- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582703429
作品紹介・あらすじ
ヌディタ、すなわち裸性=剥き出しとは、セクシュアリティに関わるものである以上に、われわれが無防備であること、さらされてあることに関係している。原罪を一種の自己誣告とみる独創的なカフカ論をはじめ、原罪によって開かれた潜勢力としての「認識の可能性」がヌディタの核心にあることを喝破した好著。シリーズ第一弾。
感想・レビュー・書評
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『K』の第二節『測量師』に、古代ローマの測量とカフカの『城』を巡る論考がある。
"裸にされた秘密は、純粋なる仮象として姿を現わす。微笑みながらその裸を見せびらかす美しい顔は、ただ次のように言うのみである。
「わたしの秘密を見たいの? わたしを包んでいるものを明るみに出したいの? ならこれをご覧なさい、もしあなたにそれが理解できるなら、この、度しがたい秘密の欠如をご覧なさい!」
この意味において、裸の教訓はただ一言、これ以外の何ものでもないという叫びにほかならない。しかしながら、裸における美という魔法の、このような解除こそが、あらゆる秘密とあらゆる意味の先にある仮象の、このような崇高で悲惨な見せびらかしこそが、神学的な装置の作動を何らかの仕方で阻むのである。そうすることではじめて、優美=恩寵の威信や腐敗した本性という甘言を度外視して、ほかならぬ、顕現不可能な人間の肉体が示される"(144)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
美は、ヴェールを必要とするが、そのヴェールの向こう側には何もない。美において、「剥き出し」はまたひとつの仮象なのである。ここにきてわれわれは、アガンベンにとって「剥き出し=裸性」が、政治哲学と神学と美学とが交差する境界線上を占めるきわめt重要なテーマであることに、あらためて気づかされるのである。(岡田温司)