出光佐三 反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生涯 (PHPビジネス新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569809854

作品紹介・あらすじ

大正の初め、関門海峡で、「海賊」と呼ばれる男がいた。「海に下関とか門司とかの線でも引いてあるのか」と言い放ち、燃料油を売りまくった。数年後、男は満州に乗り込み、メジャー石油会社と闘い、潤滑油納入を勝ち取る。そして英国がイランと国交断絶し、ペルシャ湾に英国海軍が待ち受ける中、大海へと乗り出した。▼戦後日本人が意気消沈する中、米英を欺き、国家官僚に逆らい日章丸をイランに派遣した出光。海賊といわれた男の半生を活写し、その熱き言葉を披瀝する。▼「イラン石油に輸入は堂々天下の公道を闊歩するもので、天下に何ひとつはばかることもない。ただ敗戦の傷の癒えぬ日本は正義の主張さえ遠慮がちであるが、いま言った理由から、日本国民として俯仰天地に愧じざることを誓うものである」。出光は乗組員に堂々と胸を張れと励ました。▼財務諸表よりも社員を大切にした勝負師の半生を活写し、その熱き言葉を披瀝する。

感想・レビュー・書評

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  • 今の日本ではブラックと言われるかもしれないけれど、信じた大義を何がなんでも貫き、人を引っ張るリーダーに感動

  • 「海賊と呼ばれた男」を読んだ後に手に取る。小説が如何に現実をなぞって描かれたかよくわかる。

  • 百田尚樹の海賊とよばれた男で出光佐三を知った。シンプルにカッコ良いと思い、もっと知りたいと思って手に取った本。その期待は全く裏切られない。何故カッコ良いのか。自らの私利私欲よりも、成し遂げようとする大義に生きる姿勢、強者に巻かれない強さがあるからだ。その実力と徹底した姿勢が人を惹きつける。読めば読むほど、奮い立つ。こんな風に生きたいと、素直に思える一冊。

  • 読み終わるのが惜しいくらいの本だった。運というのは実力が伴わなければそれに気づかずやり過ごしてしまうものなんだなと教えられた。運が味方してくれるとき、それは自分がそれだけものごとに向かいあって努力した結果なんだろう。自分もそうあるように努力したい。

  • 戦時、戦後と豪快な人が居たんだと、改めて思います。

    今時だと、誰なんでしょうか。
    少なくとも、巷間よく見聞きする人たちは…、

    次元が違い過ぎますね。

  • アングロサクソン流経済観念に毒される事のなかった稀有な経営者、出光佐三。彼の情熱と狂気が良く描かれた良作。これを読むと百田尚樹のアレは、実話ばかりで、所謂"小説"じゃないことが良く分かる。

  • 今では株式上場も果たし東京の日比谷公園の近くに本社を構える出光興産ですが、会社を創業した頃は、日本石油(現JX)の代理店のような仕事をされていたようですね。

    戦争の前後を通して、出光興産が他の日本の石油メーカと異なった独自の道をどのように歩んできたのかがこの本に集約されています。

    この内容を小説、映画化した「海賊とよばれた男」は、両方見て感激しましたが、この本はその「ネタ本」のような位置づけですね。

    豊かになって、それに慣れきっている日本人の中から、どれほど「出光氏」のような起業家が出てくるかわかりませんが、彼が最後まで拘った「人を大切にする経営方針」は、今後の日本企業の経営者も忘れずにいてほしいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・出光氏は神戸高商の卒業論文において、石炭が主エネルギー源として降盛をきわめていた時に、石炭に対する石油の有利な点を上げた、採掘に労力かからない・エネルギー量に比べ積み込み重量が減る・煤煙がない・積み込み時間が少ない・遠距離輸送可能・管理容易(p39)

    ・日田氏は出光氏に資金提供にあたり、1)従業員を家族と思い仲良く仕事する、2)自分の主義主張を最後まで通す、3)自分が金を出したことを人に言わない、という条件をつけた(p48)

    ・店を開いてすぐに、出光は日本石油の下関支店を訪れて、日石の特約店にしてくれないかを申し入れた(p50)

    ・大正3年5月に、南秋田郡金足村で、黒川油田5号井がものすごい油を噴出し、日石の株価は連日のストップ高となった。当時、日本は使いきれない油を手にした(p57)

    ・機関車の実験において、出光油は外油に勝利したが、出光油は引火点が130度で規格に満たしていないことを外油の技師たちは文句をつけた(p77)

    ・石油精製業者は全国に直営のガソリンスタンドを持ち、消費者に直接製品を売っているが、それは出光が発明したシステム、当時は生産者と小売業者の間に卸売業者が介入するのが常識であった(p86)

    ・出光が株式会社方式を採用したのは昭和14年、12月には上海に資本金1000万円の「中華出光興産」、同月に、資本金150万円の「満州出光興産」、15年には資本金400万円の「出光興産」を東京に置いた(p90)

    ・満州石油は、需要の半分を売り、残りを外油に与えていた、内地のメンバーは、日石・三菱・小倉・丸善などのほかに満鉄と三井物産(p110)

    ・日本軍は昭和17年1月にフィリピンマニラを占領、ビルマ、シンガポールを支配し、3月にはジャワ島に上陸したので石油の問題は一気に解決した。石油生産量は年産1000万キロリットルで日本の全需要以上であった、このとき出光の親会社である日石は、帝国石油に吸収された、このとき出光と日石の縁が切れた(p122)

    ・太平洋戦争において、日本人の戦死者は民間人含めて300万人、船舶の80%、工業用機械の34%、一般家庭の家財の20%、国富の4分の1が消失した(p133)

    ・特殊整理委員会が、旧三井物産のタンク群を三井系のゼネラル物産に売ろうとしているのを、熊谷商会と一緒に抗議して認められた。そのおかげで出光は6つのタンク(徳山、門司、宇部、大阪、釜石、釧路)で一番札を取った、これが出光が今ある原点である(p163)

    ・昭和24年3月、外油(スタンダード、カルテックス、シェル)および日本石油、昭和石油、三菱石油、日本鉱業、ゼネラル物産、日本魚網船具、とならんで出光も元売業者になった(p164)

    ・昭和30年代半ば、全国の農家は家庭用の熱源を薪炭から灯油に切り替えた、薪炭地の雑木を伐採しなくなったので、マツタケが姿を消して高級食品になった(p264)

    2014年3月22日作成

  • 「海賊とよばれた男」で出光佐三に興味を持ち、あわせて読んでみました。
    万感胸に迫るものがあります。
    限られた字数で感想を纏めることができません。

  •  2003年刊の『難にありて人を切らず』を改題、再編集したものだそうだ。
     国岡鐵造の“鐵”の字にひっかかって、『海賊と…』が読みにくかった私には、かえってこちらの方が読みやすかった。どこからどこまでが事実で、どこからフィクション?とか考えなくてもいいし…。

  • 「海賊とよばれた男」とセットで。

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