- Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569804873
作品紹介・あらすじ
考える力を養うための知的読書法とは。書籍、雑誌、新聞、ネット…。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物との付き合い方。わかりやすい新訳で読む古典の名著。
感想・レビュー・書評
-
新訳ショウペンハウエルの『読書について』ということで
新訳で読書についてという名著を読めると思って
買いましたが。。
全く意図の違う内容でして、訳者の渡部昇一氏の完全な
自作で、ショウペンハウエルの『読書について』は訳者
の言いたいことや書きたいこととこじつけた一文程度が
のせてあるだけ。。。
また訳者の言いたいこともあまりにも陳腐でほとんど
読むに値しないものになっているような気がします。
これって詐欺じゃないかと思ってしまいます。
これは本当にひどい内容であると思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第一部
デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルの略だ。
デカンショ節は、学生時代に歌ったなぁ。
デカルトは、宇宙を哲学の対象とした先駆者であり、ニュートンにつながる。
カントは、認識論の集大成のようなところがある。
ショウペンハウエルは、悲観哲学。
大なる悲観は大なる楽観に一致する。
「読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうこと」
ショウペンハウエルは、オランダ系の名前、祖父も祖母も、オランダで生まれた。
オランダは、デカルトやスピノザがいた。
ショウペンハウエルは、ロンドンで生まれた。9歳の時、フランスに。15歳の時は、ロンドン。
「この世は夢が作られているのと同じ材料でできている」そして、ヨーロッパをまわる。
17歳の時に、父親がうつ病で、自殺する。しかし、遺産を残したので好きな研究ができる。
ショウペンハウエルは、「生に対する盲目的意志」が時間と空間を通じて、われわれに認識される。
快楽を追求することが虚しいことだと悟る。
ショウペンハウエルの哲学は認識論であり、カントを重んじる。
『意思と表象としての世界』
ヘーゲル哲学から、ショウペンハウエルの哲学に代わっていった。
ショウペンハウエルは、ニーチェ、ベルグソン、フロイト、ユング、マーフィらに影響を与えた。
第二部
読書については、切り抜きだった。ふーむ。こんな手法もあるのだ。
本を読めばバカになるという論調が、ショウペンハウエルにあったのだ。
ちょっと、がっかりである。
「読書中のわたしたちの頭の中は人の思考の遊び場であるに過ぎない」
「紙の上に書かれた思考とは、決して砂の上の足あと以上のものではない」
「私たち読者の側に関して言えば、非読書術が極めて重要である」
「読者は印刷されたてのものばかり読みたがる。
つとめて古典を読め。まぎれもない本物の古典を」
「本物の文学と、うわべだけの文学が存在する」
「思想は世界を動かす。それゆえ哲学は本来、正しく理解されれば、最強の実利的な力となる」
ふーむ。ショウペンハウエルはいうだろう。「この本は悪書であり、読むべきではない」と -
これで一冊の本になるのかと、驚愕するほどのクオリティの低さ
-
なかなか面白かったです。
個人的には、ショウペンハウエルの言っていることはかなり納得して、理解できたのですが、解説の人があまり合いませんでした。 -
新訳とついているが、訳した本ではない。ややこしいが、この本は『読書について』の要約で、一つの言葉について、渡部さんが(これはこうゆうことだ、これはそう思う)などの解説や意見を書いている。
それでもこの本はが価値があると思うのは、ショペンハウエルの生涯や、基本的な考え方が書かれており、初心者や、ショペンハウエルの感覚がわからない人に掴みやすい。
も一つ、渡部さんの意見として書かれていることに(これは、そうとも限らない)や具体例が、哲学を触れるにあたって盲目的に囚われないストッパーになっている。
もちろん原著の方が読み応えがあるが、こういった本も改めて噛み砕くのにいいと思う。 -
後半の名言集のようなところを斜め読みした程度だが、
『多読によって悪書を見抜けるようになる』『90%は読まなくても良い本だ』のようなことを述べている言葉に勇気づけられた
平均以上に読書をする人は一度目を通して損はない、と思う -
上智大学名誉教授、渡辺昇一による書。
「渡辺昇一・編訳」とあるので、ショウペンハウエルの「読書について」の訳本かとおもったら、見事に渡辺昇一の本だった。
第一部はショウペンハウエルの障害と哲学についてを30ページで概要するという荒技。そして、第二部はショウペンハウエルの「読書について」の新訳引用と解説。
しかし、解説と言っても、純粋にショウペンハウエルの言葉を解説するのではなく、渡辺昇一がどう思うか/考えているかなど、時にはショウペンハウエルを批判しながらの面白い構成になっている。
内容の「読書について」なのだが、ショウペンハウエルと渡辺昇一の二人の読書観を味わうことができるので、楽しい。
読書について、批判的な部分や、読書における工夫など様々あるが、しかし、これは「読書」のみならず、原題では「メディア」と置き換えてしまってもよいと思う。
そういう視点でもって以下の言葉をみてもらいたい。
「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失っていく」
「多くの学者が読書して馬鹿になってしまった」
メディアに対するリテラシーを鋭く指摘した本だともいえる。
----------------
【内容紹介(amazonより)】
書籍、雑誌、新聞、ネット……。現代社会はまさに情報が氾濫している。ショウペンハウエルが憂いた、良書を見つけるのが極めて難しい時代である。
「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失ってゆく」
「非読書術」まで説いた、ショウペンハウエルの真意はどこにあるのか。
稀代の読書家であり、現代の碩学が、ショウペンハウエルの人生と考え方からその真意を解説し、自らが身につけてきた「知的読書法」を紹介する。
本書は、考える力を養うための、書物との付き合い方である。
若人よ、恐れるな。本は頭脳となり、生きる指針となる。
【内容(「BOOK」データベースより)】
考える力を養うための知的読書法とは。書籍、雑誌、新聞、ネット…。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物との付き合い方。わかりやすい新訳で読む古典の名著。
----------------