- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560098790
作品紹介・あらすじ
複雑な称号の体系、後継ぎと他の子供それぞれの苦労など、「イギリス人にとってのアッパー・クラス」の背景事情をわかりやすく解説。
感想・レビュー・書評
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新井潤美「ノブレス・オブリージュ——イギリスの上流階級」 | web ふらんす
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ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級 新井 潤美(著/文) - 白水社 | 版元ドットコム
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784560098790 -
今の知識レベルでは、なかなか太刀打ちできない難しさ。
同著者の、『〈英国紳士〉の生態学 ことばから暮らしまで (講談社学術文庫)』は、わりとわかりやすく書かれていたのだが、アッパークラスともなると、掴みにくい所があるかもしれない。
日本とは異なる貴族制度であるために、なかなかイメージしづらく、付け焼き刃の知識では耐えられないことを思い知らされました。 -
イギリスの上流階級(アッパー・クラス)は、イギリスのみならず、多くの人の興味の対象である。イギリスの歴史を作り、文化の源となり、彼らの礼儀作法が社会の行動規範となってきた。
一般人にとっては「雲の上」の人々。好奇心やロマンを誘う存在でもある。
著者は、英文学・比較文学の研究者。
18世紀以降の英国上流階級の実態を文学作品などから紐解いていく。
それは実のところ、そんなに楽でもないようで・・・。
アッパー・クラス(upper class)はnobilityとも言われる階級で、爵位のある貴族だけでなく、「ジェントリ」と呼ばれる地主も含む。爵位は、君主が新たに授与する(主に政治的理由から)こともあれば、経済的に成功したものが「買う」こともあり、必ずしも古い家柄とは限らない。
イギリスのアッパー・クラスの特徴は、原則、長男が継ぐことになっている点である。対象は爵位や土地、財産すべてである。つまり、次男以下は基本、何ももらわない。彼らは別途、なんらかの職に就くわけである。ただ何でもよいかといえばそうでもなく、軍の士官や外交官、聖職者、法律家(法廷弁護士)といった紳士にふさわしい仕事を選ぶ。こうしたヤンガー・サン(年下の息子)は、アッパー・クラスから少し下がるアッパー・ミドル・クラスに属することになる。
一方で、アッパー・ミドル・クラスには、下から上がってくる人々もいる。こうした職業ではコネが大切ではあったが、時代が下るにつれて、ミドル・クラスから訓練を受けて入ってくる例が増えていくのである。これは法律家や聖職者がアマチュアからプロフェッショナルに移行していったことにも関連する。
そうはいってもそこには厳然と差があり、かつてアッパー・クラスに属していたヤンガー・サンは、「貴族的」な言葉や慣習を叩き込まれているわけである。
同じクラス内でも、アッパー寄りなのかロウワー寄りなのか、見る人が見ればわかってしまうのだ。
20世紀半ばに、小説家ナンシー・ミットフォードは「Uと非U(アッパーとそうでないもの)」と称する論を自らのエッセイで紹介する。アッパーとそうでないものとでは、使う言葉が違うというのだ。そもそも別の教授の考案であり、また彼女のエッセイでそれほど大きな部分ではなかったにも関わらず、これが爆発的に受ける。曰く、
Cycle(自転車)は非UでbikeがU
Greens(付け合わせの野菜)は非UでvegetablesがU
Sweet(食後の甘いもの)は非UでUはpudding
といった具合である。ふざけ半分の話だったのだが、境界の階級にいる(主に下から上がってきた)人々を振り回す結果となった。つまり、sweetと言わずにpuddingというようにしよう、というように。自分が単なるスノッブなのか、上流階級なのか、人々が気にするリトマス紙となったのだった。
