翔ぶ少女

著者 :
  • ポプラ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591137277

作品紹介・あらすじ

泣き叫ぶことしかできなかった、あの朝。
二度と大切なものをなくさないように、あたしは強くなりたい。

1995年、神戸市長田区。
震災で両親を失った小学一年生の丹華(ニケ)は、
兄の逸輝(イッキ)、妹の讃空(サンク)とともに、
医師のゼロ先生こと佐元良是郎に助けられた。
復興へと歩む町で、少しずつ絆を育んでいく四人を待ち受けていたのは、
思いがけない出来事だった――。

少女の強く切なる祈りが起こした、やさしい奇跡。
『楽園のカンヴァス』の著者が長らく温めてきた、心ゆさぶる再生の物語。


原田マハ(はらだ・まは)
1962年、東京生まれ。85年、関西学院大学卒業、96年、学士入学した早稲田大学卒業。
アートコンサルティング、キュレーターを経て、2005年、『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、翌年デビュー。
12年、『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞。
著書に、『ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言』『総理の夫』『ジヴェルニーの食卓』『生きるぼくら』『旅屋おかえり』など、
共著に『エール! 3』『東京ホタル』などがある。

感想・レビュー・書評

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  • あかん、これ外で読んだらあかんやつやった。
    最初から最後までグズグズやって、恥ずかしいたらありゃしない。

    1995年1月17日(火曜日)午前5時47分。あの朝のことは忘れない。遠く岡山で遭って「たった」震度4でも岡山県人には生涯初めての揺れだったし、その2週間後ボランティアで行った神戸の風景は、それまでの世界観を揺らがせるには充分だった。全然他人事のように読めんかった。

    長田町のパン屋のイッキ、ニケ、サンクの三兄妹は、両親を失い、命を助けてくれたゼロ先生の養子になる。こんな家族もおったはず。原田マハさんは2012年に連載を開始しているから、東日本大震災のあとに書き始めているけど、僕は3年前の西日本豪雨をも思い出した。あのうだるような夏のボランティア作業を思い出した。95年から、災害はいつか日本人の運命と共にある。

    喪失とどう向き合うか。
    ボランティアとは何か。
    生きてゆくとは何か。

    丹華(ニケ)は発見する。
    ‥‥急に思い出した。
    震災の直後に、ゼロ先生に同じことを言われた。
    ーギリシア神話に出てくる、勝利の女神や。‥‥言うてもわからへんか。とにかく、女神さまやで。翼が‥‥羽が生えとぉねんぞ。背中にな、こんなふうに、大きな羽が。‥‥

    ニケは前を向く。

    (2021年9月1日防災の日記入)


  • 阪神淡路大震災大震災から復興の十年間のある家族のお話。

    イッキ、ニケ、サンクの三きょうだい(兄、姉、妹)は震災で父と母をいっぺんに失ってしまいます。
    そしてニケは片足を怪我して、不自由になります。
    ですが三人とも、その時に助けてくれた医者の「佐元良医院」のゼロ先生の養子となり、一緒に暮らしていきます。

    話は、震災のあった朝から始まります。
    私も先日、東日本大震災でやはり被災して、避難所生活を経験したという友人と、数年ぶりに再会して、その時の様子などを聞いたその日の夜から、この本を読み始めたので、まるで他人事とは思えませんでした。

    ゼロ先生と三きょうだい、由衣らの交流はあたたかく、感涙にたえませんでした。
    こんなあたたかいかかわりの人々ばかりだと、本当に世の中もよいものだと思いますが、実際には、大変な気苦労をされた方がやはり大勢いらしたのではないかと思います。

    でも、このお話は、本当にいいお話で、こんな物語が創られたことに感動を覚えました。
    まだ、帰宅できずに生活していらっしゃっる方にも勇気を与えてくれる本ではないかと思います。

  • 阪神淡路大震災で両親を亡くし、脚も不自由になった少女、丹華の物語ということで、重たい話かと身構えていたが、違った。

    兄の逸騎、妹の燦空。
    3人兄弟のテンポのいい口喧嘩が元気いっぱいだし、ゼロ先生とのやり取りも明るい。

    〈心のお医者さん〉であるゼロ先生たちを通して触れる、被災者たちとのやりとりも、あたたか。

    もちろんつらいこともあるけれど、前向きな作品。

    後半は突然のファンタジーで、しっくりこなかった。

  • あの日の朝、「ん?何だろう?ゴーって聞こえた?」と、思った瞬間、揺れた。しかもものすごく長い時間、大きく。家がミシミシ言って、鉄筋に立て直したばかりの実家は、折れてしまうのではないか?と、思うくらい揺れた。怖かった。とにかく怖かった。

