- Amazon.co.jp ・本 (458ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532171568
作品紹介・あらすじ
千年読み継がれてきた歌物語の沃野に分け入り、美麗な要望と色好みで知られる在原業平の生涯を日本で初めて小説化。現代語訳ではなく小説に紡ぐことで、日本の美の源流が立ち現れた。これは文学史的な事件である!
歌物語の不朽の名作にして、「恋の教科書」ともいわれることもある「伊勢物語」。その主人公とされる在原業平の一代記を「伊勢」の百二十五章段の和歌を物語の中に据えて大胆に周到に小説化。やまとことばに注目の集まった令和改元をはさみ日経新聞夕刊に連載された本作は、平安時代の古典に、千年かけて培われてきた日本人の情感、美意識を現代小説として吹き込み、活き活きとよみがえらせた傑作長編。連載時に小説に平安の都の風を吹き込んだ大野俊明氏の挿絵もカラーで16点収録。この作品を読んでから「伊勢物語」を読めば平安の「みやび」を五感で味わうことができるだろう
【著者「あとがき」より抜粋】
古典との関わり方として、私は現代語訳ではなく小説化で人物を蘇らせたいと思ってきました。千年昔には身体感覚において、どこかが違う人間が生きていて、私たちは、現代にも通じる部分においてのみ、かの時代の人間を理解しているのではないか。この疑問は、書くことに矛盾をもたらし、文体を模索させました。平安の雅を可能なかぎり取り込み、歌を小説の中に据えていくために編み出したのが、この文体です。味わい読んでいただければ、在原業平という男の色香や、日本の美が確立した時代の風が、御身に染みこんでいくものと信じます。
感想・レビュー・書評
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はるかな昔(平安時代ではないけれど)高校で「伊勢物語」を読み、興味を持った。
「源氏物語」は色々な現代語訳などたくさん出版されているが、これは小説として楽しめた。
でも、長かった!
在原業平はやはり光源氏のモデル?
業平の生きざまには現代を生きる女として物申したいが、
千年を超えて伝える和歌の力はやはりすごい!
それに命を懸けた業平はやはりすごい!
高樹のぶ子さんの平易で美しい文体で平安時代を堪能させてもらった。
どの行も美しい。
本の装丁も、挿絵も美しい。
≪ 恋こそが 飽かず哀しの 生きること ≫ -
表紙から、大河ドラマみたい……。
『伊勢物語』を、在原業平の生涯として読めるように話が配置されている。
何より、晩年付き添った伊勢の、業平を辿る筆致がなんだか相応しく思われて、心地良い語りが流れる時間に思えた。
やがて陽成帝の母となる高子と、斎王となる恬子内親王との、かなり危険な駆け引きも面白いのだけど。
個人的には、政治の舞台からスポットが当たらなくなる業平兄弟や、例になく立太子出来なかった惟喬親王の胸中の方が今は興味があったりする。
業平が高子にのめり込む想いに、政治的な憂さ晴らしの面があったのかどうか。
キレイに進められていくストーリーなので、執着が感じられないのだけど。どうだったんだろう。
最後に、『伊勢物語』は終わりが秀逸。 -
面白かった! もとの伊勢物語を、業平を主人公に据えてシャッフル、取捨選択して、時系列にして小説にしたとは。また丹念に読み返したい。
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古典でもよく聞く伊勢物語と在原業平。腰据えて読んでみようと、まずは現代語訳ではなく小説を選択。面白かった。
読みながら、業平にツッコミ入れること数えきれず。なんと危ない男か…。
家系図があるから、読みながら理解しやすい。
桓武天皇、安殿の平城帝、伊予の君の嵯峨帝、出てこないけれど空海の時代とかすっている。過去に読んだ本で得た知識の点が、この業平を読むことで線として繋がっていく面白さもある。
もどかしさを感じたり、しつこさを感じたり。
詩ではなく歌。
出てくる歌を、より情感豊かに受け入れてみたい。
