知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582762365

作品紹介・あらすじ

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」著者独自の知識人論を縦横に語った講演。

感想・レビュー・書評

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  • 『オリエンタリズム』で知られるサイードがBBCで行なった連続講演の記録。サイードによると、知識人とは専門家ではなくアマチュアリズムを体現した人物のことである。そしてアマチュアであるがゆえに、自身の属する国家や伝統に対しても距離を置き、批判を提起することができる。

    サイードはアマチュアリズムについても、次のようにはっきりと定義している。それは、「利益とか利害に、もしくは狭量な専門的観点にしばられることなく、憂慮とか愛着とかによって動機づけられる活動のこと」。利害ではなく愛着に素直になる。このシンプルなはずのことが、とっても難しい。

  • サイードによる知識人論を議論の種とした連続講義を集めたもの。

    要約をすれば知識人は体制にとりいった「専門家」ではなく、周囲を観察し批判できる「アマチュア」のアウトサイダーであれ、という論旨。
    知識層、知識人と言われる人は象牙の塔に籠る、権威の餌によって体制の批判を行わない構造にあるが俗っぽく言えばそうではなく何かに属すのではなく筋を通せ、弱者の代弁者として真実を投げかけろ、ということが近代の事例を交えて語られる。かなり高いレベルの倫理観などが要求されている。

    これは別に知識人といわれる人々に限った話ではなく、組織に属する普通人である私のような者であっても批判に経験に覚えが...というか、身をつまされる話である。
    組織においてのアウトサイダーになれというのも変な話だけど。まぁ、この辺は相対的なものではあるけれど。

  • 学生時代ぶりに再読。講演なのでカチッとした構成ではないのだが,知識人のあるべき姿について著者の思いが伝わってくる。

    「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり,またアマチュアであり,権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」

    「知識人とは,けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく,批判的センスにすべてを賭ける人間である。」

    「知識人がいだく希望とは,自分が世界に影響をおよぼすという希望ではなく,いつの日か,どこかで,誰かが,自分の書いたものを自分で書いたとおりに正確に読んでくれるだろうという希望なのだ」

    「アマチュアリズムとは,専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく,愛好精神と押さえがたい興味によって衝き動かされ,より大きな俯瞰図を手に入れたり,境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり,また,特定の専門分野に縛られずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。」

    「知識人の役割とは,国際社会全体によってすでに集団的に容認された文書である世界人権宣言に記されている行動基準と規範を,すべての事例にひとしく適用することなのである。」

    「自分の書いたものが社会の中で活字になった瞬間,人は,政治的生活に参加したことになる。したがって,政治的になるのを好まないのなら,文章を書いたり,意見を述べたりしてはならないのである。」

    「知識人の目的は,人間の自由と知識をひろげることである。」

  • まずこの本を入手したきっかけを書いておく。「『教養』研究」のレビュー論文である綾井(2015)において、サイードの別の著書から2か所引用されており、当該分野の基礎的な研究を行った人文学者として扱われていたことにあった。ただその本より先に代表作である本書を読むことにした。表題のとおり、知識人とその「表象」活動に着眼した文献研究であるが、講演録がベースになっており比較的読みやすい。知識人の在り様を探るというより、学問論の視点を持ちながらページをめくってみた。

    サイードが先達の知見を踏まえて考えた知識人とは、「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手」(p.20)であり、以下のような人々と異なる立場にある。具体例としては、インサイダー、エキスパート(専門性を持った人)、ジャーナリスト、通人、プロフェッショナル(専門家)、コンサルタント、シンク・タンク、いわゆる権威筋に属する人たちが挙げられる。

    読み終えて得られたことは、アマチュアとしての研究の取り組み姿勢の具体的なイメージと、これから進めようとしているプロジェクト推進のためのいくつかの参照枠―知識人と大衆論、ニヒリズム、他者のアイデンティティや文化を排除する「側(サイド)の発想」(p.218:姜尚中による解説)―だった。またオルテガが『大衆の反逆』で専門主義の野蛮性を説いていることを思い出した。


    引用文献
    綾井 桜子2015『教養』研究の現状と課題—学校化された教養を問うために 「教育学研究 」82(1) 日本教育学会

  • 彼の背負っているものを感じながら読むといつも涙が出る。
    彼の言う知識人は責任を負う。
    自分には勤まりそうもない。
    ただ、心に留めておく。
    北斗七星として。
    進むべき方向を完全には迷わないように。

