- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784576050515
作品紹介・あらすじ
東大進学者数日本一に導いた灘高校名物教師の物語。偏差値教育でも受験勉強でもない徹底した"詰め込み教育"。手づくり教材にかけた執念が問いかける教育の原点。
感想・レビュー・書評
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本書は2005年の発刊。神奈川県知事の黒岩祐治がフジテレビ時代に「恩師」について書いたものである。その恩師とは、2013年に亡くなった「伝説の国語教師」橋本武である。
橋本武が注目してされるようになったのは、教育の混迷という背景があったからだろう。本書のプロローグにもあるように、バブル崩壊後、教育の重要さが叫ばれる一方で、教育の混迷は増していった。それゆえ、「伝説の教師」が注目されたのだ。
そして、本書を読んで分かったのは、橋本武は「国語の授業をしていなかった」ということである。有名な『銀の匙』の授業は国語の授業ではなかった。『銀の匙』をきっかけにした「世間の授業」であり、「社会の授業」であり、「世の中の授業」であった。と同時にそれは、薄い小説からも「こんなに学びを得ることができる」ことを示す「学びの授業」だったのだ。
一冊の小説から「世界を知る」ことができると知った生徒は他にも本を読んだであろう。教材が身近にあることを知った生徒は「学びの軌道」に入っていったであろう。
世界を知ることは面白い。世界を知るための学びに終わりはない。結局私たちは世界を知りたいのだ。
教養とは世界における自分の位置を知ることである。
ただし、橋本武は『銀の匙』の授業だけやっていた訳ではない。大量の作文の宿題があったし、詩の暗唱もあった。毎月の読書感想文もあった。「ゆとり」とは無縁のスパルタ教育であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
灘高伝説の教師、橋本先生の教え子が書いた、橋本先生の授業の素晴らしさが紹介されている。
特にこの本では、銀の匙研究ノートをもとに授業が再現されているのが嬉しい。
それにしても、何十年たっても恩師と言われるほど嬉しいことはないでしょう。 -
銀の匙 エチ先生の教え子
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フジテレビの黒岩祐次さんが灘中・高校時代にうけた橋本武先生の授業について書いたもの。
『銀の匙』の具体的な内容に触れていて、とても興味深く読んだ。
一人の人(この場合は先生)の情熱(エネルギー)が人(この場合は生徒)を動かすのだなあと思った。
また、情熱の熱さと、方向も大切なのだと思った。
作者も書いている「百論は一作に如かず」も印象に残った。
「百聞は一見に如かずという。書くことにおいては、百論は一作に如かずで、文章作法をいくら説いてみても、文章は書けもしないし上手にもならない。書いて書いて書きまくって、書くことの拒絶反応を払拭した上で、はじめて文章作法が自然に見についていく。運動選手が絶えずトレーニングに励み、技能にたずさわるものが、たゆみなくケイコにうちこみワザを磨く。書くことも技術であり、習慣である以上、実践を措いて上達の道はあり得ない」~『五十年ひと昔』より
数学の計算式には正解があって、そのとおりでなければ間違いとされてしまうが、文章表現に正解はない。間違った日本語の使い方というのはあるが、基本的に表現は自由である。だからこそ、無限の可能性があって、奥が深いP145
「勉強というのは自分でやりたいという気持ちになることが一番大事なことです。人から強制されて勉強したって身につきません。その気になるまで、やりたいことをやりたいだけやっていればいいんです。確かにテレビゲームばかりやっている子もいますが、いつまでもいつまでもやり続けられる子はいません。そのうちにからなず飽きる時がきます。そして急に何かがしたくなるのです。それが大切なことなのです。私たちは彼らが何かをしたくなったときにサポートするのです」P177
「情報はいちいち覚えていなくても、今はインターネットを使えばすぐに調べることはできます。記憶力よりも自分で考えることが大事なのです。情報があふれている高度情報化社会では、待っているだけでは何も得られません。自分で目標や興味を持って自分で考えさえすれば、自ら世界をどんどん広げていくことができます。大事なのは自分がどんな目標をもち、何に興味を惹かれるかです。それさえ見つかれば、後は早いです。ですから、それまで私たちは気長に待っているのです」P178
中学時代の課題図書リスト
1年生
坊ちゃん、イワンの馬鹿、山椒大夫、羅生門、王子と乞食、小僧の神様、荒野の呼び声、にんじん、日本の昔話、風の又三郎、愛の妖精
2年生
思い出の記上・下、あしながおじさん、恩讐の彼方に、啄木歌集、次郎物語、デミアン、福翁自伝、水と原生林のはざまで、阿Q世伝
3年生
竹取物語、フランクリン自伝、伊豆の踊子、トニオ・クレーゲル、徒然草、シャーロックホームズの冒険、草枕、ジャンクリストフ、古事記、O/ヘンリー短編集三、雨月物語 -
全国でも有数の名門校である灘中学校・灘高等学校で国語の教員を務めていた橋本武。「銀の匙」を使って三年間授業をしたということでメディア等で取り上げられた「名人」的国語教師である。本書は彼の教え子である黒岩祐治が、彼の授業を回顧しつつ、日本の教育に提言をする、という体裁の本。
「スーパー教師」の授業というのは「凄いなあ」とは思うけど、実際に真似のできるものではない。でも、同業者としては、やっぱり気になる。ましてそれが名門・灘の先生だとなれば。で、古本で読んでみたのだけど、「銀の匙」についてはたしかにユニークな授業だなと感心した。
それは、一言で言うと、「銀の匙」に出てくる言葉について注釈をしていく、しかも体験的に注釈していく授業なのだ。本の中で「百人一首」が出てきたら皆で百人一首大会をする、駄菓子が出てきたら駄菓子を食べてみる、というふうに。
こういう授業を本人は「脱線」と言っていたらしいが、それは生徒の手前。訓詁注釈は国文学の基本だろう。それを体験的に生徒に伝えようとしていたのだと思う。脱線のようで、学問の王道を言っていたと言える。だからこの人の授業は徹底して「言葉の授業」だったのだなと感嘆した。
「銀の匙」以外の授業(古典の暗誦や作文指導)についても紹介されていたが、課題本や生徒のレベルの高さへの感嘆を別にすれば、同業者の目から見ると、そこはさほど感心するほどでもない。ちょっと賛美しすぎなのは教え子の御愛嬌と言うべきだろう。
いずれにせよ、たしかなことは、彼のような授業には、不可欠の外的条件があるということだ。それは、教員の創意工夫が許される環境であること。残念ながら、いまの学校現場全般には、それが欠けている。したがって、灘という特殊な環境におけるスーパー教師を例にしても、教員は変わらない(変わりようがない)。変わるべきなのは、人ではなく、システムである。 -
橘木俊詔氏の著作にて紹介されていた。
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恩師と言える先生がいる人は幸せだ。確かに今の教育はおかしいけど、先生たちはそれに気付いていないし、お任せではいつまでも修正されない。何とかせねば。
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灘高、国語教師「橋本武」(恩師)の話