- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582856965
感想・レビュー・書評
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昨年の9月に出た本である。しかし、それにもかかわらず現在の政治状況にピッタリ応えているのは流石というべきであろう。アメリカは明文改憲よりも集団的自衛権の行使を望んでおり、改憲に執念を燃やして来た安倍首相はこの半年で明確にその準備をして来た。解釈改憲が実現すれば国防軍の設置は実質的な意味を失う。しかし、首相はそれでも明文改憲を目指すという。一つは「名前」にこだわるために。一つは集団的自衛権の意味を小さくみせてハードルを下げる役割を持たせるために。一つは、将来的に違憲裁判の対象になるので、それを無意味にさせるために。首相が突然舵を切ったのがそれでガッテンがゆく。
集団的自衛権を行使する国になるというのは、非常に重い決断である。敵国は日本を明確に敵国として認識するということなのである。では、日本にその覚悟があるのか。仮に中国が相手だったとすると、中国在住の日本人の生命も保障されなくなる。もし、行使するのなら、どういう戦略を立てるのか。日本と地域の平和にとって大事なのはなんなのか。しかし、今まで出た「報告書」はそういうことを検討した形跡が一切ない。ある日突然アメリカが攻撃を受ける、という想定しかないのである。
よくネットウヨは、左翼は「お花畑にいる」という。自分たちは現実的だと自負しているのだろう。しかし私から見れば彼らこそ空想的好戦主義者だと言いたい。
ここには色んな角度から「集団的自衛権の虚構」を暴いている。政府は集団的自衛権と集団的安全保障をわざと混同していること。歴史的に「違法な軍事介入」の手段だったこと。国際法でも認められていないこと。は特に重要だろう。
2014年5月10日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
冷戦期と比較して何が変わったか?
①日本がイージス艦等をもち、軍事能力が飛躍的に高まった
②相手(仮想敵国)がソ連から中国にかわったことで、
相手が相対的に弱くなった。
集団的自衛権は過去、同盟国への武力介入の理由として使われてきた例が多いそうだが、それだけで集団的自衛権を否定することは難しいのでは?と感じた。
ただ、国際司法裁判所で議論が深まっている点だけはなんとなくわかった。 -
読み助2014年9月8日(月)を参照のこと。http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2014/09/2-3ca4.html
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2014年6月12日読了。
いかにわかってなかったかということを、わからせてくれた。 -
日本の国際法学会の多くは、集団的自衛権について、「固有の権利と呼ぶのはいささか無理がある」「個別的自衛権とは異なり、国家の基本権として考えることはできない」などとして、これを固有の権利とみたり、慣習法となっていると捉えたりすることに、否定的な態度をとってきたのである。
集団的自衛権を行使できるようにするのだという自民党が選挙で国民の支持を得るからには、ただ批判するだけでは済まないと感じる。 -
国際司法裁判所での議論が深まっていることは理解できた。
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歴史は集団的自衛権の濫用だらけ。その上で集団安全保障体制を国連を舞台に、国際社会は構築してきた。安倍首相の懇談会の報告書の前提に(故意の)虚構と現実誤認が含まれていることも分かった。侵略には同盟の有無を問わず、すべからく対抗すべし、という主張も分かる。しかし、自衛隊の今後については武装解除など期待はできるが、全てではないと感じた。
・集団的自衛権はPKOとは違い、国際社会によってオーサライズされてはいない。
・これまで自民党政権は、戦後のアメリカが行った戦争を一度たりとも批判したことがない、世界でも希な国。
・集団的自衛権の実態は、きわめて少数の、しかも超軍事大国だけが行使してきた権利
・集団的自衛権の生命力は衰えつつあったが、9.11テロを口実としたアフガン戦争から流れが変わった。しかし、この戦争が12年経過しても終結する見通しは立っていない。
・安倍首相は「侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない。」と答えたが、1998年、ICC条約で定まっている。
・1974年の国連総会で採択された「侵略の定義」もある。自国が踏み台(基地の提供)になった場合も侵略。