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伊勢物語といえば、学校の授業でちょっと学んだくらいで、平安時代の歌が出てくる旅物語かと思っていた私ですが、この「小説業平」を読んで全く違ったものだったんだと知りました。次から次にと女人を口説くこの色好みの美男子につっこみを入れたり、権力争いや策謀など平安の貴族として生きるのも大変なんだと共感してみたり、在原業平の一生を文字通り小説として夢中になって読みました。そして作中の歌は有名な歌ばかり。まさに千年も受け継がれる歌です。この本を先に読んでいたら古典の勉強も違っただろうと思います。またいつか八橋かきつばた園に行き業平の気持ちになってかきつばたを眺めてみたいです。
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映画「君の名は。」の元ネタが「とかえばや」と知り田辺聖子の小説版を読み日本の古典の先進性、独創性を知り、俄然古典文学に興味を持ったが、伊勢物語についてはNHKの100分de名著で知るまで名前しか知らなかった。本著ではその素晴らしい世界観を堪能することが出来、正に現代小説の礎とも言える物語であった。著者によると業平の最後の女とも言える伊勢が業平の物語を書き記したものだろうという解釈だが、日本文学の礎となる文学は女性が成し遂げてきたのだと言うことが分かる、最近の小説においても女性作家の方が一段レベルが高い。
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恋せじとみたらし川にせし禊ぎ 神はうけずもなりにけるかな
在原業平
髙樹のぶ子の小説「業平【なりひら】」は、「伊勢物語」125章段を在原業平の年齢順に配置し、一代記に仕立てた歌物語。綿密な時代考証もなされ、新聞連載時から好評だったという。
年齢で言うと、業平15歳から、没する50代半ばまで。和歌は五七五と七七を分けて書く2行書き引用され、そのあと、地の文にごく自然に現代語訳があらわれるので、たいへん読みやすい。
掲出歌は、のちに皇太后となる藤原高子【たかいこ】への恋心をあきらめきれず、惑い乱れる場面の歌である。「もう恋はすまい、との思いで、御手洗川にて禊ぎをいたしましたが、どうやら神様は受け付けては下さらないままに終わってしまいました」と、語り手が歌意を「です・ます体」で説明してゆく。その語りがまるで、耳元でささやかれているようにも感じられ、折々はっとさせられた。嗅覚や触覚など、五感を刺激する文章でもあるからだろう。
読みどころは、壮年以降の業平の描かれ方。たとえば晩年の業平は、「伊勢」と呼ばれる侍女との歌の交流で、共寝よりも豊かな時間と安らぎを得る。華やかな女性たちとの恋物語以上に、壮年以降の業平像こそ、読者の琴線に触れるのではないだろうか。
それにしても、何という業平の色香―。「源氏物語」は、明らかに「伊勢物語」の設定を踏襲していたことに気付かされた。秋の夜長は、「源氏物語」読破に費やしてみようか。(2020年9月20日掲載) -
伊勢物語の現代訳版ともいうべき艶やかな内容。在原業平の恬子(やすこ)内親王(伊勢神宮の斎王)、藤原高子(基経の妹・後の清和皇后)、在原行平の娘との男女の睦合…、その後の後朝の歌交換。雅文が情緒豊かに男女の営みを幻想的かつ官能的に描き出し読み応えがあり、一方で、紀有常の娘・和琴の方も登場するが、和琴の演奏が「かたことと音が尖り、清らかな流れと申せません」と拙かったことに現れているように非常に冷淡に終始し、当時の情緒ない女性との場面を象徴するかのよう。恬子斎王は月の妖精のような高貴な存在としての描写が幻想的。そして溌溂とした若いアイドルのような高子姫。恬子斎王の仕え人だった伊勢との間だけは、男女関係を明確に否定し、業平の良き秘書になったことが書かれているが、この人は実在なのか?どこまでが著者の創作かは不明。そして、業平の有名な歌やその序文などの背景も多く出てくるが、正に歌物語のようで、今でいうミュージカルを思い出され、親しみやすかった。
「名にしおはばいざ言とはむみやこ鳥 わが思ふ人はありやなしやと」
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは」
「月やあらぬは春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
そして辞世「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」