立花宗茂 (PHP文庫)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (479ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569574219

作品紹介・あらすじ

筑後柳河十三万石の領主立花宗茂を描く長編小説。秀吉をして「鎮西一の忠勇、天下無双の勇士なり」といわしめた宗茂の生涯は、戦っては義戦多く、常に寡兵をもって大軍を破り、その生きざまは信義一筋、まことに誠実・清廉なものであった。これは実父高橋紹運、養父立花道雪という両父の高潔な生き方を範としており、ゆえに本編は、この三人の父子像が中心のテーマとなっている。▼ともに大友家の加判衆であった両父は、当主宗麟を守り立てる立場にある。たとえ非道な仕打ちにあったとしても、決して当主を見放さず、己の運命として受けとめ、恥じることのない生涯を終えるのである。この愚直なまでの廉潔な生き方を、著者は現今の知的ノウハウ重視の風潮に対するアンチテーゼとして提示、また自立する女性として描かれる妻ぎん千代と宗茂との葛藤も、今日的なテーマとして見事に描出している。▼現代人の心を癒し、人間の温もりをほのぼのとつたえる力作である。

感想・レビュー・書評

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  • 戦国時代末期、信長が無念の最期をとげ、秀吉が天下を取る頃の九州での話。

    九州では、大内氏が毛利に敗れ、薩摩の島津と豊後の大友が覇権を争っていた。その大友側の当主 宗麟の幕下を勤めるのが、戸次氏、立花氏、吉弘氏、高橋氏だ。高橋紹運の子、高橋統虎が立花道雪の娘婿に行き、立花統虎となる。この物語の主人公、後の立花宗茂だ。

    宗茂の義父道雪は、武士無骨を絵に描いたような人であり、絵に描くだけでなく、しっかりと実践した人であった。主従の紐帯は信義である、というのが道雪の信条だった。信義は武士が己の生き方をまっとうするためのものだ。ただ、おのれ一人が生き延び、肥え太るために右顧左眄し、利のある方へなびく行為は、武士として最も恥ずべき所為だ、と道雪は信じている。戦国武将のほとんどは、信義とはかかわりなく、ひたすら利害で動いた。その結果が下克上だ。しかし、全てがそうではなかった。紹運、道雪、宗茂などの生き方がそれだ。たった一度限りの短い人生である。算盤勘定で動いたのでは、潔い死に方は出来ない。信義や名誉を武門の本分としながら、それを守り通した武将が少なかったため、宗茂らがことのほか称賛をあびるのであった。

    建前と本音の使い分けは、戦国人にとっても乱世を生き抜くための、極めて常識的な技術の一つだった。その技術を拒否して死んだところに道雪や紹運の特異性がある。権謀術数家からすれば、両者のような生き方は、まさに愚の骨頂というべきであった。それでいて、道雪や紹運を一笑にふすことができないのは、両者が戦術、戦略の王道を歩きながら、あまたの詐術家を相手に一歩もひかず、堂々たる戦を展開出来たからであろう。

    そんな愚直な宗茂らが支える大友氏も、島津の攻撃にさらされ、衰退の一途を辿っていたが、近畿では、信長の後に秀吉が台頭し、九州までその手を広げてきた。あえなく、大友は秀吉に乞い、幕下に入り、島津撃退を頼んだ。宗茂は、秀吉に、その愚直さを愛され、島津攻めの先陣で華々しい軍功を立てた宗茂に、筑後の十三万石を与え、大名として取り立てた。そして官位も旧主家大友家を追い越し、従四位下を賜ったのである。秀吉はもともと純粋なる心性をもった男である。秀吉はもう少し早く宗茂に会っていたら、自分の養子にしたいとまで思ったほどである。

