ワイズカンパニー: 知識創造から知識実践への新しいモデル

  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (530ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492522301

作品紹介・あらすじ

知識から知恵へ、イノベーションから持続的イノベーションへ。
世界のビジネス界に多大な影響を与えた経営学の世界的名著『知識創造企業』の著者両氏による25年ぶりの続編。

イノベーションを起こし続ける企業の秘訣はどこにあるのか。企業が絶え間なく繰り返し、新しい知識を生み出し、組織全体に知識を広め、知識を行動に変えなくてはならない。そのためには、SECI(セキ)モデルで説き明かした「暗黙知」と「形式知」に加えて、「実践知」が不可欠である。
本書では、その知識を絶えざる実践を通じて知恵(wisdom)にまで高めることの重要性と、その知恵を獲得・活用するための方法を示した。実践を積み重ねていくと、実践知が得られる。なおも繰り返していくと、実践知が豊かになり、次第にスケールが大きくなる。企業の枠を超えて社会までも巻き込んでいく。こうした実践知を備えたリーダーを「ワイズリーダー(賢慮のリーダー)」、ワイズリーダーに率いられた企業を「ワイズカンパニー(賢慮の企業)」と呼んでいる。
本書では、学問を超えた理論と、著者が長年にわたって収集した多くの数多くの企業事例をもとに、イノベーションを起こしていくリーダーや企業を描き出し、デジタル時代の人間の生き方と経営を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 偉大な本。帯には「経営学の世界的名著『知識創造企業』著者両氏による四半世紀ぶりの【続編】」と書かれている。これは必ず読まねばならない本だと購入。

    『知識創造企業』は20年前にビジネスマン人生がはじまるにあたって会社から入社前研修キットの中に入っていた本で、読んだ当時もそうだが昨今のVUCAの時代で昨年読みなおして(時代が変化しても読み継がれるべき本だと)物凄く感銘を受けた本。

    失敗の本質、戦略の本質もそうだが野中先生の本はその時の出会いから直観の経営とか含めていくつか読ませていただいている。自分の社会人人生で最も影響を受けた先生と思っている。

    さて、本書の内容としては、『知識創造企業』25年の歳月を経たところからの、SECIモデルの発展形、SECIスパイラルモデルというところが研究のメインとなってくるところであるが「知識創造から知識実践への新しいモデル」との副題のあるとおり、アリストテレスが提唱した「フロネシス(実践知)」という概念に向けて日本の読者でも理解のしやすい多数の日本企業の事例でもって検証している。(フロネシスは「何をなすべきかを知る」知識、という記述もあった)トヨタやホンダ、JALやファーストリテイリングといったところから、最近ではあのトースターのバルミューダまで事例に含まれていて興味深い。

    そうそう、前書もそうだったのだが、日本人のお二人が記載された本なのに訳となっていて、英語版を先に出版後の日本語版という位置づけ。日本語版あとがきには「多くの日本人が本書を読んで、一緒に腕まくりして、これからの新しい時代の「生き方」について議論を深めていただきたい」とある。


    『知識創造企業』がいかにすごい本だったかを表現する部分も冒頭にあったのでその部分も含めて抜粋しておく。 (本書そのものが著名な書籍の引用抜粋も多いので抜粋の抜粋になっているところもありますが… :原注と参考文献だけで50ページ以上あります)

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    ⅰ 2013年、英国の経営学の学術誌『ナレッジマネジメントの研究と実践(Knowledge Management Research and Practice)』では、『知識創造企業』が2003年から2012年までの10年間において、ナレッジマネジメント分野で最も引用された文献だったことが紹介された。同じ年、日本のビジネス誌「週刊ダイヤモンド」の「100年後も読み継がれるべきベスト経営書」では第一位に選ばれた。

    P68 今、どういう行動をとるか次第で、どういう未来が生まれるかは決まるということである。ハイデガーの考えに従うなら、未来の可能性を最大限に高められるよう、「いま・ここ」を生きることこそ、知識実践の理想的な方法になる。

    P313に2005年6月のスタンフォードで行われたスティーブ・ジョブズの伝説の卒業式スピーチもあったが割愛

    P376 従来のマネジメント理論では、組織設計や、報奨制度やルーティンや、組織文化の設計を通じて矛盾の解消がめざされる。ワイズカンパニーでは、矛盾は克服されるべき障害とは見なされない。むしろ逆に、知識の創造と実践に不可欠のものとされる。ワイズリーダーは矛盾を受け入れるからこそ、成し遂げるべき善を見失うことなく、状況に応じた最善の判断を下せる。

