「ブレードランナー」論序説 (リュミエール叢書 34)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480873156

作品紹介・あらすじ

主要なシークエンスとショットを追って、物語と映像の展開をテクスト論的立場からダイナミックに解きほぐしつつ、映画技法と映画史と映画理論についての再検討をもおしすすめる野心的な論考。

感想・レビュー・書評

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  • 映画の冒頭、ロサンジェルスの夜景を見下ろしている「碧い瞳」が映し出される。その碧い瞳の持ち主は誰かという魅惑的な謎を提示しながら、筆者は映画の文法を用いて、それを解いてゆく。筆者は『ブレードランナー』はフィルム・ノワールであるという。一般的にはフランスの暗黒街を描いた映画と解されるこの言葉を、「近代都市に起因する孤独と法と欲望の葛藤の寓話」だと別の章で定義してみせる。なるほど、頻出する夜の雨、逆光、たゆたう煙や湯気、サーチライト、ブラインド越しの光と影、たしかにフィルム・ノワールを彩るモチーフには事欠かない。

    謎を解明する物語はオイディプスの悲劇に起源を持つ。オイディプスの物語は自己の出自を探索するメロドラマでもあった。メロドラマと推理小説は同じ起源を持っていたわけだ。その意味でフィルム・ノワールである『ブレードランナー』は、メロドラマであり、悲劇でもあるという二重構造を持っている。

    そういいながら、筆者はフィルム・ノワールにはつき物の「殺し屋」でもあり、「刑事」でもある元ブレードランナーのデッカードを「主人公」と括弧づけで呼ぶことで、その正当性を留保する。たしかに、女を後ろから撃ち、女に命を救われ、最後には敵に助けられるデッカードは最後までいいところを見せることのない、いわばアンチ・ヒーローではある。

    筆者の解釈によれば、デッカードが受け持つのはメロドラマの方の主人公で、悲劇の主人公は、生きる期限を4年と定められ、その運命に刃向かい荘厳な生を生ききるレプリカントのロイの方だったのだ。この映画を典型的な古典的ハリウッド映画だと位置づけながら、メロドラマの中に埋め込まれた悲劇の比重の重さ故に亀裂が生じているという筆者の指摘は説得力を持つ。

    よく知られているように『ブレードランナー』にはプロデューサーズカット版とディレクターズカット版の二種が存在する。監督の意図を忠実に伝える後者の方が正統な位置を占めるだろうという観客の大方の予想を裏切り、筆者は前者の方こそが映画の文法から見て、首尾一貫していると主張する。そして、監督の意志を金科玉条の如く尊重する向きを「作者の死」という概念を用いて切断する。

    ポップキリスト教神学や頻出する円環表象の解釈と、自身は図像学的表象と自由に戯れながら、デッカードの相棒ギャフの鶏とユニコーンの折り紙について、インターネット上に氾濫する解釈を不要な謎の解明と切って捨てるあたり、また、あえて断章形式で提示しながら、リニアに論を進めていく態度から見て、バルトを引用しながらも、どうやら筆者は他者には「テクストの快楽」を許さないらしい。少し長くなるが、蓮実重彦の『大江健三郎論』からメロドラマの定義を引用する。

    メロドラマとは、距離の特権的な操作者としての作家がいずれは開示されるべき真実をめぐってその真実の在りかと意味とを一時的に隠蔽しうるもろもろの符帳を巧妙に配置し、その配置ぶりをたどりながら、解読すべき最後の記号への歩みを操作することで成立する距離と密着の戯れのことだ。

    大学教授が学生相手に講義するというスタイルで通され、特権的な知を持つ者が、映画学の知識が詰まった抽斗を開けたり閉めたりしながら逆説を弄して無知な観客を引っ張り回すという嫌いがなくもないが、映画に関する蘊蓄は本物で、これはこれで立派な一つの物語になり果せている。この作品は、「『ブレードランナー』論序説」という物々しい題名を冠し、映画学特別講義という副題まで持つが、その実、映画『ブレードランナー』の本当の主人公は誰かという「真実」をめぐるメロドラマなのである。

  • 【選書者コメント】SFスペクタクル映画『ブレードランナー』で全映画史を語り尽くす。
    [請求記号]7700:1351

  • 洋画「ブレードランナー」を題材にした映画論。
    ストーリーに沿って展開される様々な演出、表現の意図への考察から、影響を及ぼし合った作品群も交えた映画史の流れにも言及していてかなり読み応えのある本だった。
    漫然と見ているだけでは気付かなかった着眼点が多々あり、「ブレードランナー」という作品と再び向き合ってみたいと感じさせてくれる本だった。その際は、書中にもあるように本書から得た観点を参考にしながらも、自分なりに作品への理解を深めていきたい。

