- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488028121
作品紹介・あらすじ
高校生の「わたし」は親友の「彼女」と監視カメラだらけの街を歩き、携帯端末の小さなレンズをかざして世界を切り取る。かつて「わたし」の母や、祖母や、曾祖母たちがしてきたのと同じように。そうして切り取られた世界の一部は、あるときには教育や娯楽のために、またあるときには兵器として戦争や紛争、弾圧のために用いられた――映画と映像にまつわる壮大な偽史と、時代に翻弄されつつもレンズをのぞき続けた”一族”の物語。
感想・レビュー・書評
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どうにもすらすらと読み進められなくて…でも何とか読み切った。
私にはちょっと小難しかったようで、内容が頭に入ってこなかった。 -
2020年9月東京創元社刊。SideAとSideBとして語られる世界がどこかで融合するのは予想できました。しかし映像世界というか切り取られた現実にエポックメイキング的なものは感じず、命題的なものにもあまり興味が持てないため、追いついてひとつになった世界を提示されても感慨はありません。それでも高山さんの物語世界を紡ぐことへの強い意思は伝わってきました。
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映画の黎明から映像に関わり続けた一族の話。最初の軽めの雰囲気ながらカメラによる監視などからディストピア的な展開になるのかと思いきや、そういう訳でも無さそうな展開。
カットバックで進行していく物語は過去のウェイトが断然多く、現在の状態に至る流れがテーマで現在のシーンでは至った結果を読み取ればいいのかと思うが、それがよくわからない。
各場面場面はそれなりに面白く、特に照から始まる嘉納家の物語部分はここだけ取り出しても楽しめそうな感じで、それが現在とどうつながるのかという興味が原動力となり読み進めるのだが、過去の物語の視点が一定ではなくさらに現代のシーンが少なすぎるため、全体としてはどうも散漫な印象を持ってしまう。
現在の記述はディストピア的であるがそれが空想なのか現実の捉え方の問題なのかもよくわからない。過去パートも最後の方は未来ってぽい記述もありこのあたりも散漫と感じた原因だと思う。
あらゆる物事は最初の作者の意図とは別に一人歩きを始めそれは誰にも止める事はできない、あたりが主題なのか?照、未知江、ひかり、ルミ、そして私へと受け継がれていく思想めいたものをそのように捉えたが作者の意図はどこにあるのかはわからない。芥川賞受賞後の作品と思うが、小説を写真に見立ててこう記載しているのか?
首里の馬ではうまく保てていたと感じる散漫さとテーマ性のバランスがあったが、ここではそれがうまくいってないようにも思うが、それは私の読解力の問題かもしれない。他の方の感想を是非聞いてみたい。 -
高山さんの中では読みやすいよと言われ初めて読んでみたが…
正直本当に申し訳ないが苦手でした…
幻想文学が苦手なのかな?
現実とフィクションの間を行く設定。
どこまでが本当の話なのかと言う感覚になる。
自分には読み込む力がなくてちょっと難しいな…と言う感じで終わってしまったのが残念。 -
読者に感情移入させない、記録映画のような小説。それは作者の狙い通りなのだろう。
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図書館で借りたもの。
高校生のわたしは、親友と監視カメラだらけの街を歩き、携帯端末の小さなレンズをかざして世界を切り取る。かつて母や、祖母や、曾祖母がしてきたように――。時代に翻弄されつつもレンズから世界をのぞき続けた“一族”の物語。
初読みの作家さん。
想像してたのとはまるで違った(カメラを通してのほっこり系の物語かと…)。
戦争で映像が使われていたという設定…で合ってる?
『建物の壁をスクリーンとして利用し、町全体を無数の映像の再生機に仕立て上げて民間人の脳を攻撃する。』
それを観たものは正常な生活を送ることが出来なくなったという。
どんな映像だったんだろう
レポートパート(映像兵器の歴史)は眠くなってしまった。
『それぞれの奇妙な世の中における役割』とは?能力とは結局なんだったの?
全体を通して難しかった…。 -
『この光を見たもんの生き方をその後がらりと変えることかてできる。これからは鉄砲玉でやっつけるんは獣ばっかりになって、人間同士はまた別の方法で戦うようになるって、わしは思とるんや』―『LIGHTS』
二つの時間の流れが、遠近法で描かれた平行線のように徐々に消失点に向かって伸びて進んでゆく。一つは母子四代に渡り受け継がれる時間。もう一つは五代目に当たる少女とその女友達との現在進行形の時間。「現在」は近未来の過度の可視化が施された世界であることを窺わせるが、だからと言って空想科学小説風に凝った話が展開するのでもない。技術的にも今現在手が届く話の内に収まる話(それ故に却って恐ろしい話なのかも知れない)。消失点で展開するエピローグは、物語の延長上にあるものなのか定かにはならないが、プロローグと対になるエピソードと読んだ時に少女たちの物語の行く末をぼんやりと暗示する。
この小説は、言葉によるポートレート。モネの描くような、具体的であり、かつ、踏み込むと輪郭を失う絵のような。小説でありながら、静止画像を連続して眺めるような心持になってくる。地名は実在の場所を指し示すが、特定の時を写し取っただけの解像度の粗い写真のように動きまでは示唆しない。その地名から単純には何かを連想させまいとするような意思。淡い点描のような描写。唯一「横浜」という場所だけが時の流れを超越して狂言回しのように繰り返し何度も立ち現れる。人物の名前の輪郭は背景から浮き上がるくらいに強くコントラストを効かせて描かれる。しかし名前の鮮明さに反して登場人物の像は驚くほどに淡く、一葉一葉のフレームの中に収まり切ろうとする。その枠を越えて物語を紡ぎ出すような生(=物語)に対する執着を見せない。唯一主人公たちが見せる執着は、次のフレームに係累を登場させることだけ。
ポートレートのテーマは映像。映像の持つ力。多少批判的に。あるいは現状を嘆くように。極端に単純化して言えば監視社会に対するアンチテーゼを訴えるニュアンスはある。一方で文字による情報の伝達について、主人公たちにはマルチリンガルな能力が事あるごとが謳われるにも関わらず、クレディビリティがほとんど置かれていはいない(最後の最後で、逆転めいたものは起きる)。このどこまでもポートレートのような物語と言葉というものの扱われ方に、ひょっとすると作家の言いたいことが秘されているのか。
「居た場所」や「如何様」の印象とはがらりと変わった物語の立ち上がり方に、少しばかり茫然とする。 -
なんとも読みにくく、内容をつかみづらい作品だった。とうとう最後まで物語に入り込めずに読了した。というか、そもそも共感や感情移入を拒否するような構成だとも思う。現代と過去が交互に描かれ、全体を通して見ると、“映像”を軸にしたある一族の年代記のようなものが浮かび上がる。だが、この世界はパラレルワールドのようで、それが混乱に拍車をかける。……うーん、なんだか徒労感だけが残った。
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明治から平成にかけて、映像に関わってきた一族の話。 映像とは、記憶や事実などを残すものであり、それは、武器になることもある。 今の世の中、至る所に監視カメラがあり、人々は容易にスマホなどで、映像をとることができる。 それは、どこにいても監視されているような気分になり、恐ろしさも覚えた。