- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591117880
作品紹介・あらすじ
死の問題を考えつづけることは、生きることの意味、命の大切さを知ることです。宗教学者が死と生について若者にやさしく語る。
感想・レビュー・書評
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この本は著者の死生観について語ったもの。
若い人や、辛そうなことと出くわせても素通りしていく方には関心がなさそうなテーマだけど、ふとしたきっかけで「死」について身近ななこととして、受けとめる時がかならずやってくる。というのは何年か前に僕の親友を病気で亡くしてる。
「死」を宣告された彼の思いはどういうものなんだろうと考えてみた。夜寝ても朝には目が覚めて、一日が始まる。まぶたを開ければ今まで通りの世界があるわけだ。でも、死ぬということは、まぶたを開いても何も見えやしない。見えないどころかそういう意識さえもないのだ。自分の前から世界が消えるんじゃなく、何もなくなるんだ。その事の真実が僕を打ちのめした。その真実が分かってから、くる日もくる日も余り寝れなくなった。
「死の不安と恐怖」というものはこういうことかと分かった。
こういう本を読むといつも思ってしまう。どう生きるかという抽象的なことではなく、具体的に今、この時を意識的に生きるということだ。例えば、今日できることは明日に繰延してはならない。今日できることは必ず今日中に済ませる。恥ずかしがったり、遠慮することなく言うべきことは言うし、行動することなんだと思う。とかく私達は責任取りたくはないものだから、あまりリスキーなことは避けて、我関せずで事なかれ主義主義になったりする。しかし積極的に生きるとはリスクを背負うことだ。
なにもリーダーになることも一番目のペンギンになる必要もない。今を生きてる実感が欲しいところだ。
この本には特攻のことなんかがでてくる。彼らは「死の不安と恐怖」を麻薬で回避させたらしい。
作家や一般の方達のその不安に対峙するすがたを独自な視線で語っている。死を目前にした彼らのその想いに意識を注いでいる。
結核で亡くなる宮本顕治の想いを、「雨にもまけず」を通して語っていた。あの詩には削除されてた部分があったとは知らなかった。眼から鱗だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
p.7
人間の死亡率は100% -
「死」について考えなければならないのではないか。
あるいは「死」について語ることができなければならないのではないか。
そうした思いが年々強くなっていく。
それは別に「死」が私に近づいてきたからではなく(まだまだそんな歳ではない、たぶん)、「生きる」ということを考えるために、あるいは「生きる」ということを真摯に受け止めるために、「いのち」の尊さを感じるためには、「死」を避けていてはいけないのではないかという思いが膨らんできたからであるように思う。
そうした思いに本書はダイレクトに響く本でした。 -
現代は死を近くに見ない時代になってきた。生きる力だけでなく、どう死にゆくかも心に意識しないといけない。
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筆者は浄土真宗のお坊さんの息子ですが、インド哲学が専門です。
そういうバックグラウンドを持つ人ですから、哲学的な死生観を期待したのですが、普通の人が書いた、普通に分かりやすい内容でした。
仏教用語や哲学用語を使わずに心がけて書いたということで、そういう姿勢には共感を覚えます。
内容は、ぼくが常々思っていることとさほど変わらず納得することばかり。
この本を出版したのが79歳ですから、この人は正しく歳を取っているなぁ~と感じました。(^^)/ -
著名な宗教学者による”死"についての本です。
辛気臭い感じがしないでもないですが、生きることのみを尊び、死ぬことについて忌避しがちな現代人に、不可避な自然の流れである死について、著者自身のエピソードも交えながら、優しく語りかけるように書かれています。
日本人がかつて持っていた死生観を知る上でもいい一冊です。
http://www.lib.miyakyo-u.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=235820 -
難しい“死”を例えようもなくやさしく《赤松正雄の読書録ブログ》
宗教学者として今や八面六臂の活躍をされている山折哲雄氏。先日も東日本大震災のNHKの特集番組で発見。作家の荒俣宏氏とのやりとりで法華経の「三車火宅の喩え」を引用されていた。かと思うと、地方新聞紙上で歌人の道浦母都子さんと「3・11後」の題で対談をされていた。また、古典文学30を分かりやすく解説した今話題の新書『日本語の古典』(山口仲美明治大学教授)では、いきなりプロローグに登場。「古典をしっかり教えれば、それで宗教教育になる」と山折氏が述べている論文が引用。山口さんをして我が意を得たとばかりに「大きな勇気を与えてくれた」と言わしめている。その影響力やかなり多方面に及ぶ。
その山折氏の『わたしが死について語るなら』は、やさしい言葉で死という難しいテーマを存分に語っている。青少年向けの“死の指南書”の趣きだ。氏が個人的な死にまつわる体験を語るくだりで、浄土真宗の「白骨の御文」を引き出されているのにはいささか驚いた。かつて子供の頃の私は父に従って、事あるごとにお経を読んだ。その時いつも、最後にこの「白骨の文章」を聞かされたものだからだ。浄土信仰から19歳で日蓮仏法に改宗した私としては、遠い過去の記憶が急に蘇った。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の冒頭と末尾に書かれていたお題目。それを教科書などではカットしてしまう。こうしたことも今更ながらに不可解に思われる。この本では死を取り扱った文章が様々に登場するが、一つひとつが実に印象的で、是非ともノートして覚えようという気にさえなる。
山折さんは、万葉集、源氏物語、平家物語、謡曲、浄瑠璃の五つを必須の古典として挙げたあと、「これだけの古典に親しんでいれば、それで日本人の価値観、宗教観、自然観のすべてがわかる」としている。卓越した宗教学者の古典への誘い及び“死に方”の手ほどきの書として、中高年にとっても実に得難いものに思えた。 -
推薦古典
・万葉集
・源氏物語
・平家物語
・謡曲
・浄瑠璃(曽根崎心中)
推薦図書
・ブッダ最後の旅
・新約聖書
・老子
・先祖の話(柳田國男)
・こころ
・城の崎にて -
最後の章が特に良かったです。自然の中で今なら逝っても良いと思える時がある、そう思えるような老人になりたいですね。