    P406 そして、その末に行き着いたのは、『原理原則』ということでした。すなわち『人間として何が正しいのか』というきわめてシンプルなポイントに判断基準を置き、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えたのです。
     嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ…そういう子どもの頃に親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような『当たり前』の規範に従って経営も行っていけばいい。 
     人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そういう人間を律する道徳や倫理を、そのまま経営の指針や判断基準にしよう。

    P438 本書『ワイズカンパニー』の刊行につながった研究は、次のように要約された。
     「情報から知識へ、知識から知恵へと考えを進化させてきた野中は、人間的なリーダーシップの必要性をますます強く訴えている。それはよりよい社会を築くために人間の独創的な能力を役立てるリーダーシップである。『ビジネス界にもっと人間中心の経営という発想や実践が求められる時代だ』と野中は指摘する」

    P459 生き方としての経営では、自社が何を象徴するか、どういう世界に生きたいと思うか、そのような世界をどのように実現するか、どういう方向に進むか、どういう未来を築きたいか、どういうレガシーを残したいか、どのように社会に貢献できるかということが考慮される。よりよい未来を実現できるのは、自分たちにどういう使命が与えられているかを理解し、ひたすら正しく生きようとし、終わりのある一生の中で常に自分を磨き続けるときである。

    P461 SECIは組織モデルだったが、共通善という概念が組み込まれたことで、社会モデルになった。知識創造とは、組織と社会との絶えざる相互作用であり、対話である。したがって知識の創造や実践は、組織の物理的・社会的な境界線内に限定されるものではない。

    P469 本書では、その知識を絶えざる実践を通じて知恵(wisdom)にまで高めることの重要性と、その知恵を獲得・活用するための方法を示した。実践を積み重ねていくと、実践知が得られる。なおも繰り返していくと、実践知が豊かになり、次第にスケールが大きくなる。企業の枠を超えて社会までも巻き込んでいく。
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    また何年も読み返そうと思う。

  • 前著「知識創造企業」の続きで、前著で紹介したSECIモデルを発展させたSECIスパイラルについて、その軸となる共通善と実践を抽象化したフロネシスを中心に解説し、SECI行き詰まり症候群を打破するための6つのリーダーシップ実践について提案している。
    事例が豊富でかつ25年前に出版された前著と比べて新しくなっているのでより腹落ちしやすいのではないかと思う(JALの再建や東日本大地震のときの企業の実践などが事例として挙げられている)。
    メインテーマでもあるワイズリーダーの理想が高すぎる気がするが、9章で述べられている自律分散型リーダーシップをもって相互補完するというのであれば納得できる。
    一つ残念なこととしては後半の6章がSECI行き詰まり症候群への対策として挙げられているが、実際に対策を実行した事例がないこと。
    とはいえ、事例が豊富でボリュームの割に読みやすく、前著から一貫してミドルマネージャの重要性を説いているため、今ここで自分から実践することの背中を押してくれる。

  • 知識創造企業の続編というか完成版というべき本。
    海外の研究者が書く、企業研究・経営系の本より、やはりしっくりくる。取り上げられている企業が、本田やトヨタ、JAL、エーザイなど見知った企業のため、それも理解の助けになる。
    ワイズカンパニーになるためには、ワイズリーダーが必要であり、それは必ずしもCEOだけではなく、ミドルマネジメント層も大事だ、というのは実感にあっている。
    特に大企業では、経営目標の数値自体は、上から降りてくると思いますが、実際に、アイデアを出すのはミドル層が多いと思います。イノベーションを起こすために、知識に加え、知恵と実践が重要です。
    ただし、こうなんというか熱い感じの現場の話は、盛り上がるけど、「不夜城」とブラック企業の境がとてもあいまいな気がする。
    広い意味で、成功すればそれが正解なのだろうが、火中の栗を拾うとはいえ、取り返しのつかない失敗により、そのまま消えていった企業やプロジェクトもあると思われ、成功した企業のみの研究だと、生存バイアスがかかっているよなーとも感じた。
    繰り返しになるが、プロジェクトX的な、燃える展開は面白いですけどもね。