一方、アッパー・クラスの娘たちはどうだったのかといえば、とにかく「よい」結婚をすることを目指していた。
次男以下は、長男に何かあったときに家を継ぐことになるので、その面からも教育はないがしろにできなかったが、娘たちはそうではない。ある意味、よい嫁ぎ先を見つければよいのだ。すべての親が娘の教育に力を注がなかったわけではない。が、女子校の場合、勉強に苦労していたら無理はさせないという方針のところも少なくなかったという(もちろん、これは現代の話ではないが)。
家を継いだ長男には、次男以下や娘たちとはまた違う苦労がある。
タイトルにもある「ノブレス・オブリージュ」は、貴族の義務を指す。
貴族たるもの、所有している屋敷と土地を管理し、そこに暮らす者や近隣住民の生活を守り、屋敷や土地をそっくりそのまま次代に引き継がねばならないのだ。
この意味では、彼らは「所有者」というよりも「管理者」である。
屋敷は社交の場でもあり、そこで開かれるハウス・パーティは政治的な会合となることもあった。
二十世紀に入ってからは、貴族の邸宅は荒波にもまれる。高い税金が掛けられ、維持費も馬鹿にならない。ツアーを開催して入場料を取るもの、ナショナル・トラストのような団体に託すもの、と、取る策はさまざまだが、優雅な暮らしに明け暮れているのかといえばそうとは言えないのだ。
継いだ長男だって大変なのである。
こうした話に加え、アメリカン・マネーとの関係、パブリック・スクールの成り立ち、17~18世紀に盛んにおこなわれていた「グランド・ツアー」と称する見聞を広める欧州旅行など、読みどころは多い。
J.オースティンやA.クリスティ、W.シェイクスピアなどの作品の背後には、なるほどこんな事情があるのか、というのも窺われて楽しい。 -
【書誌情報】
『ノブレス・オブリージュ――イギリスの上流階級』
著者 新井潤美
ジャンル 世界史
出版年月日 2021/12/28
ISBN 9784560098790
判型・ページ数 4-6・240ページ
定価 2,420円(本体2,200円+税)
ジェイン・オースティンの作品から王室の人々まで
貴族の称号ほか背景事情をわかりやすく解説
複雑な称号の体系、後継ぎと他の子供それぞれの苦労など、「イギリス人にとってのアッパー・クラス」の背景事情をわかりやすく解説。
「高貴な人々」のイメージ・誤解・実情
イギリスの二十世紀以前の小説や演劇には、アッパー・クラス(貴族だけでなく、ジェントリと呼ばれる地主を含む)の人物が必ずと言ってよいほど出てくる。それは、彼らが政治だけでなく、文化の形成にも大きな役割を占めているからである。イギリスの国民性とされるもの、たとえば冷静さも、もとはアッパー・クラスのものだという。
彼らは、長男がすべて受け継ぐ相続制度によって爵位と土地を守ってきた。一方でこの制度は、相続する長男にも、もらえるものがはるかに少ない次男以下にとっても、それぞれに苦労をもたらした。そしてそうした苦労が、しばしば文学や芝居のテーマともなってきた。
では、アッパー・クラスの人々は、イギリス国内でどういうイメージをもたれ、その裏側にはどういう苦労や事情があったのか? 財産を維持する手段としての結婚、知的でないと言われてきた彼らの教育、次男以下の職業事情、そして奇人伝説の裏話までを、本書は文学や著名な人々の例を通して、背景事情とともに読み解いていく。人気のweb連載に大幅加筆のうえ、イギリス人ですらしばしば間違える、貴族の称号の複雑なシステムの一覧表を収録。
[著者略歴]
東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士号取得(学術博士)。東京大学大学院人文社会系研究科教授。主要著訳書:『執事とメイドの裏表―イギリス文化における使用人のイメージ』(白水社)、『階級にとりつかれた人びと 英国ミドルクラスの生活と意見』(中公新書)、『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)、『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』(岩波新書)、ジェイン・オースティン『ジェイン・オースティンの手紙』(編訳・岩波文庫)、ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』(共訳、全2巻、岩波文庫)