  • ディレクターズ・カットやファイナル版を珍重する巷の傾向と違って、プロデューサーズ・カットを「解りやすい。監督版が優れているとは限らない」とするのは納得。
    だけど読みづらい箇所が多く、そんな部分は跳ばし読み。なんでこう、もってまわrた書き方をするのか。

  • こんな映画論初めて読んだ!面白すぎて心臓バクバク。筆が立つっていいなぁー。

  • あとがきで自ら豪語しているように,「本書はいまのところ世界でもっとも網羅的な『ブレードランナー』論である」。一つの作品で1冊の本を書くのだから,この言葉は大袈裟ではない。こういう本は,私の蔵書のなかでも他には,工藤庸子『恋愛小説のレトリック――『ボヴァリー夫人』を読む』程度のものだ(もちろん新書レベルであれば,加藤氏も既にヒッチコック『裏窓』で一冊書いているが)。
    ともかく,冒頭から刺激的な本である。「網羅的」というのは単に,『ブレードランナー』の始めから最後までを詳細に論じているだけではなく,映像面,音楽・音響面,演技面,演出面,映像技術面,大道具・小道具面,そのあらゆる側面に関して,テクスト内的・外的の両方向から解説を加えているところに本書のすごさがある。久し振りの刺激で楽しくて読み始めたものの,内容が濃すぎて,途中からは読むのが苦痛になってきたほどだ。というのも,ご存知のようにこの映画はかなりディープなもので,映画だからこそその作品世界に浸るのは2時間足らずで済むのだが,本書を読みながらその映像世界がよみがえり,そこに浸るのだが,1冊の本を読み終わるのは到底数時間ではすまなく,その作品世界をずっと引きずってしまう,ということもある。それにしても,この著者はすごい。前に彼の著書を紹介した時からの繰り返しで申し訳ないが,本当に稀有な研究者だ。普通,何かを論じるにしても得手不得手があって,このように網羅的な分析をしようと思えば,必ずどこかにほころびがあって,とんでもない陳腐なものがあるものだが,少なくとも私が読む限りにおいて,そういう箇所は本書にほとんどない。まあ,一つだけ気になるのは,地理学者のデイヴィッド・ハーヴェイが『ポストモダニティの条件』のなかで,『ブレードランナー』について論じている箇所があるのだが,私には説得的だと思われるハーヴェイの分析について加藤氏は言及していない。また,当該場面をハーヴェイのような視点からはみていない。『ポストモダニティの条件』は日本語でも地理学者以外の人が翻訳しているくらい,地理学以外でも有名で,恐らく加藤氏も読んでいるはずだが,ハーヴェイ的な分析をどう捉えているのか。ちょっと気になるところである。
    というのも,本書のなかではジジェクの『ブレードランナー』解釈がコテンパに批判されているからだ。まあ,ヒッチコック論を始めとして映画はジジェクが得意とする分野なのだが,それをかなり根本的に否定している。ジジェクは自分が論じようとしている精神分析理論にあてはまるように,映画作品の解釈をねじ曲げるだけではなく,より広いコンテクストとしての映画史自体を誤解しているのだという。他にも,ファンサイトでのさまざまな解釈が飛び交い,そのいくつかは誤った解釈があまりにも流布してしまい,職業評論家までもがその解釈を採用することにまでなっている,というネットの弊害にまで言及している。まあ,無数の『ブレードランナー』論の全てを検討して誤りを正そうなんて意図は本書にはない。むしろ,作品には一つの真実なんてものはなく,鑑賞者の数だけ解釈があるべきで,そのうちの一つとして自身の解釈を提示している,というのが本書の意図である。
    しかし,もちろん映画研究者であるわけだから,その解釈は徹底的な調査に基づいており,特に映像技術的な側面に関しては,昔の映画をほとんど知らない私にはほとんどついていけないくらいだ。そういう意味でも,この著者はどれだけの時間を映画を観るのに費やしているのか想像もつかない。しかも,こういう形で言及するには1度観ただけではだめで,1度はきちんと筋を追うように観,2度目以降は映像技術面やさまざまな観点から観ているに違いないのだと思うし,またその内容をきちんと記憶しておかないと意味がない。まあ,ともかく驚くばかり。
    このように,映画史的,映像史的考察を加えながらも,基本的にはテクスト分析を中核に本書は進められていくのだが,そうした綿密な分析によって提示されたいくつかの結論もまた,説得的で魅力的なものである。まず,加藤氏は本作の主人公はハリソン・フォード演じる元ブレードランナーのデッカードではないという。確かに,彼は表見向きの主人公であるが,それはあくまでもメロドラマ的主人公であり,フィルム・ノワールとしての本作においては真なる主人公にはなり得ない。悲劇たる本作の真の主人公とは最後にデッカードとの対決の相手である,レプリカントのリーダーである,ロイであるという。確かに,デッカードは敵を不意打ちにしたり,武器を持っていない女性レプリカントを逃げるその後ろから撃ち殺したりして,決して信用のおけるヒーローとはいえない。ましてや,最後の決闘においてはデッカードはロイに命を助けられるのだから。表向きはロイを主人公とできない理由は明白である。それは観るものが,生物学的人間-人造人間という二元論を本作の前提とし,もちろん鑑賞者自身と同じ生物学的身体を持つ前者を味方とみなし,後者を敵とみなしている。もちろん,主人公は味方のなかにいるという図式だ。しかし,著者によれば,本作はそもそもこの二元論を越えるところに,その映画史に名を残すべき所以であるという。しかも,それは決して監督であるリドリー・スコットの意図するところではない。著者は,監督自身が劇場公開から10年後に手を加えて再上映した「ディレクターズ・カット」版よりも,オリジナルの「プロデューサーズ・カット」版を評価するのだ。本作の意義をより理解していたのは監督ではなく,プロデューサーだったのだという。「ディレクターズ・カット」版DVDを購入してそれしか観ていない私は,落胆するのだ。
    そして,私も「ディレクターズ・カット」版を観て思っていたことではあったが,結局デッカードが生身の人間なのか,レプリカントなのかという問いは著者によれば愚問だという。まあ,それもそのはず。そもそも,デッカードがレプリカントだとすれば,先ほど書いたデッカードを主人公とみなす論理がくずれてしまうからだ。本作では,肉体的にはレプリカントであるロイが,デッカードのような堕落した生身の人間よりも精神的な高みに立っているのだから。
    本作は彼が集中講義で行った内容だという。午前中に映画を観て,午後はその解説が行われるという,ハードではあろうが非常に魅力的な講義を受けた学生たちを羨ましく思う。加藤氏の講義など聴いてみたいものだ。

