ナイフ投げ師

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560092033

感想・レビュー・書評

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  •  奇妙にねじくれた12の物語が詰まった短篇集です。こんなのを次々と書き続けることができるスティーヴン・ミルハウザーという作家の精神は、とてもまともだとは思えません。しかし文章は理知的で美しいです。あまりに純度が高いので、散文でありながら詩のように感じてしまうほどです。

     加えて柴田元幸の翻訳が素晴らしい。柴田氏はこのミルハウザーやポール・オースター、そしてその他数多くの米国人作家の作品を物凄い勢いで翻訳し続けていて、しかもそのすべてがみごとなできばえです。翻訳ものにつきものの不自然さ(日本語の中にもとの外国語がとけ残っているような違和感)が全く感じられません。

     柴田氏の文体は、ミルハウザーの作風にぴったりだと思います。選び抜いた言葉で書かれた原文に寸分たがわない日本語を当てはめていくという翻訳作業は、きっと翻訳者自身にとっても恍惚感を伴うものでしょう。それはまるで、ナイフ投げ師が舞台の上で、研ぎ澄まされたナイフを、ねらい通りに的に投げつけていく姿そのものです。訳者あとがきの中で柴田氏は「登場人物の個性と、作家の個性が、スティーヴン・ミルハウザーほどしばしばぴったり重なって見える書き手も珍しいのではないだろうか」と書いておられますが、私は、加えて訳者の個性も登場人物や作者の個性と重なっているのではないかと感じずにはおれません。

     以下の作品が面白かった。

            *     *     *

    空飛ぶ絨毯 ★5
     冒頭の9行に書かれた、だれにでもある「子供のころの夏の記憶」の描写がものすごく効いていると思う。そこから、魔法の絨毯の話にすとんと入っていく辺りが上手い。
     ありえないことが実体験のように描かれ、とてもまともとはいえない話が、ごくごく自然に感じられてしまう。風景のひとつひとつが、実際に見たもののようだ。
     ある日見つけた、地下室に打ち捨てられた絨毯。夏が終わり僕は確かにひとつ成長したのだけれど、それは何かを失うことでもある。

    新自動人形劇場 ★5
     実物そっくりの人形を作るのが名匠なのかと思ったら…… ちょっと中島敦の「名人伝」を連想させる結末だけれど、もしかしたらここで述べられているのはとても深い芸術論なのかもしれない。
     人形そのものを体現するというグラウムの新自動人形のイメージが、非現実をリアルかつ精密に描写するというミルハウザーの奇妙な作品群のイメージと重なって見えてくる。

    ある訪問 ★5
     この場合、友人の奥さんがたまたま本物の蛙だったというだけのことであって、このような話は結構どこにでもあるのではないか、などとつい思ってしまうほどに、物語の運び方が自然です。

    月の光 ★5
     月光は人を狂わせるというけれど、ミルハウザーの綴る言葉も月の光と同じです。心にしんしんと降り続け、読者は本の中で夜の街にさまよい出て、いつのまにか自分の体が夜の空の高みにまで連れて行かれていることに気付きます。
     
    ナイフ投げ師 ★4
     やっちゃったね……。こうなるんじゃないかなと思っていたけど、やっぱりこうなったか。

    気球飛行、1870年 ★4
     気球に乗ってパリを発ち、プロイセン軍の包囲網を飛び越えるという冒険。移ろいゆく気球からの眺めと私の心象風景がドラマチックに重なって新鮮!

    私たちの町の地下室の下 ★4
    “私たちが通路を信じる限りにおいてのみ私たちの通路は存在するのだという説もある。階段も、影も、折れ曲がった通路も、すべて私たちの内にあるというのである” ── なるほど、そういう仕掛けか。奇妙で特殊な物語を書き続ける作家やその物語に惹かれる読者は、しばしば日常世界を離れ地下空間に降りていこうとするこの町の人たちと、実は同類なのかもしれない。

    夜の姉妹団 ★4
     年頃の女の子というのは大人にとって得体の知れない生き物で、そんな女の子が娘としていっしょに暮らしている家庭の親御さんは、きっとこんな気持ちで日々過ごしているに違いないと思いました。

    出口 ★4
     事件のきっかけから結末までを一方の当事者の目だけで眺めている。確かにハーターは都合のいい出口を探していた。が、とんでもない場所に出てしまったね、自業自得!