    <気になった点>
    ・未来の創造では自社が儲かりすればよい、という発想はやめなければならない。公益の追求でなければならない。
    ・(本田宗一郎)「現場」「現物」「現実」の三現主義。社員は直接的な経験を通じて、問題解決やイノベーションに役立つ有益な知識を得られる。
    ・前著の要点は、知識創造がイノベーションをもたらす。本書では知識の実践がイノベーションを支える、ということ。
    ・宗一郎は、身体的な感覚によって得られた暗黙知をすべて統合することで、バイクの状態を見抜いたのである。(→ここ!いっぽ間違えれば詐欺か怪しい宗教団体だが、正解を見つけてしまうと、カリスマになる。うーむ)
    ・本質を見抜くためには、個別のことの中から普遍的な「真理」をつかみ取ることが求められる。普遍と個別をつなぐには、主観的・客観的な考えを概念化して、みなが分かる言葉にするとともに、意欲を掻き立てる野望やビジョンとして表現する能力が必要になる。
    ・トップが実現したいと望むことと、現場が実際に直面していることの間に横たわる矛盾、つまり理想と現実のギャップの解消に努めているのが、ミドルマネージャーである。
    ・①エピテーメー・・・なぜを知る、②テクネー・・・いかに知る、③フロネシス・・・何をすべきかを知る。

  • 原点となる知識創造企業は1996年出版。時代に応じて書き加えられた要素と本質的な完成度。野中先生にとって晩年の最新刊という点も特に感慨深い。

  •  SECIモデルの復習。

    第1章 知識から知恵へ
     藤野はプラグマティストに徹することで、ホンダジェットの夢を実現させた。藤野の仕事の仕方はいろいろな表現で言い表されている―粘り強い、実際的、現実的、行動志向、細部重視―が、それらすべてが指し示しているのは、「いま・ここ」での遂行力である。


    第2章 知識実践の土台
     知識実践の起源は、アリストテレスによる知識の三分類の一つであるフロネシスにあると、われわれは考えている。『二コマコス倫理学』第六巻第五章の定義によれば、フロネシス(実践知、賢慮)とは「人間にとってよいことか、悪いことかに基づいて行動できる、真に分別の備わった状態」とされる。

     ネルソンとウィンターがとりわけ強調したのは、「実習」の大切さである。二人は次のように書いている。「組織は『行動によって記憶する』。(中略)記憶するということは主に実習を通じて成し遂げられる。書かれたものをどれほど読んでも、完全に記憶することはできない」
    「実践によって記憶する」ためには、ルーティンとサブルーティンを絶えず繰り返すことで、学習を促進し、組織的知識を利用することが欠かせないと、二人は説く。行動によっても、組織は文脈に応じた知識を学び、記憶することができるという。そのような文脈に応じた習慣的な行動をすべて足し合わせたものが、ネルソンとウィンターのいう「組織的知識」、われわれの言葉でいえば「組織的知識実践」になる。

    ■まとめ
     本章では本書で説く知識実践の土台となった哲学、心理学、神経科学、社会科学の各分野の知見を吟味した。以下に要点をまとめておこう。

    ・知識実践は古代ギリシャ哲学の大きなテーマの一つだった。そのことはアリストテレスがエピステーメー(科学的な知識)やテクネー(技術的な知識)と対照的な概念として、フロネシス(実践知)という概念を用いていたことからわかる。
    ・知識実践は以来、ほとんど無視されてきたと考えられているが、多くの哲学者の主要な関心事であり続けたこともまた事実である。そのことはエトムント・フッサール、マルティン・ハイデガー、モーリス・メルロ=ポンティなどの現象学者、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイなどの米国のプラグマティスト の著作からうかがえる。それらの思想家たちは、われわれが世界についての「本当」の知識をどのように得るのかを解き明かそうとした。彼らの考えでは、世界とは、現在進行中の特定の状況と密接に結びついたものだった。また、そのような知識は本質的に主観的なものであるとされた。
    ・マイケル・ポランニーも独自の言葉でそれと似たようなフレームワークを考え、人間が物事をどう理解するかや、いかに実践的な知識を獲得するかを解き明かした。明確な目的意識が、人と環境との相互作用を導き、ひいては、われわれが何を知るか、何に基づいて行動するかを左右するという。
    ・ポランニーによれば、人間は身の回りの世界に関する暗黙知を蓄積するとともに、それをひとまとまりのものとして理解できるよう統合する。知識がどのように統合されるかは、目的に基づいた意識的な考えによって決まる。
    ・近年の脳科学研究による発見では、人と人との直接的でダイナミックな交流があらゆる知識の源泉であるという考えが支持されている。
    ・加えて、社会科学の研究では、実践的な知識が個人レベルだけではなく、組織レベルでも獲得され、活用されうることが示されている。
    ・組織の共通の目的を保つためには、共通善の追求を組織の活動の中心に据えることが要に なる。共通の目的を保つことで、環境と直に向き合おうとするメンバーの足並みを揃えることができ、メンバー全員に積極的に目的の実現に取り組ませることができる。