  • エドワード・サイードの著作は、
    『知識人とは何か』ぐらいしか、
    読んだ事ないな。これは名著だし、書名を知っている人は沢山いる。

    サイードが言う「知識人」とは、
    「亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手」と。

    こんな知識人、ムラ社会ニッポン
    では、まず見掛けない。

    多く「知識人ムラ」の住人で、そのムラの掟に従って、御飯食べている人が、ほとんどだから。これに気付かない大衆がアホだから、始末におえない。

    未だに、テレビや新聞が「存在している」異様さと同じ。本当は、8割ぐらいのマスコミは「必要ない」、社会の害悪。ただ、皆(私含めて)アホだから、気付かない。これは、なぜ一党が、ずっっと政権与党なのか?と同じ問題。

    知識人の話しに戻る。
    いくら「安全地帯」から、うまく世間に問題提起する「仕方」にこだわる人間ばかりで、自ら権力機構に、組み込まれる事に、躊躇しない。

    実は、「知識人」ばかりじゃない「芸能人」や「芸人」もそう。

    また、日本の伝統的な「宗教」も、政治権力に組み込まれて、チカラを失った事と、全く同じ。

    サイードは、この著作で、神を厳しく否定している。神の存在を権威として、服従するのではなく、最善を尽くし、真実を積極的に追求する事が、語られている。

    日本的なムラへの服従か、創造主へ自身を預けるか、そうではない在り方を希求している。ガンジーか!と思わせる。私には無理、だけど、ちょっとは、見習いたいものだ。

  •  

  • 論旨に確かな見晴らしのよさを感じる。だが、それは「わかりやすい」ことを必ずしも意味しない(少なくとも私にとっては)。知識人について専門知識を有する存在ではなくその知性をバネにフットワーク軽く動き、体制や硬直したマジョリティに楯突く存在をこそそう呼ぶのだと整理する。これは「使える」本だと思う。私自身がまさにサイードの整理における(もちろんこんな言葉を彼は使わないが)「専門バカ」になっていないか、見つめ直すためにも。いくつか些末な次元での異論はあるが、その疑問はこの私が自らの内に引き込んで考え続けるべきものか

  • 第4章の「専門家とアマチュア」が特に面白い。知識人の独創性や意志を脅かす要因として、専門分化や、政府機関等から与えられる特権や褒章などが挙げられている。
    知識人が自らの志す考えをできる限り変節を経ずに突き詰めていくのであれば、孤独な「亡命者」となって、アマチュアとなるのが良いとの主張について、その通りだと思いつつ、自分だったらどうするだろうか、生活基盤を整えることを優先してしまうのではないか等考えてしまった。
    サイードが言っているのは清貧を極めろということでは必ずしもない気がするが、知識人たろうとするなら、そのような覚悟は必要なんだろうと感じた。

    5章はじめに出てくる専門用語癖の学生のちょっときたエピソードも面白い。

    知識人が、孤独な亡命者でありつつも、安定的に表象や発信を続けていくためには実際何が必要なのかということが気になった。

  • サイードは、私が最も尊敬する学者の1人ですが、
    この本は、私の中では、個人的にエドワード・サイードの最高傑作だと思っています。

    他の彼の著作に比べ、平易な言葉で語られていますが、常に虐げられている人々、絶望的な苦しみの中で今も戦っている人々、どんな困難な中でも常にそんな人達の側に立って戦っていた、彼のスタンスが語られています。これを読む事で、私自身、様々な事を考える事が出来ましたし、醜い保身を捨てて、何を大切にしなくてはならないか、考える指針を頂きました。

    なんと言っても、そこから感じられる温度が凄い。
    読む為に、魂の中から、熱いものが込み上げてきます。様々な危険や逆境の中でも、身をもって、愛する人々の為に戦って来た彼だから語る事が出来た、とても素晴らしい本だと思います。

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著者プロフィール

エドワード・ワディ・サイード
(إدوارد سعيد, Edward Wadie Said)
1935年11月1日 - 2003年9月25日
エルサレム生まれのパレスティナ人で、アメリカの文芸批評家。エルサレム、カイロで幼少時を過ごし、15歳の時にアメリカに渡る。プリンストン大学を卒業後ハーバード大学に学び、コロンビア大学の英文学・比較文学教授を務めた。サイードはまた、パレスティナ民族会議のメンバーとしてアメリカにおけるスポークスマンを務め、パレスティナやイスラム問題についての提言や著作活動など重要な役割を担った。『オリエンタリズム』(平凡社)、『知識人とは何か』(平凡社)、『世界・テキスト・批評家』(法政大学出版局)、『文化と帝国主義』(全2巻、みすず書房)などの主著が邦訳されている。

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