- Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687531
感想・レビュー・書評
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物語、とは、人が生きる上で感じる不合理や不条理をたえたり乗り越えたりするために作るもの、できているもの。という話だった。
また小川さんは小説をつくる際に、イメージが先にあり、イメージが細部や歴史を語るのだという話は面白かった。言葉は、イメージを集約して固定するがゆえに便利だけど、その言葉に再び拡がりを与えて自由にすることが、物語・小説をつくることなのかなと思った。
その考えからすると、絵本というのは物語を表現するうえでとても自然な形なのかなと、思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても読みやすい新書、なのに端々の言葉に心が揺さぶられました。特に、小川洋子さんの創作の原点、死生観の原点になったと思われる原体験について語られているところは、涙が溢れました。そのエピソードは、小川作品に登場する人物を想起させ、作品の奥行をさらに深めることになりそうです。
物語の世界に触れる価値に気づかせてやることは、親として子に残せる最大の財産なのではないかとも思う。 -
S901.3-プリ-053 000499251
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この本は
この本は作家の小川洋子さんが物語の役割や私の物語の作り方、私と物語との関わり方について語った講演の内容を一冊の本にまとめたものです。物語の持つ力の大きさと、普段本を読む人はもちろん、読まない人でさえも知らず知らずのうちに物語が人生と切り離せないものになっているということを作家の視点から丁寧に語っています。
物語が生まれる時
とうてい現実をそのまま受け入れることはできない。そのとき現実を、どうにかして受け入れられる形に転換していく。その働きが、私は物語であると思うのです。(P25)
日航機ジャンボ機墜落事故で幼い息子を亡くした母親は「自分が子供を殺してしまったのだ」というフィクションを生みだすことで抱えきれない悲しみの源をその中に持ってきていました。またナチスドイツの迫害を逃れるために潜伏していたアンネ・フランクは架空の友人キティを日記の中に作り出し語りかけています。
読んでみたい本『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本があります。あるアメリカ人作家がラジオを通し募集した物語をまとめたもので、応募者が体験した事実であることとラジオで読める程度の長さであることのみが応募条件でした。作家ははじめは集まるのか不安でしたが、次々と来る物語とその面白さに驚きます。物語は現実の中に隠れていて、体験した人がそれを言葉にした時、それは物語になるのです。
理想の小説
ですから私はときどき、小説を書きながら、書き手であるはずの自分自身がいちばん後ろを追いかけているな、と感じます。(中略)そういうすでにあるものの後を一生懸命追いかけて行って、振り返ったときに、自分の足跡が小説になっているという感じです。(P49)
作家が物語を作る時でも全てを妄想から作るのではなく物語そのものが持つ力に導かれないと小説は書けないそうです。登場人物が「ここにいるからね」と声を発して小説の中の実在しない人物と現実にいる読者が目配せを交わせるような小説を小川さんは理想としています。小川さんの作品を読むと「なぜこんなところに?」という場所にいつの間にか居ついている人が出てきます。多くの場合、少し不思議な職業や人との関わりをしている人たちです。読み終わってしばらくした後、また会いたくなり本を開かせる彼らの存在こそがまさに小川さんの理想とする距離感なのでしょう。
物語は廃墟から生まれる
(前略)その廃墟の中に隠されているいろいろな記憶のかけらをつなぎ合わせて、一つの情景、映像を思い浮かべていきます。(P67)
小川さんの小説の書き方なのですが、テーマや人物の設定を先に決めるといったことはまずしないそうです。そもそも、こうと決めて一行で書けるテーマがあるくらいなら小説にする必要はないそうで、それは確かにその通りだと思います。では何から始めるかというと、ここがとても小川さんらしいと思ったのですが、場所を思い浮かべるそうです。想像の中でそこはすでに廃墟になっていて、そこで過去にあったであろう出来事を手繰り寄せるように細かい場所の描写をしていく。人物はというと、それはすでに死んでいて死者の生前の生活を懐かしむように書いているというのです。
小川さんの作品から受ける印象とこの書き方がぼくの中でぴったりと重なって腑に落ちました。外国のような雰囲気は場所をはじめに描写するから強く印象に残り、静謐で寓話的であるというのは死者を懐かしむ気持ちからだったのですね。
また、小川さんは作者が体験していないことを表現することは難しいといっています。なので小川さんと同じ立場の人間を登場人物として描き、あとは人間の内面ではなく実際に目に見えるものを書いていくことに留めているそうです。読者に委ねているというより、正解がないのだから書きようがないといった方が近いでしょうか。
『1941年。パリの尋ね人』
これはナチス占領下のパリの新聞のお尋ね人欄の偶然目に留まった名前について調べたことをまとめた本。尋ね人はアウシュビッツ強制収容所に送られガス室に入れられたであろうということまで分かるのですが、この本こそが物語が死者との対話であることの象徴のような本。
「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれにつきるのかもしれない」(P77)
書くことに行き詰まったとき、小川さんはこの本に書かれたこの一文を読み返すそうです。
小川さんと物語の関わり
第3章では小川さんの幼少期からの読書体験が書かれています。歯医者さんの待合室で出会った絵本や両親が買ってくれた世界こども文学全集や夢中になったファーブル昆虫記の話が書かれていますが、ある日幼少期の小川さんは気づきました。いままで読んだあらゆる物語は困難な状況を特別な存在であるということを利用して乗り越えて最後には幸せになるというものばかりだと。不自然だし自分には関係がなさすぎると思ったのかもしれません。そんな時に出会った『トムは真夜中の庭で』という本だったそうです。
特に作中に出てくる真夜中の庭園の丁寧な描写が素晴らしいと絶賛しています。もしかしたら、作家小川洋子の目指す風景描写はこの本にあるのかもしれません。いつか読んでみたいと思います。また、主人公のトムの庭園のように特別な何かを胸の中に持つことが、人にとっては特別なのだと思うようになりそれが自我を意識する大きな体験になったそうです。
さらには小川さんは八歳の頃に身近な人の死を初めて体験しそのことが根本的な物語の役割に触れた初めての体験だったと書いています。
小川さんが物語を書く理由
最後に小川さんが小説を書く理由が書かれています。言葉も文化も違う人たちが心を通わせるすべとして同じ経験をしたということに寄る辺を見出すなら、それが同じ小説を読んだという経験だったのなら、自分の小説がそれになれればとても嬉しい、という思いで小川さんは小説を書いています。それは小川洋子作品が好きなぼくにとっても嬉しいことです。 -
2013年134冊目
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タイトル通り、著者にとって「物語とはなんぞや」ということが書かれた一冊。
講演した内容をまとめた本とのことだが、とても読みやすい。
創作の世界に足を踏み入れた人間であれば、わかるわかると頷かずにはいられないのだろうか。
もっと早くこの本と出会いたかったというのが率直な感想。
文中で取り上げていた『トムは真夜中の庭で』にも興味を引かれた。
彼女の物事の捉え方は、どこを切り取っても美しい。 -
学生時代に国語の授業でこれを読みたかった。
著者には漫画家の井上雄彦さんと同じモノを感じる。 -
なんか好きだな。
ものつくりと一緒。 -
言葉に書けないものを言葉にするのが小説家というのには参ります。クリエイターとはみんなそうかもしれないけど。モヤモヤしたことをモヤモヤしたままにするのか、明確に定義しようとするのか。再現性の問題か?