(006)本当は怖い小学一年生 (ポプラ新書)

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591136355

作品紹介・あらすじ

「ピッカピッカ」の1年生ばかりじゃありません!?

成績はいいのに、席にじっとしていられない子。
嘘をついて友達を振り回す子。
親が付き添わないと授業を受けられない子。
……今の小学1年生や、小学校低学年の教室は、
われわれ大人が抱いているより、ずっと「困った」状態らしい。
しかしそれらは日本の教育システムに対する子どもたちからの警告であり、
本当に深刻なのは、
子どもの可能性を閉ざしている大人社会ではないだろうか。

学びとは何か、成長とは何か。
保育・教育の第一人者である著者が、
現状をレポートし、新しい教育のあり方を提言する。


【目次】
はじめに――「怖い」子どもが増えている理由
一章 「自分がわからない」まま育つ怖さ       
二章 もっと「怖い」日本の親たち 
三章 「怖い」小学生をつくった日本の学校 
四章 「小さな社会」が手応えをつくる 
五章 一人ひとりに物語のある学びを

感想・レビュー・書評

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  • 皆さんが書いているようにタイトルと内容が大分異なる。後半は今後の学校教育の理想が書かれていて、それはそれで勉強になるんだけど、今、小学校にいる子どもへの回答やヒントは示されていないように思えた。

  • タイトルとは少し異なる内容でしたが、とても良い著書でした。
    小学生になったとたん、授業に集中できずふらふらしたり先生のお話を聞けなかったり。
    それは、家庭の問題として扱われてきたが、それは、学びのスタイルが古いからではといっている。そのスタイルへの抵抗がそういうサインとして表れていると。

    幼稚園や保育園ではたくさん遊んで興味好奇心を追求した遊びをしている。
    しかし1年生になると急に違うスタイルとなり、楽しく感じなくなる
    本当に怖いというのは、日本の教育の在り方だと。

    確かに授業がたのしければ、そんな問題起きないだろう。
    幼稚園や保育園の学びの方がよほど自発的で楽しい学びである。
    学びとは
    意味を覚えるだけでなく。体験を通して語義を一人称化して意味を体得していくもの。その体験により、感情や価値判断をしていく。
    潜在的な可能性は、私はこれが好きというこだわりがあるか、無垢である時間が大切。教育現場も無垢な環境が必要と言っている。

    また親の前ではいい子、過保護、経済格差、遊べない父親、おせっかいもまた問題。

    早期教育より、疑問を調べて何かを見つける力=知的体力が大切だと

    これからの情報化社会で必要なものは、
    知識た記憶、計算力は
    脳を活性化させるに習慣化すればよいこと
    でもこれが一生必要ではない。
    AIにできることはPCにお任せする。
    人間にしかできないのは感じること。
    面白いという気持ちを育てること。
    疑問を持つこと。
    絵の描き方、表現の仕方はみな違っていい。
    褒められること受けがいいことを基準にしなくていい。
    良い悪いでなく、自分で考え、工夫する姿が一番素敵。
    子供を肯定に自分で自主性を育て、考えられる子供にすることや親には必要。
    不思議、きれい、ほっとする
    そんな人間にしかもてない感情や感性を、体験を重ねながら豊かにする
    学校はそんな学びの場にしなくてはならない
    。覚える、表現しなさいという一方的な指示ではなく
    何か素敵なもの、感動するものを見つけよう。それを自分で個性的に表現しようという
    教育が望ましい
    学ぶことは、遊ぶことと同じ面白いと気付ける
    ドイツの学びの工房が有名」

  • 【子育て】本当は怖い小学一年生/汐見 稔幸/20140315(25/200)

    ◆きっかけ
    ・日経新聞広告

    ◆感想
    ・小学プロブレムは深刻。3月までは保育園や幼稚園で好きにさせていたのに、4月になって小学校で着席し続けなければならないのには無理がある。だからと言ってそれを幼保が原因と捉えるのはおかしい。多分、移行期が必要なのだろうが、具体的解決策がないのが不満。このほか、子供は指示過剰環境にある、というのははっとさせられた。そうではなくて、家族会議を開く、等、自主性を重んじるようにしたい。そして、この自主性は、子供扱いしないと伸びると。
    ・関連して、好きなことをとことんやらせることが重要、と再認識。好きなことを見出すこと、そしてそれをとことんやること、で、一芸に秀でる可能性が高まるし、何かに没頭する集中力もつく、時代はあれもこれもできる器用貧乏というかジェネラリストではなく、何かのスペシャリストを求めている点でも合致する。
    ・その際、大切なこと、枠にはめない、ということ。
    あと、夫婦喧嘩は影響大。強い口調等は子供達の前で控える。