〈https://www.hakusuisha.co.jp/book/b595106.html〉 -
「〇〇のドラマに出てくる誰々さんが〜」とよく書かれていて、知らんしと思いながらも読んでいます。
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文学作品におけるイギリスの上流階級(アッパー・クラス)に目を向け、ミドル・クラスにはないアッパー・クラスの知られざる苦労を明らかにした本。
長男とそれ以外の弟姉妹の待遇、学生生活、相続制度、世間の評判などからも、閉ざされた彼らの実生活を垣間見ることができる。
十九、二〇世紀のイギリス文学が好きな方、特にジェイン・オースティンやアガサ・クリスティを読んだことのある方は、なおさら興味をそそられる内容。
今まで作品中に公爵や伯爵夫人が登場しても、単に裕福な人々としか考えていなかったけれど、これからは階級とその背景にあるものも意識して読んでみたい。
タイトルにある「ノブレス・オブリージュ」の話は本書の一部だが、著者がストーリーテラーなので、前章から次章へのつなぎも上手く、その他の話もおもしろく読めた。
p8
イギリスの「アッパー・クラス 」(upper class)、あるいはnobilityと言われる階級は、爵位のある貴族だけでなく、「ジェントリ」と呼ばれる地主をも含む。(中略)爵位は政治的な目的等から新たに君主が授与することができるほか、経済的に成功した者が実質的に爵位を「買う」ことも可能なため、爵位を持っているからといって、必ずしも古い家柄の出であるわけではないのだ。
p10
そもそもイギリスの小説も、演劇も、書いてるのはおもに「ミドル・クラス」に属する人々である。「ミドル・クラス」といっても、チャールズ・ディケンズのように、「ロウワー・ミドル・クラス」出身者から、ウィリアム・サッカリーのような、「アッパー・ミドル・クラス」までさまざまではあるが、いわゆる「アッパー・クラス」の文筆家は多くない。したがって、彼らが描くアッパー・クラスはあくまでもイメージやステレオタイプをもとにしたものが多くなるのだが、そうであるにしろ、アッパー・クラスの人物が必ずと言ってよいほど二十世紀以前の小説や演劇に出てくるのは、彼らがイギリスの政治だけでなく、文化の形成にも大きな役割を占めているからである。
p12
本書の目的は、イギリスの社会、文化の中でアッパー・クラスのどのような要素、どのようなイメージや実態が知られているのか、いくつかの例に目を向けて、その背景や内容を見ていくことである。
p16
ここでイギリスの爵位を確認しておくと、上から公爵(duke)、侯爵(marquess)、伯爵(earl)、子爵(viscount)、男爵(baron)となり、これらが世襲貴族(hereditary peer)である。さらに爵位が子供に相続されない一代貴族(life peer)、そして世襲制だが「貴族」とは見なされず、貴族院のメンバーにもならない准男爵(baronet)がある。
p20
「正式」な爵位と「儀礼上の」爵位の違いも、実は英語の表記でわかる。「正式な」爵位はThe Duke of Devonshireと、「the」が頭につくのだが、「儀礼上の」爵位はMarquess of Hartingtonといった具合に、「the」がつかないのである。
p23
たとえば娘の場合、公爵、侯爵と伯爵の娘は「レイディ」という称号が名前の前につけられるが、子爵と男爵の娘は「ジ・オノラブル」(The Honourable)という称号になる。息子の場合、公爵、侯爵と伯爵の長男(爵位継承者)とその息子、そして公爵と侯爵の次男以下の息子には「ロード」 の称号が与えられるが、伯爵の次男以下、そして子爵と男爵の息子はすべて「ジ・オノラブル」である。
p24
