日本映画はアメリカでどう観られてきたか (平凡社新書 285)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582852851

作品紹介・あらすじ

一九五二年にアメリカで公開された『羅生門』は衝撃をもって迎えられたが、その評価の内実は意外と知られていない。黒沢明から溝口健二、小津安二郎、大島渚、伊丹十三、宮崎駿まで、戦後の日本映画がアメリカで「いかに受容されたか」を豊富な資料を基に分析する。映画を通して浮かびあがる、異色の「戦後日米文化交流史」。

感想・レビュー・書評

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  • 東2法経図・6F開架:778/Ki69//K

  • [ 内容 ]
    一九五二年にアメリカで公開された『羅生門』は衝撃をもって迎えられたが、その評価の内実は意外と知られていない。
    黒沢明から溝口健二、小津安二郎、大島渚、伊丹十三、宮崎駿まで、戦後の日本映画がアメリカで「いかに受容されたか」を豊富な資料を基に分析する。
    映画を通して浮かびあがる、異色の「戦後日米文化交流史」。

    [ 目次 ]
    第1章 「日本映画」の登場(事件としての『羅生門』 安定していく日本映画の「居場所」)
    第2章 黒沢、溝口と作家主義批評(偉大なる「日本映画」 映画研究の誕生と日本映画
    近代化論のなかの日本、そして日本映画)
    第3章 西洋を揺るがす日本(大島渚という騒乱 小津安二郎はいかに愛されたか)
    第4章 似たもの同士?異国の神秘?(伊丹十三のスノビズム 羨望と不安のまなざし 日本アニメの嵐)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 09034

  • 思った以上に固い。と言うか、なんか「こういう評価をされてた」というのを並べただけで、面白みがない。でも、興味のある内容だったので途中で投げ出すってことはなかった。それにしても、ここで紹介されている映画の半分も僕は見ていない。いかんなあ。と思う今日この頃。

  • 冒頭で『ラストサムライ』が引き合いに出されていたので面白そうだと思い手に取った。やや難解だったのと、映画評論の抜粋が多く、思っていたものと違ったので乱読してしまった。それでも日本映画がアメリカでどう観られてきたのかを、多少なりとも把握することはできたように思う。

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著者プロフィール

北野 圭介(きたの・けいすけ)
1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、メディア論。2012年9月から2013年3月まで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ客員研究員。著書に『ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年/新版2017年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義 オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)、『映像論序説 〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)、『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』(人文書院、2014年)。編著に『映像と批評ecce[エチェ]』1~3号(2009年~2012年、森話社)、訳書にD・ボードウェル、K・トンプソン『フィルムアート 映画芸術入門』(共訳、名古屋大学出版会、2007年)、アレクサンダー・R・ギャロウェイ『プロトコル』(人文書院、2017年)など。

「2021年 『ポスト・アートセオリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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