過剰可視化社会 「見えすぎる」時代をどう生きるか (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569851952

作品紹介・あらすじ

目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の2年間の後に残ったのは、
一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプ
ライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会の視線に公開しても、最後は安易なル
ッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか?
歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也
氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わしつつ、人文学の方法論の壁を超えて
「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する!
(目次より)
・情報を「見せる」ことで国民を操る権力
・過剰可視化が失わせる「身体感覚」 
・キラキラしたダイバーシティの空疎さ
・若者の「ヤバい」「エモい」に隠された不安
・現金支給という「数値化」が不公平感を招く
・病気で「タグ付け」することの是非
・ファクトよりも先に「品位」を問うべき
・「ハレとケ」を区分できないのっぺらぼうな日常

感想・レビュー・書評

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  • 千葉雅也氏と與那覇潤氏との対話
    「新たなるノーマル主義」を超克せよー哲学 文学との対話

    千葉氏と與那覇氏は東大で1学年ちがいで、東大と北京大学との交流事業で一緒に中国に行くはずが、小泉純一郎首相の靖国参拝へのあおりで中止になってしまった仲。

    カミングアウトによってアイデンティティを主張することより、ステレオタイプをどう揺さぶるかが重要であると考えていましたが、それはフーコーをふまえてのことです。かつてフーコーは「ゲイであるということは、生き方を発明すること」だと語りました。そしてそれは、人間一般の生き方に影響を与えうる。たとえば、そもそも人間は結婚したり、子供をつくったりしなくてはいけないのか。それも問い直されるわけです。しかし今はむしろ、結婚という既存の制度を自明視した上で「ゲイにも同じ権利を与えろ」という主張が強くなっています。そうでない方向性もあったはずだと伝えるには、僕自身も当事者だと表明する必要が出て来たので、近年カミングアウトしたのです。

    SNSの世界にも品位は問われるべき。



    2022.5.27第1版第1刷 図書館

  • 可視化過剰への警鐘

  • これを読んでちょっと怖くなった。何がって? それはこんな見識の低い自称評論家が一定の評価を得ていることに。
    まず『可視化』が何を指すのか全然わからない。最初はSNSで自らの属性をタグ化してさらけ出すことを取り上げ、次は人前でのマスク着用を、その後もコロナ感染者数の適時発表、ワクチン接種証明や陰性証明、報道のプレゼン化、ソ連の情宣ポスター、現象の数値化、ルッキズム重視のキラキラした人(?)、心理カウンセリングのマニュアル化まで全て『可視化』で説明を試みる。一体これらにどんな共通性があるのか?『可視化』とは本来目に見えないデータや関係性に形を与えて視覚的に捉えられるようにすることと、裏に隠れていたものを引っ張り出して表に出すことの2つの意味があるが、この2つを混同するから訳が分からなくなる。後者は感覚としての『視覚』とは無縁の話だ。
    また『過剰』は適正な範囲を超えていることを指す語だから好ましくないのは自明だが、どこが適正でどうなったら過剰なのかを示さないから、議論が印象論だけのフワフワしたものにならざるを得ない。東畑氏と話が全く噛み合わないのも頷ける。要は頭の中が整理されていないのだ。
    どうやら著者の情報源の多くはSNSのようだが、たまたま見つけた一部の声を拾い上げて「~の風潮になっている」と安易に一般化するのもいかがなものか。そんなこと誰か言ってましたっけ?という違和感のオンパレード。自己顕示欲の強い人たちのコミュニティに自ら好き好んで入って行って、同類嫌悪してるだけなのでは?と思えてくる。元大学教員だと特別視されると思ってるようだし、帯に自分の写真を載せて『過剰に可視化』する所もキモ過ぎる。
    どうなのよ。人文科学ってこんなんで良いの?こんな中学生の「青年の主張」みたいなものしか書けないなら、またぞろ国立大から人文系の学部をなくせって言われかねないよ。
    やたら目の敵にするコロナ政策についても、コロナは無症状なのに強い感染力を持つというインフルにない特殊性があった訳だし、第2波までは異常な高致死率だったからこそあのような自粛要請になった訳で、今になって後知恵で当時の政策や世論を叩くのは感心しない。
    安部政権が公文書を改ざんし、役所の担当者を死に追い込んでまで不都合な情報を隠した事を擁護してみたり、一体この人は何がしたいんだろう?もし裏の意図があるなら恐ろしすぎる。

  • 点だけでものをみる、理解しやすいものだけを取り入れる•••世の仕組みがそうさせるのだが、それに取り憑かれ主体性のない生き方をするのは人間らしくない。
    過去からの時間軸を意識し、その背景を慮ること、良いも悪いも人間らしさをしっかり認識する事が重要との主張であった。
    マインドフルネス的に意識したい内容。

  • テーマとする社会課題には共感するも、論説自体はあまり納得できなかった。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/553899

  • 自分には少し期待ハズレだったかも。

  • 第1章 社会編ー日本を壊した2010年代の「視覚偏重」(ベンヤミンが描いた「ルッキズムの近代史」/コロナ危機は「実体なきシミュラークル」だったのか? ほか)/第2章 個人編ー「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう(キラキラしたダイバーシティの空疎さ/ルッキズムを使った「LGBT擁護」は新しくない ほか)/第3章 「見える化」された心と消えない孤独ー心理学との対話 東畑開人×與那覇潤(心理学は「平成の勝ち組」で歴史学は「負け組」だった?/歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 ほか)/第4章 「新たなるノーマル主義」を超克せよー哲学/文学との対話 千葉雅也×與那覇潤(すべてを「啓蒙」し尽くすことはできない/ファクトよりも先に「品位」を問うべき ほか)/第5章 健康な「不可視の信頼」を取り戻すためにー人類学との対話 磯野真穂×與那覇潤(「弱者に寄り添う」人文学者はなぜ沈黙したか/科学が進歩しても、人間の根本は変わらない ほか)

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。共著多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。本書の姉妹編として、学者時代の研究論文を集めた『荒れ野の六十年』(勉誠出版)が近刊予定。

「2019年 『歴史がおわるまえに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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