  • 「ナイフ投げ師」「ある訪問」「空飛ぶ絨毯」「パラダイスパーク」が印象に残った。「協会の夢」の執拗なぐらいの描写すごい。VR文学と言われる意味がわかった。

  • 「ナイフ投げ師」
    神業的な技術を持つナイフ投げ師が、ステージの最期に見せたこと。道を突き詰めた者だけが辿り着く孤独と恍惚。いきなりミルハウザー的なテーマ全開の前奏曲。

    「ある訪問」
    風変わりであるが故に、自身の青春とは切り離せない大学時代の親友から数年ぶりに届いた手紙。結婚したから遊びに来い。向かったその先にあるものは、、、
    2度と戻れない過去と、奇妙な目の前の現実とに板挟みになる「私」。

    「夜の姉妹団」
    10代の女の子たちが秘密結社めいた会合を繰り返すが、その理由や実態は不明のまま、謎だけが残り続けていた。しかし、「私」は明白であるが故にベールに包まれていた真相に行き着く。これは傑作。

    「出口」
    不倫現場に踏み込まれた男が巻き込まれるカフカ的悪夢。しかし、罪状が明確なだけに判決も迅速に下される。アメリカ的な、あまりにアメリカ的な。

    「空飛ぶ絨毯」
    破滅へと至る暗い欲望。それを抱くのは決して大人だけではない。空飛ぶ絨毯で空の果てまで上昇することの結末は。精緻な描写が、絵空事を異様なリアリティを持って描き出す。苦い終わり方が泣ける。

    「新自動人形劇場」
    架空の自動人形とその作成を担う1人の天才の物語。これも自家薬籠中でもある精緻な描写と求道者の孤独というテーマでグイグイ引っ張って行く。インザペニーアーケードのバリエーションなのだが、分かっていてもやめられないものが、この世には確かにある。

    「月の光」
    月の光に満たされた青い夜、眠れない中学生である「ぼく」は家を抜け出して、不思議な体験をする。人生にはたまに訪れる、幸せな印象だけが残り、だけど、どうしても思い出せない夢。それに形を与えれば、この小説になるのかも。現代アメリカ的なKの昇天の変奏。

    「気球飛行、一八七〇年」
    この短編集は地上ならざるものが通奏低音として流れているが、それがテーマとして顕在化した掌編。
    包囲されたパリを離れ、気球で偵察する使命を帯びた語り手は、平穏が支配するフライトに永遠を見る。
    しかし、もちろん永遠なんてこの世にはないことが鮮明になるラスト。人間はいつだって重力に縛られて、山を飛び越えられるのはバケツの騎士だけだ。

    「パラダイスパーク」
    人々の欲望と経営者の狂気を飲み込みながら拡大と進化を続ける一大遊園地。それはほとんど世界の全てを模倣し、全ての欲望を満たすかに見えたその瞬間、自身の重みに耐えられずに自壊する。
    残るのは過去の栄光と現在ここにある空虚。

    「カスパー・ハウザーは語る」
    無から生まれた孤独は、文化的なものを知れば知るほどその影の濃さを増すことになる。
    願うは全てを再び無に帰すこと。
    自身をこの世から消してしまうこと。

    「私たちの町の地下室の下」
    ここではないどこか。全ての浪漫主義者が夢見る場所をミルハウザーは何度も描こうとする。
    ここではないどこか。それはこの短編集自体の通奏低音であるが、最後の短編では地下道という具体的な形を成す。
    ここではないどこか。いくつものバリエーションを経ながら、実は我々が行き着く先は結局1つなのではないか、と神学的な不安に陥る。
    ここではないどこか。それでもまた陽は昇る。
    ここではないどこかに憧れながら、ここ以外に世界はない。

  •  白水Uブックスで既に持っていたのだが、古本屋でハード・カヴァーを発見。
     好きな作家だったので、思わず購入してしまった。
     以下の感想は白水Uブックス読後に書いたもの。

