半を占めていて、その結果、社会や世界で起きている複雑な出来事について、きちんと善悪を判断できるようになる、という視点が十分でない。
    ②「すでにできあがっている社会に新しい世代が加わっていく」という社会像を前提にしている。

    学校で学ぶ知識は、社会の出来事を正確に理解し、道徳的な共感や想像力を広げていく上でも役に立つ。教育を受けなくても、人は身の回りの世界に対しては自然に共感を持つようになるが、それはあくまでも「世間」の範囲でしかない。共感の範囲が狭いと、人はその範囲の外側に「敵」や「よそ者」をさがしてしまいがちになる。はるか遠くの地域に住んでいる人々の暮らしや文化に思いをはせたり、未来の社会や世代への責任を考えたりすることができるようになるためには、教育の役割が必要不可欠なのだ。

  • タイトルに惹かれて購入した。
    自分も学校での勉強って将来必要ないんじゃないかと思うこともあった。
    しかし、なぜ学校が大切で、ずっと必要とされているかを改めて認識することができた。
    ただ大事だと言われるよりも納得感があるし、たくさんのことを学校から学んできたんだなと感じた。
    学生は特に読んでほしいし、学生じゃなくても学びたいと思わせられる一冊でした。

  •  価値観が多様化している昨今。教育の専門家は学校というものをどの様に考えているのかを知りたくて手に取ってみた。

     実際は、「学校」という枠にとらわれず、「教育とは何か」に焦点を当てた書籍。

     繰り返し述べられていたことは「教育とは生きる社会を創発する人材を育成する場であること。」

     残念ながら、現段階の学校教育はそのような思想を伝える場にはなっていないようだ。

     私は、たまたまこの本を手にして、思考を巡らす事が出来たが、この事は学校で教わった記憶もないし、今後の子どもたちが教えて貰うことは期待できない。

     とてつもなく大事な事が書いてあると思う。ぜひ教える立場の人には読んで欲しいと願ってしまった。

  • 読みやすい、分かりやすい。そして、時事ネタも。

    ・教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすること。
    ・条文より…素案は「人格の完成」ではなく「人間性の開発」だった。「一人ひとりが未来の新しい社会を作り出していく主人公のような存在になること」が目指されている。
    ・「偏向」よりも「教育内容の過度の画一化」の方こそ警戒すべき。
    ・学校は、この世界がどうなっているかということを、言葉や記号を使って子どもたちに学ばせる役割を果たす。
    ・高卒で仕事ができる人は、自分でお手本となる人を見つけて成長できる。経験から学ぶ人。大卒の人は、自分で勉強をする人が、仕事ができる人になっていく。
    ・精神的な距離が遠くなると道徳的無関心が生じる。
    ・AIが導き出した最適解を拒否することの正当性を主張する論拠を提示することは、困難になるはず。

  • 友人で、とっても頭がいいのに、まったく勉強をしなかったため、学校の成績が冴えなかった男がいるのですが、この本を読んで、その友人のことを思い出しました。
    「学校は、子どもの興味の有無とは関係なく、将来、仕事をする上で必要になる知識を満遍なく教えるところであるため、興味をもてない項目について、子どもは退屈になりがちである」という趣旨のことが、この本には書かれていまして、上記の友人の、勉強への取り組みについて、すごく納得できました。

    学校教育は、誰もが触れることになる、とっても身近なものですが、実は、その目的については、明確に理解できていない人もいると思います。
    そういう人にこそ、この本はおすすめです。

    ちなみに、広田先生の本については、以前からずっと「読まなきゃ」と思っていたのですが、広田先生の本を読んだのは、この本が初めて。
    いいタイミングでいい本に出合えたと思います。

  • タイトルに惹かれて気楽に読み始めた。
    話し言葉で書かれているため、読みやすいかと思いきや、辞書を片手に読みすすめ、かなり深い内容でした。

    読み進めてみて、タイトル通り学校は大切だということが、より一層感じられた。
    子どもたちにどれだけ興味を持たせることが出来る先生がいるかは?(個人の感想)

    作者は若者に向けて、期待を込めてこの一冊を書いている。
    悲観しすぎないで、こんな根拠もあるし未来は明るい、ただし自分は何が出来るか、自分と自分の周りの狭い世界だけで考えるのではなく、「善き世界の倫理」を心に持って、世界をよりよくしていって下さい。というメッセージが伝わりました。

  • 学校は長い廊下で、その先に広い世界が広がっている。また、世界の縮図をコンパクト化した内容を学校で習っている。色々な発見や気づき、可能性を得るためにも必要なところである。学校の知の本質は、身近な日常経験とは切り離されているので、つまらなくても仕方がない。
    上記のようなことが書かれており、学校や教育についてわかりやすく整理されてまとめてある。

    本書にも出てくるように、教師の大きな仕事は「子どもをやる気にさせること」である。小学生に対して「将来につながるから…」と言っても、学習意欲は向上しない。身近な経験との関連に気づかせる、調べたくなる問いをしかけるなど、うまく「学習したい」と思わせることが大切だと改めて感じた。


    ・同じものを見ても、知識のあるなしで経験の質が違う。
    ・ヨーロッパの格言「地獄への道は善意で敷き詰められている」
    ・知識を持つことは、その対象に対する想像力を発揮させることができるのうになるということ

    個別最適化はゴールが揃わない!という意見も出てきていたが、確かにと思うところもあった。自分なりに考えたい。

  • わかりやすく解く学校の役割

    学校関係者であるが、かなり勉強になった。近年、学校に求められる社会的な役割が多くなってきている。そんな昨今の教育事情をコメニウスの考え(教員採用試験ぶりに聞いた)や、教育基本法、日本国憲法等を根拠に教育学的・社会学的な用語を使用して本来の学校の意義を整理していく。(「社会化エージェント」「教育の目的」「教育の作用」「学習」「教育」「学校の知」etc)タイトルにある学校の退屈さの理由も、明快に説明される。後半はAIと教育の関わりや若者への期待で締め括られる。

  • 全てに同意する訳ではないが、社会の中での学校の役割やその範囲と責任などに問いを立て、筆者なりの意見が展開される。二項対立的な論点がたいへん読みやすく、考えさせられる。

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著者プロフィール

1959年生まれ。現在、日本大学文理学部教育学科教授。研究領域は、近現代の教育を広く社会科学的な視点から考察する教育社会学。1997年、『陸軍将校の教育社会史』(世織書房)で第19回サントリー学芸賞受賞。著作に『教育は何をなすべきか――能力・職業・市民』(岩波書店)、編著に『歴史としての日教組』(名古屋大学出版会)など多数。

「2022年 『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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