「サー」は後、に述べる世襲制ではない「ナイト」か、あるいは前に書いた「准男爵」に与えられる称号である。(中略)レイディ・キャサリンが夫の家系とダーシーの家系についてそれぞれ「称号はないけれども、立派な、栄誉ある、古い家系」と語っていることから(第三巻第十四章)、貴族ではないが世襲制の称号である准男爵ではなく、ナイトなのではないかと研究者は推測している。
p26
「ナイト」の称号は王室から勲章と共に与えられる。ここでは詳細は避けるが、大きく分けて二種類あり、手紙の宛名などで違いがわかるようになっている。ひとつは王室により設立された「騎士団」(Orders of Chivalry)に属するもの、もうひとつは騎士団への入団を伴わない、「ナイト・バチェラー」(Knight Bachelor)と呼ばれるものである。いずれの場合もナイトは「サー」という称号を与えられる。たとえば日本生まれの作家カズオ・イシグロは二〇一八年にナイトの称号(ナイト・バチェラー)を与えられ、サー・カズオ・イシグロとなった。ナイトは、その人物が国、王、あるいは教会に大きく貢献したと認められた際に与えられる称号で、世襲制ではない。
貴族の呼び方などの情報
https://debretts.com/
p46
じっさい、イギリス文学で副牧師はこのように、聖職には就いたが、後援者も財力もないために昇進できないロウワー・ミドル・クラスとして描かれていることが多い。
p48
オースティンは父親と兄が牧師だったこともあってか、作品中にさまざまな牧師を登場させている。エドマンドや、『ノーザンガー・アビー』のヘンリー・ティルニーのように、アッパー・クラスや紳士の息子たちもいれば、『自負と偏見』や『エマ』のように、品性今ひとつで、運良く後援者が見つかったおかげでなんとか牧師の地位についた、という人物も描かれている。『自負と偏見』のミスター・コリンズは、ベネット氏の遠縁に当たり、将来はベネット氏の屋敷の主人となる人物で、紳士であることは間違いない。レイディ・キャサリンという後援者を得て有頂天になるのも、聖職者にとっての後援者の重要さを考えると理解できる。また、『エマ』のミスター・エルトンは、聖職者という地位を占めているおかげで、紳士であることの前提がクリアされているので、自分が村の名家の娘エマの結婚相手としてふさわしいと思ってしまうことも、無理はないかもしれない。奨学金などを得て、いわば下の階級から「昇って」聖職にあった者でも、田舎の村ではそこの地主の社交界に入ることができたし、また、村における聖職者の力も大きかった。オースティンの描く「滑稽な」牧師たちは、このような状況におかれて、過剰な自信を得て「勘違い」をしてしまうような人物なのである。
p58
イギリスの階級意識をユーモアを持って、しかし鋭く描くことを得意とする推理作家アガサ・クリスティーの作品には、特にこの「経済力のないアッパー・ミドル・クラス」が多く登場する。田舎の村の小さな家でメイドひとりと暮らし、たまにカリブ海のようなエキゾチックな場所でバカンスを過ごしても、それは人気作家である甥の援助による、というミス・マープルなどはその典型だろう。素人探偵の夫婦、トミーとタッペンスもこのカテゴリーに入ると言える。また、クリスティには探偵が登場しない作品も多いが、そのひとつである「リスターデイルの謎」(一九三四)にもまさにそのような家族が出てくる。
p63
「アッパー・ミドル・クラス」の階級に対するこだわりを、「アッパー・クラス」の立場から滑稽かつ容赦なく描いた作家もいて、ナンシー・ミットフォードはまさにそのひとりである。
十九世紀の後半には、十六世紀のエリザベス一世時代の建築を模倣した家が流行した。エリザベス一世がチューダー王家に属するため、この建築は「モック(擬似)・チューダー」とも呼ばれ、本物のチューダー王朝建築に住んでいることも多かったアッパー・クラスから見れば「成金」や「悪趣味」の象徴ととられたのも無理はないだろう(ちなみに、モック・チューダー建築の有名な例は、ロンドンのリージェント・ストリートにある百貨店リバティーである)。
p78