     短編集。
     人間の心の奥底に潜んでいる闇の部分を引っ剥がされたり(「ナイフ投げ師」「カスパー・ハウザーは語る」等)、人間の際限の無い欲望、そして限界を超えた欲望の果てに待っているものを描いたり(「協会の夢」「パラダイス・パーク」等)、幼い日々にのみ感じることのできた何ともいえない高揚感を描いたり(「空飛ぶ絨毯」「月の光」等)、どれもこれも真珠の短編といっていいと思う。
     個人的には、自己中心的な人間の心理の変化(いかに自分を楽観的に納得させるか、とか、いかに他人の愚かさを馬鹿にできるか、とか)を絶妙なタッチで描いてみせた(そして、そのみじめななれの果てを描いて見せた)「出口」が出色の作品だった。

  • 「好奇心と背徳の密なる関係」

    ナイフ投げの名人・ヘンシュの舞台を観に集まった町の人々。そこで繰り広げられた彼の演技が危険の度合いを高めるほどに、客席は異様な興奮につつまれていく。表題作「ナイフ投げ師」他「ある訪問」「夜の姉妹団」「出口」「空飛ぶ絨毯」「新自動人形劇場」「月の光」「協会の夢」「気球飛行、1870年」「パラダイス・パーク」「カスパー・ハウザーは語る」「私たちの町の地下室の下」12編収録。

    舞台の壁の前に立つ美女の指の間へ、首筋へ、ストン、ストンと的確に投げられていくナイフ。その鮮やかさに感心し盛大な拍手を送りながらも、観客である私たちの心の中にあわよくば「命中」しないだろうかという、人としての道義に反する「期待」があるのではないか。そこにこそ実は舞台の興奮の正体があることを著者は見逃していない。表題作「ナイフ投げ師」は本短編集の真骨頂。

    「ある訪問」では旧知の友人から招待を受けその自宅を訪ねると、そこには彼とその妻だという大きな蛙が暮していた。彼らの奇妙なもてなしの晩餐が済むとお先に失礼と客である私を居間に残して彼は潤んだ瞳の妻とともに「寝室」へ上がっていく。その後「私」が感じる2階の気配。何を想像しろというのか…。

    人の興味や欲望のままに増殖する百貨店や、暴力・性・死などの背徳的な快楽を満たすべく造られた「悪魔の遊園地」などミルハウザーの想像力には舌をまき、何者かが明かされぬままその告白が綴られる「カスパー・ハウザーは語る」には、人としてあるまじき好奇心を持って読まされる。「夜の姉妹団」や「私たちの町の地下室の下」のように、逆にその「イケナイ好奇心」をマックスにさせられたところで返り討ちにあうような編もあって気が抜けない。

    好奇心と背徳は組み合わさることによってある種の興奮を呼び覚ますんだなあ…。社会に在る限りそれは決して表立って肯定はされないものの、きっかけさえあれば誰の心の内でもその化学反応が起こり得ることを思い知らされる。著者の語りぶりが淡々としているため、返ってそのいたたまれなさに震撼する。

  • 自動人形、百貨店、遊園地、地下世界、月夜の散歩、飛行感覚、超絶技巧…。どれも、ミルハウザーの読者にはおなじみの設定であり舞台背景である。めずらしいものにあふれた世界なのに、めずらしいものなどないといっていい。同工異曲、千篇一律。ミルハウザーの紡ぎ出す綴れ織りには愛用の図柄しか持ち合わせがないようだ。

    ミルハウザーを一手に引き受けて訳し続けている柴田元幸氏も久々の短編集の解説に「作者はあたかも、ほかに語るべき人間などまったくいないかのように、そしてあたかも、ほかに採るべき語り方などまったくないかのように書いている」と書かざるを得ない。普通なら、これだけ同じ話を書き続けていたらとっくに飽きられているはずなのだ。

    ミルハウザーの小説には、飛び抜けた技量を持つ職人が、その技術の高さゆえに賞賛され、頂点まで登りつめるが、それで満足することなくなお研鑽を積んだあげく、周囲の理解を超えた地点にまで飛び出し、失速し、墜落する、といった類の話が多い。