    しかし、秀吉は朝鮮の役で家臣たちに亀裂を与え、秀吉没後に、三成派 対 家康派が出来、それがそのまま関が原の戦いにまで進んでしまう。宗茂はどちらについたか。やはり信義の人である。どちらに付けば有利かといったことは関係ない。自分が今あるのは、秀吉の格別な引き立てがあったからである。理由はどうであれ、いまその大恩ある豊臣家が危機に瀕している。それを座視することは、武士として、人間として、到底出来ることではない。今の身代は、おのれの働きに対して応分の報酬を受けたまでだ、といった考え方は宗茂には無縁だった。そのような自己正当化は、宗茂の好むところではなかった。三成がどうかは関係ない。自分が豊臣に恩義を感じ、豊臣方に付くまでだ、ということである。関が原の戦いには直接参戦せず、別の戦場で、京極高次を攻めていた。立花勢はこれを破ったが、同じ頃、関が原では西軍が破れていた。宗茂は柳河城に帰るが、朝鮮の役で気心知れた、加藤清正の説得により、城を明け渡し、清正預かりの身となった。清正や前田家から仕官の声がかかるが、これを拒否し、家臣が乞食をして宗茂を養わなければならぬほど困窮した。江戸まで出てきた宗茂は、これも、気心知れた家康の家臣、本多平八郎から声をかけられ、将軍秀忠に引見した。秀忠は宗茂を5千石で抱え、翌年は、奥州棚倉1万石の大名に復帰した。宗茂は猟官運動などいっさいしなかった。ただ、家来の稼ぎに頼り、雑炊を食らっていただけだ。清正や平八郎が親身になって赦免を願い、仕官の世話をしたのである。いや、せずにはおれなかったと言うことだろう。一度会えば、誰もが好感を持たずにはおられなかった廉潔の人、誠実無比な生き方、戦国時代に誰もが憧れたが、自分では出来なかったことを宗茂が貫き通したのだ。それが、一時は敵対したものの、人たらし、狸おやじと言われた、秀吉、家康のような怪物の心をも魅了したのだ。

    夏の陣の後、関が原の戦いで柳河藩を失った1600年から20年後、1620年に柳河藩に復帰。その22年後に、76歳で没した。

  • 4569574211 480p 2001・4・6 1版3刷

  • soutenkoroです。

    ☆4!!!!

    道雪、紹雪を父に持ちます。
    岩屋城の行は、楠木氏のそれを思い起こさせます。

    人柄は義に厚く、純粋武将です。

    良本だと思います。

  • 秀吉から「天下無双の勇士」と讃えられた筑後柳河十三万石の領主・立花宗茂。武勇人にして清廉な為政者であった武将の生涯を綴る力作。
    筑後柳河十三万石の領主立花宗茂を描く長編小説。秀吉をして「鎮西一の忠勇、天下無双の勇士なり」といわしめた宗茂の生涯は、戦っては義戦多く、常に寡兵をもって大軍を破り、その生きざまは信義一筋、まことに誠実・清廉なものであった。これは実父高橋紹運、養父立花道雪という両父の高潔な生き方を範としており、ゆえに本編は、この三人の父子像が中心のテーマとなっている。
     ともに大友家の加判衆であった両父は、当主宗麟を守り立てる立場にある。たとえ非道な仕打ちにあったとしても、決して当主を見放さず、己の運命として受けとめ、恥じることのない生涯を終えるのである。この愚直なまでの廉潔な生き方を、著者は現今の知的ノウハウ重視の風潮に対するアンチテーゼとして提示、また自立する女性として描かれる妻ぎん千代と宗茂との葛藤も、今日的なテーマとして見事に描出している。
     現代人の心を癒し、人間の温もりをほのぼのとつたえる力作である。

  • ギン千代とのギクシャクした関係がラストでやや氷解してる辺りはホント切なかったです。二人の不器用さがもどかしくも可愛らしくありました。

  • 実父に筑前岩屋城主高橋紹運、義父に立花道雪をもつ筑後柳川の勇将立花宗茂を扱った文庫本。

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