つまり十九世紀のヨーロッパにおいては、爵位が長男以外の息子にも与えられることによって、貴族の数は増加し爵位の価値も下がっていき、土地や財産も代を重ねるごとに小さくなっていく。それに比べてイギリスの貴族さ、次男以下の息子たちを「ミドル・クラス」に送り込むことで排他性を保ち、土地と財産もそっくりそのまま次の代に受け渡すことが可能だったのである。ヨーロッパの中でもイギリスの貴族の爵位は価値があり、土地も財産もある、特別な存在だった。アメリカの富豪の娘たちが結婚相手として特にイギリスの貴族を狙ったのも、たんに言葉が通じるという理由だけではなかったのである。
p81
一代貴族は通常は「男爵」の爵位を得る。
(前略)現在、女性の世襲貴族は女伯爵(Countess)か女男爵である。英語では「伯爵夫人」や「男爵夫人」と区別するために、女性の持つ爵位はラテン語でsuo jure(自らの権利で)と呼ばれる。たとえば現在のエリザベス女王もsuo jure Queen of the United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandとなる。同じQueenでも「王妃」(たとえばエリザベス女王の母、Queen Elizabeth)とは違うわけである。
p89
これはもともとフランス語の表現で、nobless 「高貴さ」+oblige「(義務を)強制する」、つまり「高い社会的地位は義務を伴う」ことを意味する。
p91
アッパー・クラスの「ノブレス・オブリージュ」として、所有している屋敷と土地の管理、そこに暮らすものや近隣の住民の生活を守ること、そして屋敷や土地をそっくりそのまま次の代に受け渡すということがある。(中略)また、住民が近道などをするために自分の土地に侵入することを許可する「通行権」や、土地と屋敷を一年に何度か公開するというのも「ノブレス・オブリージュ」であり、急に富を得て土地を獲得した「成金地主」たちがこの義務を果たさずに村人の不興をかうというテーマが、十九世紀後半以降の小説によく見られる。
p130
じっさい、イギリスのカントリー・ハウスは「ステイトリー・ホーム」(stately=立派な、荘厳な、堂々とした)とも呼ばれている。
p138
二十世紀のイギリスのアッパー・クラスは伝統的に、自らをあえて「知性的(intellectual)でない」と公言したがり、特にヨーロッパの美術や音楽といった「教養」と無縁だという姿勢を貫きたがるのは小説や演劇によく描かれる姿である。 -
タイトル通り。
エピソード多めに解説されていてちょっとわかりやすいかも。 -
イギリスの学寮舞台のミステリ読んでて、いまひとつピンとこなかったあれそれが、なるほどそういう仕組みになってるのか!ってのが分かって良かった。
また、ややこしい貴族の呼び方(称号)についても(デュークなのかロードなのか…)一覧でわかりやすくまとまってて良いですね。
比較文学の研究をされてるだけあって、いろんな作家の作品から例示されながらの解説なのでとてもわかりやすいし、実際その本を読んでみたくなる、ブックレビュー的にも面白い一冊でした。 -
アッパークラスについてよく理解できた。
世界広しといえど、どの国にも身分の違い、格差や差別というのは当然にあるという、当たり前のことを再認識した。人間が存在する限り、たとえ資本主義が崩壊してもこの仕組みは存在し続けるだろうと思う。
人が人である限り仕方ないことだと、それを承知の上で今自分がどのようにして生きるか。なんてことまで考えさせられすごく「為になる」本でした。
これとブレイディみかこさんの本も読むと、イギリスという国への興味が尽きなくなります。 -
どこか遠い世界の住人というイメージがある、英国の上流階級の人々。伝統を守りつつも時代に迎合しなければならない苦労や模索はあるようだが、高貴な義務の体現者たちよりもそこからはみ出した人々のほうが目につきやすいのは仕方がないことなのだろうか。
<書評>ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級:北海道新聞 どうしん電子版
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<書評>ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/648131?rct=s_books