    苦しい修業の果てに「不射の射」という境地に達した弓の名人が、弓矢を見て、その道具が何に使われる道具なのか、思い出せなくなっていたという話が中島敦の『名人伝』にある。名人上手と神仙世界とが陸続きの中国ならではの捻りをきかせた展開だが、西洋の物書きであるミルハウザーには、そこまでの韜晦趣味はない。一線を越えてしまったアルチザンの持つ狂気にも似た一種異様な執念と、その世界を到底理解することのできない一般人との乖離が非情な結末を呼ぶばかりだ。

    訳者も気づいているように、作者であるミルハウザーと主人公の芸術家には共通点がある。何か一つのテーマに固執し、飽きずにそればかりを追究しようとする偏執狂的な姿勢と、それを可能にする技術水準の高さである。

    そこには、もしこのまま同じテーマで描き続けていくなら、早晩煮詰まってしまうだろうという危惧感が生じる。ナイフ投げ師の技術が高くなり、名人の呼び声も高くなれば、目隠しをしてナイフを投げても助手の女性に当たらないことは当たり前になる。観客にしてみれば、そこにはスリルがなくなるわけだ。

    万に一つの狂いもないナイフ投げなど飽きられるのは当然。そこで、考えられたのが的になる女性の剥き出しの二の腕に、一筋の傷をつける技術。白い皮膚から滲み出た血が床に滴り落ちる演出である。しかし、「ナイフ投げ師」のこの技術、どこかに倒錯の匂いがしないだろうか。微妙な逸脱が、見世物に許される一線を越えて、禁断の地平に踏み出したような危険の感覚が…。

    客を喜ばせようとする、この種のサービス精神は善意であるだけに抑制が効きにくい。コニー・アイランドで実際に起きたドリームランドの大火災をもとに、架空の遊園地の成長とその崩壊を描く「パラダイス・パーク」は、倒錯の予兆を匂わせるアミューズメント・パークの近未来図を想像力豊かに歌い上げるミルハウザー・ワールド全開の傑作である。

    以前にも増してミルハウザー的な色が濃いと訳者も言う今回の作品集。ミルハウザーは作品世界の住人にも似て、自分の作品世界の可能性を高めるための努力を惜しまない。ミルハウザーの世界にはまってしまった読者には期待通りの満足感を、初めて読む者には、ミルハウザーの世界を実感させる待望の第三短編集である。

  • ミルハウザーの短編集。面白いのとそこそこのが交互に入っている。「夜の姉妹団」「新自動人形劇場」「協会の夢」「パラダイス・パーク」が好き。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「面白いのとそこそこのが」
      実はuブックスになるのを待っていて未読。
      上のコメントについてですが、、、そんな馬鹿なと言う思い半分と、ミルハウ...
      「面白いのとそこそこのが」
      実はuブックスになるのを待っていて未読。
      上のコメントについてですが、、、そんな馬鹿なと言う思い半分と、ミルハウザーなら遣りかねないと言う思いが半分。
      2013/01/04
  • 「ナイフ投げ師」「ある訪問」「夜の姉妹団」「出口」「空飛ぶ絨毯」「新自動人形劇場」「月の光」「協会の夢」「気球飛行、一八七〇年」「パラダイス・パーク」「カスパー・ハウザーは語る」「私たちの町の地下室の地下」
    が読めます。

    私にはこの短篇集はミルハウザー濃度が濃すぎたと思われる。
    この言葉の波のようなものに身を任せるには、今は少し体力が無かったです。
    言葉が掻き立てる想像力が私にはまだ不十分で、というより想像力を働かせる努力を怠った読書をしたので、いまいち楽しめず。
    再読の必要がありますね。
    まだ濃度の薄い、他の短篇集に挑戦してみようと思います。

  • 一つの物事に対する物語方が、とても緻密でまるでムービーを観ているようです。それは決して回りくどくなく嫌味でもありません。頭の中にひろがる、地下迷路や遊戯施設などの疑似体験ができます。最初はストーリーが無限に広がっていくのを楽しんで、次は、リアルな比喩の言葉の美しさを存分に味わってみてください。

  • アメリカ人作家スティーヴン・ミルハウザーの第三短編集。

    とある遊園地の栄枯盛衰や、デパートの改装後の様子、謎の街の生態とか、人間メインではなく架空の歴史事象をつぶさに綴っていく不思議な物語の数々。

    読むとだんだんクセになってくる。他の作品も読んでみよう。

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