    家は壊れななかったし、木造の離れも何ともなかった。私の部屋は2面がクローゼットなので、タンスもないし、置いているのはピアノだけなので、倒れたものの下敷きになることもないが、冬のフローリングは寒いので、隣の和室で寝ていた。和室もテレビしか置いていないので、この部屋でも倒れたものの下敷きになることもない。天井が抜けることもあるかもしれないが、幸にして、長く続いた揺れの後も何も損傷なく、身体も無事に起床の時間を迎えた。

    ただ、服を着替えるために自分のフローリングの部屋に入って、びっくりしたことがあった。なんと、ピアノが15センチくらい壁から離れて前に移動していたことであった。

    それくらいの変化があったくらいだったので、慌てることもなく、いつものようにダイニングに行くと、テレビがついていた。映像は長田区の大規模火災だった。「今朝の地震は?火事もあったの?」しばらく状況がわからなかったが、この地震によるものであるとの解説があった。火災の原因は、生活が開始する朝の時間的な要因であったようだ。

    私の場合は、近隣県に居住していたので、この程度であったのかもしれないが、友人の中にこの地震の建物倒壊によりご親族や一緒に居住していたお祖母様が亡くなられた方もいた。

    本作はそんな地震により両親を亡くした主人公・丹華とその兄・逸騎、妹・燦空、そしてこの3兄姉妹を救い、育てるゼロ先生こと佐元良医師との家族としての絆の話しである。

    地震直後の長田の町は、家屋が倒壊し多くの人がその下敷きになっていた。丹華自身も倒壊した住まいの瓦礫に足を挟まれ、身動きが取れなかった。そこにゼロ先生が現れ、丹華を救出する。しかし、瓦礫に下敷きになっていた母は、助けることができなかった。自分の命が終わってしまうことを受け入るしかなかった母は、子供達のことをゼロ先生にお願いする。
    そして、震災で、両親を失った丹華兄妹と家族を失ったゼロ先生は、共に暮らすようになる。ゼロ先生は、丹華たち兄姉妹を養子に迎え新しい家族として、出発する。震災後、彼らは、真の家族のごとく絆で繋がれて生活することになる。

    震災による精神的な障害を持ち、さらには丹華の場合は、足の障害も負うことになる。学校での友達からの同情や冷たい言葉を受ける中で、家族の愛があったからこそ、少女は、震災の傷を治していくことができたのであろうが、そんな幸運な被災者は少ないだろう。時が記憶を包んでいくまでに、その悲しい経験を思い出し、亡くなっていく人もいただろうと思うと、前回読んだ「決壊」の言葉を思い出してしまった。「人は自分から遠いところで起こっている悲劇に、真に心を痛めることはない」

    大規模震災を経験した丹華たちの真の恐怖を私は全く理解していないということだ。

    文明の進歩により、見た目の復旧は、思った以上に早かったかもしれないが、人間が負ったダメージの回復はさらにもっと時間がかかるだろうし、消えないかもしれない。もしかしたら、25年経った現在に於いてもそのダメージに悩まされ、生活を脅かされている人がいるかもしれないと考えてしまう。

    本作の不思議は、丹華の肩甲骨に生えた羽。人の体に羽が生えるなんて、まかり間違ってもないことであろうが、それは天使の羽のように、読者は受け入れる。人と人とを繋ぐキューピットの矢ではなく羽は、今回、ゼロ先生と、ゼロ先生の息子・祐也先生の断絶していた絆を繋いだ。足の不自由な丹華にとっては羽は想いを届けるための足であり、丹華の気持ちがキューピットの矢として人の心を動かす。今後、丹華が恋をした時も羽が生えてきて、恋を成就させることになるのであろうかと考えると、著者が表現するシーンを文字で読んでみて、想像してみたいという気持ちになる。

