哲おじさんと学くん: 世の中では隠されているいちばん大切なことについて
- 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2014年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532262686
作品紹介・あらすじ
社会問題よりも、自分をとりまく社会の成立に不思議さを感じる学くんの疑問は、いつも友だちや先生には分かってもらえない。自然法則は「今までそうだった」だけなのに、なぜ未来もそうだと分かるの?なぜ僕は今、この世に存在しているの?学くんの問いに哲おじさんが答えることが、さらなる問いを生む。
感想・レビュー・書評
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駅施設内交換本。
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なぜ自分は存在しているのか
この時代、この場所、この意識で。
そんなことを論じる一冊
分からないこと、答えがないことを、とことん考えるのが哲学なのだな -
自分には、哲学は不向きだと、今回も認識した!
パラノイアの世界に迷い込んだみたいで、イライラさせられる。
読了断念!
唯一、同意できたのは、「宗教は嘘つき」って所! -
哲学の問題を考える82の対話。
社会問題よりも、自分をとりまく社会の成立に対する疑問は、誰にも分かってもらえない。
「今までそうだった」のに、なぜこれからもそうだと分かるのか。
なぜ自分は今、この世に存在しているのか。
哲学的な、とても哲学的な対話が繰り広げられていきます。
仏教思想にも通じるところがあります。
理解が追い付かないところもあり、再読が必要です。 -
前半41章、後半41章の、計82章から構成されている。前半は特に、章ごとにクレッシェンドが激しい。後半は逆に、各章の全体がフラット気味になる。
哲学することは、自分を消すこと。一人称ではない、ということ。
例えば、本書の冒頭で、自殺する人がこんなに少ない、ということは、本人が自殺したいわけではないし、他人に自殺をすすめるわけでもない、という主旨がある。
一人称の自分の悩みを解決することは哲学ではない。解決するのは、それはおそらく宗教。しかし、宗教には嘘がある。これには共感できる。そして、私も宗教からは遠ざかっていたい。
あとは、「ほぼ」著者の今まで通りの独自の理論。みんなが並んでいる世界。その中で自分だけが特別だという世界。さらに、じつはみんなが自分が自分だけだと考えていたという世界。これが精査に調べ上げられていた。
自分は特別だから、ケーキを、もう一個食べるのが正しい。しかし、みんなが、それぞれ自分自身を持っているので、それは正しくない。いや、でも、それでも、自分がそういう世界にあって特別だというのがこれまでの永井理論だったのが、今回の話では、そのさらに上への止揚が否定された。これは特記に値する。「ほぼ」と上記に書いたのは、そのためである。
その理由として、吸収や超越によって、どこまでも続くのだが、言語という面からすると、区別がつかないわけだから、ということになる。
あと、自分の疑問として、「私は例外期間を生きている」「世界に私は一人しかいない」という二つの公理が成り立っていた。それなら、別の時間を生きる私がいてもいいことになる。いわゆる生まれ変わりだ。これについては触れられていないことが気になる。
私が悟じいさんになるということは、悟じいさんが悟じいさんとしての私でなくなる、ということを意味するだろうが、それは、それまでの悟じいさんがどこかへ消えてしまうことになる。もちろん、私と悟じいさんが入れ替わりになるというのでもいいのだが、それは不自然に感じられる。すでに、悟じいさんとしての知識を知っているときに、悟じいさんになるということがおかしいのではないか。悟じいさんの目から見え、悟じいさんの足が踏まれると痛い、というのはおかしい。
それよりは、まだ誕生してもいない将来の私、何の身体的特徴もなく、まだ何もわからない私になることは、悟じいさんになるよりは、楽ではないだろうか。神様としての仕事としても楽ではないか。あっ、でも、これって、毎朝起きるときのことでしかないのか。
変身願望があるのは、その人の性質を得たいからであって、そこから開けた世界を見たいとか、そういうことではないと思う。総理大臣になりたいから、安倍晋三になりたい、とかは、安倍晋三の顔や言葉遣いが欲しいからでしかない。
だから、安倍晋三の顔で鏡を見たいとか、安倍晋三の声でしゃべりたい、というのは、結局、安倍晋三のそっくりさんになりたいのと同じではないか。
本物の安倍晋三になることと、偽物の安倍晋三になることの違いは何であろうか。双子は時として、なりすましができる。本物性を崩すことによって、偽物が本物の安倍晋三になることも可能になるというのが私のここまでのところの結論である。
なんだか全く関係ない話の展開になってしまった。でも、刺激的な本であることは間違いない。 -
哲学
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永井哲学をこれまでの議論から一歩進めた『純然たる哲学書』である。主要な問いは「なぜ自分が存在しているのか」である。この問いに価値を見出せない者は本書の難解さにたちまち振り落される。さて、私が刺激を受けたのは、「神」と「私」を超出と吸収で説明している箇所だ。他はさして、つまりは振り落されたのだ。分裂の思考実験辺りから言語遊戯としか思えずひたりついて考える情熱も薄いので理解出来なかった。本書にもあるように人生の存在理由は無い。だからこそ、自分はどのように人生に意味を創造したいのかを考えながら行いたい。その過程で、私はこのために存在しているのだ、と味わうことが出来れば素晴らしいと思う。
<追記>並在/特在の問題を善/悪の問題にすり替えるな、てことか。 -
哲学と言えば、やはり、対話形式だろうし、タイトルからして、読みやすいだろうと思って購入。
しかし、実際読み始めると、序盤はふむふむと内容が入ってきたが、途中から自分なりに考えはするが、内容が理解できているのかイマイチ分からず、さらに考えてしまい、ナカナカ進まない。そして最後まで読んでみた。が、読み終えた実感が沸かない。
まぁ、 I think, therefore I am.と自分に言い聞かせて強引に納得。 -
2015/3/1読了。
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評価しないっていうか、評価できない。これまでに何冊かは永井氏の著作は読ませていただいているけれど、これまでで一番、なんというか手応えがない。難しいとも言えるし、珍粉漢粉だとも言えるけれど、面白くないかと言われたら、なんだかんだで読み終わってしまっているので。
なんとなく10年後とかに本棚でふと目に留まってもう一度読み返す、そんな本である気がする(その時もきっと珍粉漢粉だろうけれど)。