    第3章 知識創造と知識実践のモデル
    ■まとめ
     本章では、知識の創造・実践モデルの事例として、JALの再建、シマノの六〇年に及ぶ実践、エーザイの認知症とアルツハイマー病への取組みの三例を紹介した。そこで描き出されたSECIの複数のサイクルによって、われわれが本章で提示した知識創造と知識実践の概念モデル、すなわちアップデートされた新しいSECIモデルとSECIスパイラルモデルについての理解を深めていただけたのではないかと思う。
     知識の創造と実践に関して、三社の事例で観察されたのは、以下のようなことだった。

    ・知識は時間をかけて、繰り返し絶え間なく創造され、増幅され、実践される。
    ・その結果、SECIのサイクルが一巡するたび、知識ベースが水平方向に広がる。
    ・知識ベースが水平方向に広がると、部や課や室といった部署の垣根を超えて、知識の創造と実践に携わる個人が増える。
    ・加えて、SECIが次のサイクルに進むたび、知識は存在論的次元でもスパイラルに上昇する。
    ・その結果、知識ベースは時間をかけて次第に垂直方向にも広がる。
    ・知識ベースが垂直方向に広がるにつれ、個人によって創造・実践された知識は、「相互作用のコミュニティ」によって増幅される。相互作用のコミュニティは組織内、組織間の境 界を超えて拡大し、コミュニティレベルないし社会レベルへと上昇する。
    ・ある存在論的な次元で創造された知識が一段高い存在論的な次元へ上昇する(たとえば、組織レベルからコミュニティレベルへ)につれ、知識実践の規模と質は増幅され、さらなる行動が引き出される。
    ・知識のスパイラルな上昇のためには、新参者にいつも開かれている知識の実践者のコミュニティが組織内に必要になる。
    ・そのような開かれた知識の実践者のコミュニティでは、メンバーは「相互主観性の関係」 でつながっている。相互主観性の関係にある者同士は、気分や、感情や、視点を共有して おり、直観的に文脈を理解できる。
    ・相互主観性の関係でつながった知識の実践者のコミュニティは、持続的にイノベーションを生み出し、組織の回復力を強くする。
    ・知識創造・実践企業におけるリーダーの役割は、信念や、哲学や、価値観を掲げるとともに、従業員が率先して、また安心して、自分の知識を口にし、みんなと共有しようとする環境を築くことにある。
    ・知識のスパイラルな上昇のためには、知識の実践者たちが「高次の目的」を持つことも求められる。
    ・そのような目的をもたらすフロネシスが、SECIスパイラルの原動力になる。
    ・フロネシスの要をなすのは、組織の利益だけを追い求めない、「共通善」の追求である。
    ・多くの企業がSECIプロセスのスパイラルな上昇が滞ってしまう、「SECI行き詰まり症候群」に陥るのは、上昇の原動力であるフロネシスを欠くからである。
    ・SECIスパイラルのプロセスには、組織が単に環境の変化に対処するだけではなく、「自分たちが思い描く未来を実現する」という目的の下、絶えず自己革新を繰り返すプロセスが描き出されている。
    ・たとえば、エーザイの場合、アリセプトの研究開発チームのリーダー、杉本八郎の母親が、 見舞いに来た杉本を自分の息子だと認識できるようになるという未来が思い描かれている。

