ミシェル・フーコー講義集成〈6〉社会は防衛しなければならない (コレージュ・ド・フランス講義1975-76)
- 筑摩書房 (2007年8月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480790460
作品紹介・あらすじ
20世紀最大の思想家ミシェル・フーコーの、"知"のエスタブリッシュメントの頂点に立つコレージュ・ド・フランスにおける講義(講座名;思考諸体系の歴史)の貴重な記録。1971年から死の直前の84年6月までの伝説的な講義では、壮大な思考の全容が各年度の尖鋭なテーマに沿ってスリリングに明かされてゆく。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
ミシェル・フーコー講義集成〈6〉社会は防衛しなければならない (コレージュ・ド・フランス講義1975-76)
(和書)2013年01月24日 13:04
ミシェル フーコー 筑摩書房 2007年8月
「権力」は「身体」に加えられら「馴致」である。
かなり面白い。題名では全く想像できない内容でした。
権力のテクノロジーとか権力を考えることが人間を考えることなのだ。権力を止揚することはできない絶望と、それに対し対抗運動としてありえることは希望である。そういったことを考えるのに非常に役立つ良い名書です。
取り敢えず講義集を読むつもりだったが、思考集成も読みたくなった。
フーコーに嵌る。 -
フーコーのコレージュ・ド・フランスの75-76年の講義録。
この時期は、「監獄の誕生」と「性の歴史」に挟まれたところで、フーコーの権力論が、規律権力から生権力に転換する大きなターニングポイントである。
で、講義のほうも、なんだかいつもより熱いというか、ストレートな問題意識がでているところが多くて、刺激的である。
もちろん、フーコー特有の昔のテクストの読み込みはあるのだが、ここでの主役はあくまでもフーコーの問題提起の部分。
ある意味、「監獄の誕生」や「性の歴史」といった完成品の本における緻密な議論を読むより、フーコーの思想が、ラフな形ではあるが、それだけストレートに伝わってくると思う。
そして、それは歴史を再解釈することを目的とするものではなく、あくまでも当時の時代の政治状況を踏まえた政治参加(アンガージュマンなんて、昔よくいってましたね)、実践なんだな。
いかに人を生かすための権力が、他者を殺し、自らも自殺に追い込む権力にかんたんに転換しうるか。
これは、20世紀の前半を覆い尽くしたファシズムやスターリニズムを射程にいれているだけでなく、70年代中盤における政治状況、ヴェトナム戦争、スペインのフランコ政権、チリのアジェンデ政権のクーデターによる転覆、カンボジアでのポルポト政権の成立などなどが念頭にあっての話しである。
今でも繰り返される民族紛争、民族浄化などを読み解くための戦争論、管理社会論、ナショナリズム論でもある。
30年以上たった現在でも、このときのフーコーの問題意識にまだ私たちは追いついていないかもしれない。 -
・幼児の性欲の「不要さ」のくだりは
現代の幼児性愛論議につきつけられるべき部分だと思う
この部分をフーコーは性的マイノリティである自分を通して見ていたのか
それとも客観的に彼なりの哲学を通したのか
私は後者だと思うからフーコーが好きだ