    それは、私が丹華の初恋の心のを表現しているこの文章が愛らしく、私の心に響いたから。「その瞬間、胸の中の小さな箱に、いっぱい詰まっていたきらめくビー玉が、いっせいに、きらきら、からから、ころころと、心地よいメロディを奏でながら転がり出すのを、丹華ははっきり感じた。丹華の胸の中では!色とりどりに輝くビー玉が、きらきら、からから、ころころと、転がったり、ぶつかったり、くるくる回ったり。にぎやかなメロディを、奏でている。」
    近い将来に起こる丹華の成長した恋心がビー玉以外で表現されているのか?成長した丹華の気持ちがの表現がとても気になる。

    震災という波に呑まれる以外なすすべがなった2家族が、1家族として誕生し本当の家族となっていくその復興に心が暖かくなる作品であった。

  • 好きだな、こういうの。
    本書に限らず、この手の物語の感想に、『現実にあり得ない』から『感情移入できない』という趣旨の文章を書いてる人が少なからずいますが、このお話はまさしく現実にあり得ないお話で。
    誰か大切な人を想う気持ち、困難にめげずに明日を力強く生きていこうとする描写を、翼が生えるという表現で表しているわけだから、そういうのは文学や芸術では当たり前のこと。
    美術に明るいマハさんだからこそのやわらかくもメッセージ性抜群の文章回し。素敵です。

  • 19年前の1月17日早朝から始まる物語。

    長田区のパン屋さんの三兄妹イッキ・ニケ・サンクは、いつもの朝を迎えるはずだったその日に、目の前で両親を失う。
    三兄妹を助けてくれたのは、同じ町で心療内科を営むゼロ先生こと佐元良だった。
    その後、ゼロ先生は兄妹を引き取り、日々は過ぎ4人は家族となっていく。

    読み始めてすぐ、涙をこらえられなくて、「しまった」と思った。
    読み進めて今度は、混乱した。
    ――えっ、こういうお話?どういうこと?
    そこにファンタジーの必要を感じられず、また「しまった」と思った。
    少し冷却期間を、と間に別の本を挟んだ後、続きを読む。
    今度は混乱しながらも読みきった。
    読み終わったら、先ほどまで不要だと思っていたニケに起こる奇跡を柔らかく受け止められていた。

    読後感はとてもいい。

    だけど、やはり別々のお話にしてほしかった気持ち、優しくて希望に溢れたお話をありがとうって気持ち、いろいろ複雑な気持ちが湧いて、なかなか感情を整理できない。
    この物語を読んで、前を向けるようになったり希望を持てるようになったりする人(とりわけ子どもたち)が一人でも多いといいなと思う。

    でもわたし自身は今はまだ、好き嫌い良い悪い、どんな評価もつけることができない。



    ・・・・・・・・・
    逸騎・丹華・燦空と兄妹の名前がいわゆるキラキラネームっぽいのは許容範囲なのだけど、
    ゼロ先生の苗字が「佐元良(サモトラ)」は、ちょっとやりすぎかと(^^;)

  • 1995年の阪神淡路大震災から物語が始まる。
    主人公は丹華(にけ)という名の女の子。
    少女の名前については「おっちゃん」がこんな風に言う。
    『ええ名前やな。女神さまの名前と一緒や。
    ギリシア神話に出てくる、勝利の女神や。羽が生えてんねんぞ』
    そしてこの話をした「おっちゃん」の名字は佐元良(さもとら)。
    小さな心療内科「さもとら医院」の院長だ。

    “サモトラケ の ニケ” といえば、ルーヴル美術館の三大至宝のひとつ。
    ニケは、あのナイキの社名の由来になっていると聞いた。
    そして、ナイキのロゴマークは、ニケの翼をイメージしたものだとか。
    原田マハさんならでは の ネーミングのセンスだ。

    物語は、震災から10年の間の、心がほんわか温かくなる感動作。
    幸せに暮らしていた家族の両親が、目の前で突然、帰らぬ人になった。
    残された 幼いこどもたち三人。
    心に傷を持ったまま、命を救ってくれた「おっちゃん」と暮らすことになる。
    「おっちゃん」は、仮設住宅をボランティア医師として回診する心優しい医師。
    そして「おっちゃん」もまた、目の前で妻を亡くし、
    息子からは絶縁されるという辛い過去を抱えていた。
    ユーモアたっぷりの関西弁の描写に頬が緩み、
    心優しい人たちの言動に涙腺が緩んでしまう。