     これで本書の第I部を締めくくる。第I部では、われわれの考えや研究が前著の刊行から約 二五年の間にどのように発展し、進化したかを述べた。われわれの理論的な土台は、元のモデ ルに存在論的な次元を組み入れることで深まり、知識の上に知恵の層を足すことで広がった。 知識だけでは、「よい行動」は起こせない。知識を「よい行動」に結びつけるためには、フロ ネシス、すなわち実践知が必要になる。
     第Ⅱ部では、理論から実践へと移り、リーダーシップの六つの実践について一つずつ論じる。 われわれの考えでは、それらの実践こそがワイズリーダーの最大の特徴をなしている。
    ・何が善かを判断する(第4章)
    ・本質をつかむ(第5章)
    ・「場」を創出する(第6章)
    ・本質を伝える(第7章)
    ・政治力を行使する(第8章)
    ・社員の実践知を育む(第9章)


    第4章 何が善かを判断する
     本章では、広い範囲のさまざまなCEOやリーダーを取り上げた。東洋(本田宗一郎、吉田忠
    雄)と西洋(サム・ウォルトン、ウォルト・ディズニー)、起業家(柳井正)と九代目のCEO(木川眞)、親会社(福井威夫)と子会社(渡辺博美)、長老(稲盛和夫)と若手(横山正直)、単一事業(藤野道格)と多角化経営(飯島彰己)、米国での合弁事業(内藤晴夫)と日本での合弁事業(小林陽太郎)。
     これらのリーダーに共通するのは、自社や社会にとって何がよいことかを判断する能力に秀でていることである。彼らの優れた判断の拠り所となる目的と価値観が、組織内を言わば「下降」して隅々に行き渡ることで、組織はスパイラルに「上昇」する。これらのワイズリーダーたちが認識しているように、ミドルマネジャーと現場の社員もまた、組織内での善についての判断を支えている、その会社のワイズリーダーなのである。


    第5章 本質をつかむ
     本田宗一郎によれば、本質を理解するためには心が大切だという。宗一郎はホンダを引退後、 ホンダインターナショナルテクニカルスクール(HITS)の校長に就任した。その校長としての最後のスピーチの中で、自動車の修理という至って単純な事柄の本質を説くことを通じて、 自身の哲学と、他者の心に寄り添うことの大切さを語っている。

     「私が十代の頃、自動車の修理をやっていて初めてわかったのは、自動車の修理という仕事は、単に自動車を直すだけでは駄目なのだということだった。そこに心理的要素がなければならぬことに気がついたのである。
     車を壊したお客さんは、修理工場へ来たり、電話で連絡してきたりするまで、さんざん苦労し、憤慨し、動揺しているのが普通である。機械も壊れているが、お客の心も壊れている。(中略)
     だから、修理を終えて、『これで、直りました』と言っても、なかなか素直には通じない。(中略) 直りました、だけでは、車は直ってもお客の心までは治せない。いかに相手に納得してもらい、安心してもらうかが問題である。いったいに仕事上の親切というのは、相手を納得させることに尽きるのではないだろうか。(中略)
     もう、今日では、車を直す技術に、そんな大きな違いはない。悪いところを取り替えればよい時代である。それなのに、お客に信頼される人とそうでない人がいる、カネとモノのやり取りで、そこに人間が存在しないような、心さびしい世の中になっていけばいくほど、そういう親切が重みを持ってくるのである。 私が校長をしているHITSの若い学生諸君にも話すことである。君たちは、相手の人の心を理解する人間になってくれ。それが哲学だ。哲学というのは、小難しい理屈でも何でもない。机上の空論ではないのである。
     たとえば、自動車修理の仕事に従事して、お客さんと接したとき、車を直したうえで、その人の不安や怒りを取り除いてやることができたら、それは素晴らしいことである。親切という形で、そういう生きた哲学を使える人になってほしい」
     
     宗一郎に言わせれば、優秀なエンジニアと凡庸なエンジニアの違いは、顧客の心に寄り添えるかどうか、顧客に対して共感できるかどうかにある。人の気持ちを理解できるエンジニアは、修理の背後にあるものを見抜け、ひいては顧客の信頼を獲得できる。

