作品紹介・あらすじ
「まわりに担がれただけの政治の素人」だった私がなぜ30年も国会議員を続けられたか。国会議員生活30年の野田聖子が語る、まわりの人が作り上げた政治家「野田聖子」。
感想・レビュー・書評
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国会議員のお仕事は、法律を作ること。野田さんのVoicyや本を読んでそれがよくわかった。今まで、国会議員のお仕事は会議をして、何かを決めていくことだと思っていたけど、そういうことではないのだな。
法律を作るということは社会を作るということ。パラダイムシフトがおきるということ。それが醍醐味。
本を手に取るとき、なぜこのようなタイトルなのだろうと思った。まるで自分の意思で政治家になったわけでなく、他力なイメージが強いからだ。
でも、本を読んでその理由がわかった。野田さんは本当に強い熱意があって政治家になったわけではない。岐阜の周囲の人の後押しがあって政治家になり、大きな事を決めるときも自分の心に正直に、誰かに迎合して意見を変えるようなこともしないようにやってきたのだ。だからこそ、自分は立ち回りが悪いと書かれているが、本当に裏表がなくやってこられたのではないかなと思う。
田中角栄元総理大臣の娘である田中眞紀子さん、安部元首相、小泉元首相、小池さんなど有名な方のエピソードが描かれている。それぞれの印象がよくでていて、興味深い。安部さんや岸田さんとは同期だった。
野田さんの幼少期も描かれている。父が自由奔放であって驚いた。野田さん自身は高校でアメリカに留学するも、母から戻ってきて欲しいと頼まれて帰国。このことが今でも悔やまれるとあった。野田さんでも悔やまれることがあるのだなと思った。
就職先は帝国ホテル。先輩の指導で、どれだけ綺麗にお掃除をしているかをみせるために、先輩が自分で掃除したトイレの水を飲んだというエピソードは衝撃。
今では有名な野田さんだけれど、当選できなかったこともアルし、自民党を離党したこともある。まさに山あり谷ありだったことがわかった。
郵政大臣をされていたことは知らなかった。郵政民営化には反対だったことも。私は当時の小泉首相がおっしゃっていたので、いいことだと思っていた。民営化することによって、財源がいい方向に回るのだと思っていた。それは違っていたのか・・・?
総務大臣もされていた。ITなどについてお詳しかったとは意外。
人の心はうつろいやすい。選挙で理解したこと。本当にそうだなと思う。だから、私自身もそれを意識していこう。
今まで誰も見向きもしなかった子ども行政。ようやく浸透してきた。野田さんはずっと前からご存じで、声を上げ続けていたのだな。
竹下登首相の言葉
「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう。」
これは素晴らしい言葉。手柄は人にあげた方が社会に広まっていく。
著者プロフィール
1960年生まれ。83年、上智大学外国語学部比較文化学科卒業後、帝国ホテルに入社。87年、岐阜県議会議員(当時、最年少)。93年、衆議院議員に。96年、郵政政務次官。98年、郵政大臣。2008年、消費者行政推進担当大臣・宇宙開発担当大臣・内閣府特命担当大臣。12年、自由民主党総務会長。16年、衆議院災害対策特別委員長。現在は、総務大臣・女性活躍担当大臣・内閣府特命担当大臣。岐阜県第1区当選回。
「2018年 『みらいを、つかめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」
野田聖子の作品