- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560070314
感想・レビュー・書評
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コリオレーナスは傲慢だが、単なる悪人ではない。
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ローマ建国後200年過ぎた紀元前5世紀ごろの話。ローマがまだ都市国家でイタリア周辺部族との戦いを繰り広げていた時代。無骨で粗暴、純真で名誉を重んじる高潔なコリオレーナスの悲劇。傲慢と高潔が表裏一体となり、平民派からみれば傲慢、元老院からみれば高潔。同じ人物がまったく真逆の人物として描かれる。祖国ローマのために一身を投げ打ち数多くの貢献をした人物が追放され、ついには復讐の炎に燃えた地獄の化身となってローマに襲い掛かかり・・・・。
「しょせん人間の美点はそれぞの時代の解釈次第だ。権力の座はいかにも座り心地よく見えるものだが、功績をたたえてその座に着かせてくれた演壇がやがては墓場になることを覚悟せねばなるまい。」 -
原題: Coriolanus
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シェークスピア悲劇の一。
コリオレーナスは高潔なのか高慢なのかという問に対して、私は高慢なのだと答える。
「傲慢な心が謙虚を着ている」といえる。
なお、これに対しファーナムは
「傲慢(プライド)はコリオレーナスの欠点であるにとどまらず、悲劇の主人公たらしめる美徳さえ生み出している」という。
コリオレーナスの内面を知りえないのもシェークスピアらしくない。故意だろうが。
グランヴィル=パーカーは「私たちは決してコリオレーナスと完全に一体化しないし、その内面を自由にうかがい知ることもない」といっている。
同化反応を喚起するのが悲劇、異化反応を喚起するのが喜劇だとすればこれはうまくない。
ただ、一応彼の名誉のためにアリストテレスを援用する。「悲劇と喜劇の差異は、悲劇が平凡な人間より優れたものを表そうとするのに対して、喜劇は愚劣なものを選ぶところにある」 -
高校生。
高校の図書館。