    ■まとめ
     本書の第Ⅱ部の冒頭で指摘したように、実践知によって人を率いるのは容易ではない。われわれが本書で一貫して述べているのは、自社と社会の両方にとっての善をなせ、ということである。本章では、本質をつかむためにはAとBを二つながら、めざさなくてはいけないことを論じた。何が善であるかを判断するためには、企業と社会の利益が重なる部分を見出すことが求められるが、本質をつかむためには二つ以上の根本的に相反することをしなくてはならない。
    ・「頭」と「手」を使う。
    ・「細部への注意」と「全体像」の両方を大事にする。
    ・「粘り強く」なおかつ「素早く」動く。
    ・「普遍」と「個別」の両方を追求する。
    ・「主観的な直観」と「客観的な知識」を組み合わせる。
    ・「シンプルさ」と「複雑な状況」の両方に対処する。
    ・「基本」に忠実であると同時に、「変化に適応」する。
    ・「ひらめき」と「努力」のどちらもおろそかにしない。
    ・「知らないことを知っている」ことと「知らないことを知らない」ことの両方の解決策を探る。
    ・「木」と「森」の両方を見る。
     わかりにくい話に感じられるかもしれないが、ワイズリーダーには、本質をつかむため、深い根を張って、高みをめざすことが求められるのは間違いない。SECIスパイラル(第3の 図3-5を参照) の上昇を図りたいのであれば、下へ降りていき、組織の全員をかかわらせる必要がある。
     最後に助言を一つ述べて、本章を締めくくりたい。それはAとBの両方を追求して、本質を つかむためには、デカルト的な心身の分裂に別れを告げたほうがよいということである。スキーをこよなく愛する筆者は、スキーの体験と本章の内容に驚くほどの類似点があると感じている。
     以下に紹介するのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の米国の作家アレクサンダル・ヘモンが、『フォーチュン』誌に寄せた「スキー」という題のエッセイの一節である。ここには、その類似点が見事に描き出されている。

    「私がスキーを愛するのは、瞬間的な即興のみで成り立っているスポーツだからだ。猛烈なスピード(たとえば、時速八○キロとか)で滑りながら、刻々と状況が変わる中(雪の形状と感触とか、こちらに迫ってくる木々とか、アイスバーンとか、微妙な傾斜の変化とか)、次々と正しい判断を下していかなくてはならない。しかも一度下した判断に訂正のチャンスはない。(中略)前もっていくつかのことは決めておける。しかし、絶えずその場での変更に備えていなくてはならない。あらゆることがどんどん変わるからだ。そういう流れの中にあっては、思案したり、分析したりしているひまはない。体と心の働きを完璧に一致させなくてはならない。そうなれば、デカルト的な心身の分裂にも別れを告げられる」


    第6章 「場」を創出する
     JALでの稲盛がそうだったように、ワイズリーダーは共感の能力に富み、他者の気持ちを想像することで「場」をうまく導ける。文脈の変化に対処するうえで、この共感と想像は重要である。ワイズリーダーはすみやかに、状況を読み取って、何を求められているかを理解し、それに適応しなくてはいけない。タイミングがすべてである。

    ■まとめ
     本章では、いろいろな「場」があることを明らかにした。それらの「場」は、次のように大きく二つに分けることができる。

    ・非公式の「場」(酒席など)と社内の公式の「場」
    ・大きな「場」と小さな「場」
    ・社内の「場」と社外の「場」
    ・物理的な「場」と認知的な「場」
    ・直接顔を合わせる「場」とバーチャルな「場」

     これらの「場」すべてに共通するのは、参加者が文脈を共有し、「いま・ここ」の人間関係を築き、相互交流を通じて新しい意味と洞察を獲得するということである。新しい意味と洞察が引き出されるためには、参加者同士の相互交流が適切な文脈で、適切な時に、適切な環境で行われなくてはならない。
     「場」は知識の方程式の両辺、すなわち創造と実践のどちら側でも重要な役割を果たしている。創造の側についていうと、知識は真空からは生まれない。知識の創造には文脈、つまり、「場」が欠かせない。情報は文脈の中に置かれて初めて、解釈され、意味を持ち、知識になる。 知識創造のプロセスは、時と場所、それに他者との関係という文脈と切り離せない。
     したがって「場」とは、共有された文脈のことだといえる。「場」の参加者たちは、その共有された文脈の中で、互いの主観的な視点や価値観を理解し、「いま・ここ」の関係を築き、 相互作用によって新しい意味と洞察を生み出そうとする。
     また、「場」は動的なものともいえる。そこには絶えざる変化があるからである。参加者が常に出入りして、各自の文脈を「場」に持ち込み、他の参加者や環境と作用し合うことで、各自の文脈が変わり、「場」そのものの文脈が変わり、各自と環境や他者との関係が変わる。
     方程式の右辺の知識実践についていうと、「場」は、知識を実践する人々のコミュニティを拡大させる原動力になる。知識の創造と実践が時間をかけて繰り返され、SECIスパイラル の存在論的な次元が上昇するとき、その上昇は「場」によって促進される。シマノやエーザイの事例で見たように、SECIスパイラルが上昇するほど、社内からも、他社からも、コミュニティからもSECIのプロセスにかかわる人が増える。
     だから、個人にとっても、企業にとっても、そしてもちろん、社会にとっても有益な知識の実践が、SECIスパイラルによって可能になるのである。


