- Amazon.co.jp ・本 (436ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582767841
感想・レビュー・書評
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私たちは普段、何かを感じ何かを考えながら生きている。その思考によって成果を出すことは今の社会においては頻繁に求められることだろう。そして、私たちは創造的な思考を求められるが、同時にその思考は現実を捉えていなければならない。
では、考えるとは実際どういったことなのか。私たちの思考はどのようにして働いているのか。その一つの答えを出すのが19世紀から20世紀の哲学を代表するこの本の著者アンリ・ベルクソンである。
「どんな抽象的な思考も、その出発点は常に知覚です。」
私たちの思考は知覚から得たものを配列し直すことはできるが、その材料は知覚から得るのである。そしてこの知覚とは、ただ目の前のものを見ることである。「肉体の眼でも精神の眼でも、いま見ている以上のものをどうして見ることができようか。」
思考の出発点・起源はただこれだけのことなのだ。その知覚の中に思考の材料はすべて含まれている。しかしそうしたことでさえ、私たちは勘違いしてしまっているのではないか。自分の知覚、言い換えれば直観を否定してしまっているのではないか。それが思考にとって唯一ともいえる、真の創造の契機であるはずなのに。
こうした問題を含みながら、その知覚を正しくとらえるためにベルクソンは哲学をする。そうして、真の時間や真の精神的運動へと迫っていく。
私たちはどのようにして「現実」を正確に捉えるのか。ベルクソンが考えていたことの中にその答えはあるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ベルクソン自身による方法論の書
ベルクソン入門として四主著よりも取っつきやすい論集。姉妹編『精神のエネルギー』が「心理学と哲学の具体的な問題を扱っているのに対し、本書すなわち『思考と動き』は方法論をめぐるもの」(「訳者あとがき」p.405)。
先行する邦譯のうち、河野与一(木田元補)による『思想と動くもの』(岩波文庫)、宇波彰による 『思考と運動』(レグルス文庫)は誤譯が問題にされるもの。この原章二による平凡社ライブラリー版ではそれが訂された由。
http://jaimelamusique.blog.fc2.com/blog-entry-343.html
「事項索引」に原語が附され、氣になった箇所はそれで確認できる。しかし「網羅的ではなく」「あまりに一般的なもの、頻出するものは省いた」とのことだが、一例ながら本書で論じられる中でも重要な「可能性」が索引に採られないのは不審。「人名索引」に「アインシュタイン」はあっても「事項索引」に「相対性」は採録しないとかも。
原文は下記にて公開。篤志の方は比べてはいかが。
https://fr.wikisource.org/wiki/La_Pens%C3%A9e_et_le_mouvant
「訳注」も多いが、校訂版(カドリージュ版2009)の膨大な註からは取捨して全部でない。 -
哲学についてよく知らないのでこういう難しい本を読む前に基礎から勉強しなおさなきゃと思った。とりあえず読んだけどほとんどわからない。詳細→http://takeshi3017.chu.jp/file6/naiyou24501.html
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ベルクリン哲学について、著者自身の講演や論文を集約し、記述した1冊で、夏目漱石などもさかんに読みこんだそうである。「実在を私たちの観念の寸法に合わせてはいけない。私たちの観念を実在に合わせて拡げるのだ。」(P.326)。冒頭の「哲学に欠けているのは正確さである。」(P.9)は核心をついた言葉と感じた。