  • 読了。いままで劇場・LD・DVD・BDとあらゆるメディアで既に何十回と視聴してきたのだけれど、この本で指摘されている表層さえも気づいていなかった。自分の眼がいかに節穴だったのかと思い知る。「ブレードランナー」を観たあとには必読の書。もちろんデッカードのナレーション付のインターナショナルバージョンで。

  • 06151

  • 【目次】
     まえがき
    シークェンス0 発端
     夜の街/地獄の劫火/切り返し/中景=中継ショット/窓辺の人物/映画の古典期と「現代期」/逆光,紫煙,酸性雨/感情移入テスト/精神分析のパロディ
    シークェンス1 導入
     巨大動画広告/商品としての冒険/ユダヤ=ディアスポラ/「主人公」の導入/コミュニケーション
    シークェンス2 概説
     巨大都市と視覚的オマージュ/解釈の感性/ブリーフィングあるいはゲームの規則
    シークェンス3 面会
     享楽主義あるいは光の輪/光と影の戯れ/差違と反復
    シークェンス4 捜査
     シークェンス転換/ノワールな街角/私的なものの公的なものへのくりあげ/光に導かれて/家族写真/精神分析/メロドラマ/探偵小説
    シークェンス5 階梯
     水蒸気/掌/映画のデカルト的解剖学/眼球製造者/地球に落ちてきた男たち/レプリカントの慨嘆
    シークェンス6 幕間
     トンネルの通過/フランク・ロイド・ライトの家/感情の真実
    シークェンス7 関係
     キャット・ウーマン/マネキン人形/ウォーキング・テディベアとトーキング・リトル・カイザー
    シークェンス8 解析
     独身者たち/鏡のなかの女/みずからを映し出す鏡
    シークェンス9 処分
     シャワーと窃視/認識の誘惑/節穴同然の眼
    シークェンス10 密会
    シークェンス11 友愛
     ロイをむかえるプリス/感情/表情/顔/加齢と回春シークェンス12再会夜の鳥/放蕩息子の帰還シークェンス13対決怒れる花嫁/サウンドトラックの競演/メトロポリスの弔鐘/響きと怒り/キリスト教的図像体系/主人公の資格/不可能な問い/メロドラマから悲劇へ/悲劇からふたたびメロドラマへ/作者の意図/映画のレッスン/死の図像/関節の外れたマトリックスシークェンス14出奔眠れる部屋の美女/ユニコーンの謎/資本主義的平等原理/棹尾
     あとがき

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著者プロフィール

映画批評家・映画学者
2020年9月26日没

「2023年 『映画史の論点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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