    第7章 本質を伝える
     トヨタの元人事部長は次のように話している。「昇進できなかった人には、人間性のせいではなく、人数の制限のせいでやむをえずそうなったことを伝えます」。悪い結果を知らせるときには、相手をいたわり、希望を持たせることが大事だという。一方、昇進した社員に対しては「紙一重で落ちた」候補者がたくさんいることを告げる。これは驕りを戒めるためのメタファーである。

    ■まとめ
     言うまでもなく、フロネシスはワイズリーダーに卓越した洞察力を与える。本質を見抜くためには、個別のことの中から普遍的な「真理」をつかみ取ることが求められる。普遍と個別をつなぐためには、主観的・直観的な考えを概念化して、みんなにわかる言葉にするとともに、意欲を掻き立てる野望やビジョンとしてそれを表現する能力が必要になる。
     一方、本質を伝えるためには、メタファーと物語が役に立つ。なぜならメタファー(特にスポーツや子どものメタファー)は感情に働きかけることで(パトス)、物語は追体験によって、共感を引き出すからである。
     また、本質を伝えるためには、豊かな想像力、中でも歴史的構想力を働かせなくてはならない。なぜなら、あるとき、ある場所で起こったことの背後に何があるかは、想像力を働かせることで初めて見えてくるからである。そのような想像力を育むためには、いろいろなジャンルの本を読み、心に残るスピーチからレトリックを学び、経歴の違うさまざまな人と会って、話をするとよい。
     大事なのは、これらのことを習慣化することが、本質を伝える能力を磨く秘訣であるということである。


    第8章 政治力を行使する
    ■まとめ
     最後に、本章の中心をなす言葉、「政治力」に再び戻ろう。ワイズリーダーは部下を一つにまとめて、行動に駆り立てなくてはならない。その際、政治力を行使して、相反する目標を総合して、共通善を成し遂げることが求められる。ワイズリーダーはまた、マキャベリズムの手段も含め、それぞれの状況に適した手段を選んで、使わなくてはいけない。狡猾さが善をなすための助けになることもある。
     「マキャベリズム」という言葉には、昔からさまざまな解釈がなされている。一番有名なのは、「目的は手段を正当化する」である。しかし、われわれが注目したのは、賢い君主の適応力である。前に述べたとおり、マキャベリの著書で描かれている賢い君主は、①目的を遂げる方法がいくつもあることを知り、②その中には安全なものと危険なものがあり、それは時期に左右されることを知り、③いつどの方法を選べばよいかを知っていた。つまり、知識は力の源泉になるということである。
     ただし、力の源泉としての知識は脆弱であり、養ってやらなくてはならない。「脆弱」であるのは、今の世界では不測の事態~、人確かさや、複雑さや、創造的破壊が当たり前になっているからである。今の世界は途方もない速さで変化している。工業化の時代には、大きくて強いことが企業に力を与えた。現代においては、大は小に勝てず、強さは機敏さに勝てない。『9プリンシプルズ』で伊藤が指摘するように、既存勢力にとっての最大の脅威は「スタートアップ、変わり者、離脱者、無名の研究所など、最も小さいところからもたらされる」し、「もは強い者が生き残るとは限らない」。
     速い者が勝ち、遅い者が負けるのが現代の世界である。賢い君主のように、ワイズリーダーは素早く状況の変化に適応するだけではなく、並外れて迅速に行動することも求められる。そのためには知識を養う必要がある。われわれは矛盾や、対立や、パラドックスが当たり前になった時代に生きている。だから弁証法や、ミドル・アップダウン・マネジメントや、肯定的な反抗という形で、多様な考え方を入れることが肝心になる。
     変化の目まぐるしい矛盾に満ちたこの世界で、変わらないものが一つあるとすれば、それは共通善の大切さである。マキャベリの思想は、一面ではアリストテレスの思想にも通じている。前に触れたとおり、マキャベリは「高次の善に無関心だったわけではない」。手段の正当化は、あくまで道徳的な立場からのものだった。「道理に背いた行為が結果によって正当化されるとしたら、それは結果がよいもののときである。善は常に行為を正当化する」とマキャベリは書いている。変化の激しい今の世界を生き抜くため、ワイズリーダーの行動には、迅速さと善の両方が求められる。