    ◆引用
    ・母親の要求がきついと、子供は日頃から、親の顔色や空気を読むことにエネルギーを使う。子供どうしても相手への気遣いが優先されて、ざっくばらんな人間関係づくりが苦手になる。
    ・早期教育=知っている、のに分からない、分裂状態をつくてしまう。語義だけでなく、その語義を表す内容についての体験が必要で、その体験に感情や価値判断をまぶして意味にしていくもの(例、子供に恋愛を教えても、恋愛体験がない以上、意味を持てない)
    ・子供扱いしなければ、能力は伸びる。学校の制度化が進むと、小1ならこの程度できればいいと、枠はめしてしまう。
    ・子どのの潜在的可能性は、私はこれが好き、というこだわりを持っているかどうかで花開く。そういう状態で成長できるかどうか。
    ・自尊感情を重視:自分の行動を自分で決める。
    ・知的体力を育む環境作りが必要:勉強させられるのではなく、自分が知りたい、調べたいという自発的で自主的な心と体の動きの中で育つ。そのためには、子供が興味や関心を抱いていることをできるだけ尊重すること。
    ・4打数1安打の会話術:KKKH。聞く、共感する、(一緒に)考える、励ます。
    ・人が成長するための必要な体験:具体性(五感、特に嗅覚と触覚重視)、と偶然性(自然の中で遊ばせる)。
    ・遊びの本質:カオス(混沌)からコスモス(秩序)を紡ぎだす(例:○○ごっこ、新たなルールを決めて遊ぶこと等)。これは学問やビジネスにも通じること。
    ・大人たちはもっと意識的に、子供達の豊かな自然体験をさせ、さらに感じたことを言葉、絵、造形、音楽、身体パフォーマンス等様々なメディアで形にしていくことを励ますべき。
    ・幼保小連携の動き
    ・子供達と保育園との連絡帳。貴重な財産。
    ・三角関数を教える暇があったら、三角関係の対処の仕方を練習した方が社会に出た時に役立つ。

  • 早期教育、ダメ。ゼッタイ。

  • ホント、全ての教育が保育であるべきだなあと思った。
    きっとさ、昔は一律に教えることがある種の生存戦略だったとこもあるんじゃないかなあって気がしてて、昔の教育を全否定する気にはなれないんだよね。そもそも国家レベルで食うモノに困ってるような時代に主体性とか言ってらんないよね。いいから畑耕せしぬぞ、というか。
    つまりは、あるべき教育って社会情勢と切っても切れぬ関係で、時代とともに変わるべきってことなんだろうなと。で、現代に必要なのが保育的教育ってことなのかなと。
    そういう意味で教育の価値って実はすごく上がってるような気がする。昔はお医者さんの身分って底辺だったのに今はガラリと変わったように、教育者たちの立場も変わっていってほしいなあ。

  • タイトルにひかれて読んだけど、目新しいことは 特になく、よく言われていることが述べられているだけに思える。一年生の何が怖いのか、結局わからなかった。
    古い教育制度を見直して新しいものを作ろうということらしい。

  • タイトルは陳腐だが、内容は最近の幼児教育を活かして、そこと継続する小学校教育を作っていこうという信頼できる内容。

  • 教育

  • この手の本は読みやすくていい。

    小説ばっかりだと内容かぶってくるものとか、何がなんだかごっちゃになるので、気分転換にこういうのを挟めて読んでるけど、来年一年生になる我が子を思うと他人事じゃないなぁ。と思うものの、じゃ、私どーしたらいいよ。

    っていう結論のあまりはっきりしない一冊でした。

    わかったのはまぁ元気にのびのび育てばいいってことかいな?笑笑

    ついでに、海外で群を抜いて就学レベルが低下してる上に自己肯定の満足度が異様に低い日本人との指摘。

    なるほど、だから村上春樹みたいなくらーくてやたら自殺したがりの主人公の多い小説が日本人にウケるのかな。

  • 2018年10月6日読了。「小1プロブレム」なる、言うことを聞かない生徒・学校を責めたてる両親・教育に取り組めない教員などから学級が崩壊してしまう現象について憂い、何が問題なのか・どうすれば解決できるのかを示唆する本。軍隊的に画一的な教育を施そうとする小学校の教育内容がとっくに時代に合っていないこと、保育園は私企業も参入し子供の自主性を重んじたりあの手この手の努力をしているのに変われない小学校とのギャップがありすぎること、が原因なのか。日本の教育は変えていかなければならないが、個人レベルでできることは。日本でなく海外の学校に子供を通わせることとか、学校は学校で適当に流すことを子供に肝に銘じさせ、必要な教育は塾や習い事、サークル活動などで学ぶと割り切るべきか。悲しい気もするが、自分の生きてきた時代と同じやり方では今は生きていけないのだよなあ。

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著者プロフィール

1947年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。東京大学大学院教授を経て、現在白梅学園大学学長。東京大学名誉教授。こども環境学会副会長。専門は教育人間学。臨床育児・保育研究会を主宰。著書に『これがボクらの新・子どもの遊び論だ』(加用文男、加藤繁美氏と共著、童心社、2001年)、『「教育」からの脱皮』(ひとなる書房、2000年)、『はじめて出会う育児の百科』(小学館、2003年)、『世界の幼児教育・保育改革と学力』(共編著、明石書店、2008年)など。

「2009年 『子どもの遊び・自立と公共空間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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