    第9章 社員の実践知を育む
    ■まとめ
     今日の知識創造企業は明日のワイズカンパニーへと変わらなくてはならない。そのために は、新しいタイプのリーダーシップ(自律分散型リーダーシップ)、新しいタイプの創造的ルーティン(型)、新しいタイプの徒弟制度(守・破・離)、新しいタイプの経営哲学(「全員経営」)、新タイプの組織構造(ダイナミックなネットワーク型組織)、新しいタイプの戦略立案のアプローチ(インサイド・アウト)が必要である。
     ここまでの議論で、ワイズカンパニーの輪郭がだいぶ明確になってきた。ワイズカンパニー とは、次のような企業のことをいう。

    ・社内のあらゆる層にワイズリーダーがいる企業。
    ・「悟空吹毛」のように、ワイズリーダーが後継者として絶えず育まれ、誕生している企業。
    ・フロネシスが経営幹部、ミドルマネジャー、現場の社員によって実践されている企業。 ・アメーバ経営やスクラムなどのシステムによって小さなチームの力を活用し、ダイナミッ
    クさと俊敏さを保っている企業。
    ・ミドル・アップダウン・マネジメントや、「型」などの創造的ルーティンを通じて、自律 分散型リーダーシップを実現している企業。
    ・ヒエラルキーとネットワークの融合で、今の世界の複雑さや速さに適応している企業。 ・インサイド・アウトのアプローチで戦略を立案し、信念と理想主義的な現実主義に基づく
    未来を思い描いている企業。
    ・社内のあらゆる層で実践知を育み、持続的なイノベーションと長寿を実現している企業。

  • 具体例を示しながら、経営者やリーダーに求められる心構えと行動を体系的に示した良書。

  • 前著である「知識創造企業」の続編。25年を経てのアップデートとして、個人的には期待に応える内容だった。
    前著ではサイクルを回すところまでを提示していたが、こちらではサイクルを回しながら発展させていくこともモデルの中に追加している。
    前著は理論先行で実践に移しづらいところがあったところの反省からか、事例を紹介しながらその点を解消しようと試みている。(それでも実践に移すには難しいところはあるが…)
    前著を読んだ上で、そちらが好きであれば続編としてこちらもオススメ。約500ページと長いので前著がハマらなければ辞めておいたほうが良いだろう。

  • ホンダが大好きになりますよね、この本を読むと。
    ホンダジェットの革命的なことがよくわかります。

  • あれも、これも。
    賢慮。マキャベリズムの使い方例が新鮮。現実も超える高次の発想力。
    SECIスパイラルは垂直に向かうモデルとなった。
    本書はリーダーシップ論でもあり、他の関連書籍で語られた要素の深掘り。
    善の考えは持っておきたい。事例が泣けてくる。

  • 難しい本であるが、具体例が多いため、理解はしやすい。企業の競争力の向上のためには、差別化、知識創造が必要である。二次元的に語られていた、知識総合が、知識実践として、三次元上に繰り返されることが大切と理解した。私の実践としては、日々の業務もそうだが、そういった場の提供に努めていく。

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著者プロフィール

野中郁次郎
一九三五(昭和一〇)年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造株式会社勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にてPh.D.取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校社会科学教室教授、北陸先端科学技術大学院大学教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授などを歴任。一橋大学名誉教授。著書に『組織と市場』、『失敗の本質』(共著)『知識創造の経営』『アメリカ海兵隊』『戦略論の名著』(編著)などがある。

「2023年 『知的機動力の本質』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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