    最後に、原田マハさんのお茶目なネーミングセンスといえば、
    この作品の他に「奇跡の人」も心に浮かぶ。
    主人公の、盲目で 耳が聞こえず 口も利けない 少女の名前は、介良(けら)れん。
    そして、彼女の教育係は去場(さりば)安 だった。
    珍しい名前だなあと思って、読み進んだ。
    途中、ヘレン・ケラーとアン・サリバンだと気づいた時は、思わず吹き出した。

  • この本の発行日は2014年1月17日。
    その19年前から物語は始まります。

    枕元の目覚まし時計は5時45分を指し、主人公の少女は布団の中で夢を見ていた。
    その一分後からの現実を知っていると、何ともやりきれない緊張感が高まりました。
    もちろんこれ自体はフィクションでも、同じような思いをして同じような境遇に陥った人がたくさんいました。
    彼女たちの姿に重ねて、あの日あの時の自分の体験をまざまざと思い出してしまいました。
    19年たっても、受けた傷口はまだ完全に癒えてなくて、ふとしたきっかけで容易に開くものです。

    「震災のまえとあとでは、何もかもが一変してしまった。
     被災した人すべての人生に、多かれ少なかれ、変化が訪れたのは間違いない。」からね。

    ここで、わたしの経験や思いを書くと取り留めなく長くなった挙句に全部消す羽目になりそうなので、最近思ったことを一つだけ。

    ソチオリンピックで金メダルに輝いた羽生結弦くん、仙台出身で東日本大震災で被災して、優勝後の記者会見でも「被災地のために何ができたのかな」みたいなことを言っていました。
    今19歳なので、震災当時の3年前は16歳。
    私が阪神大震災を被災したときと同じ年です。
    あの当時、「被災地のために何ができるだろう」なんて考えたことなかった。
    もちろん生まれ育った地元の状況を目の当たりにして悲しかったし、考えたことなかったようなことを色々考えたりはしたし、毎日一生懸命頑張って生きていたけど、まぁ自分のことしか考えてなかったよね。
    被災地の復興とかは大人たちがやってくれると思ってた。
    なので結弦くんを見ていると心底えらいなぁと感動を覚えると同時にもっと自分のためにスケートしてほしいなぁと思ってしまう。
    まぁなかなか複雑ですな。
    (ちなみに結弦くんはシニアデビューのころから大好きです)

    だいぶ話がずれました。
    さて、本の感想ですが、震災後どんどん時が進んでいくので、時々気持ちの整理がつきにくいのと、後半のファンタジーな展開をどう受け取るかで評価が分かれそうなお話ではありました。
    正直、阪神大震災を題材にしているという点では評価しにくいのですが、よくある喪失と再生の物語としてとらえても十分満足できる内容でした。
    はじめから最後まで涙、涙で、「大丈夫だよ」って背中をそっと押してあげたくなりました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「今19歳なので」
      元々シッカリされているのでしょうけど、周りの大人が駄目駄目なのかも(子どもって、幼いけど純粋な正義感で突き動かされる時...
      「今19歳なので」
      元々シッカリされているのでしょうけど、周りの大人が駄目駄目なのかも(子どもって、幼いけど純粋な正義感で突き動かされる時と、大人を見限って、自分が何とかしなきゃって驚くくらい醒めた目をしている時があって、此方がたじろぐコトが)
      2014/04/04
  • 災害のテーマのものを読むと考えてしまうこと。

    被災した地域の人だけ
    なぜ咄嗟に人生最大の決断をしなくてはならないのか。
    それでなくとも大変な環境なのに、畳み掛けるように我慢我慢を強いられるのか。
    なぜただ生きていこうとしているだけなのに長い間憐みの目でみられてしまうのか。
    なぜ被災前のような『普通の日常』に戻れないのか。

    阪神大震災発生からはじまるこの物語も
    涙しながら理不尽なこんなことを鬱鬱と考えてしまいます。

    ほとんど関西弁だからでしょうか。
    笑いが日常のそこかしこにある関西人が登場人物だからでしょうか。
    主人公である、イッキ・ニケ・サンクの兄妹と
    その兄妹を助けて一緒に生活をするゼロ先生の明るさに助けられ
    時々泣くことから脱出し、笑ったりしてしまいます。

    ニケに起こった奇跡。
    これは必要かな…と読み進めるとラストの盛り上がりで
    そういうことだったんだ、こういうことの表現だったんだと判りました。

    さすが勝利の女神!と納得の一冊です。

    しんどいときほど笑い飛ばすゼロ先生がカッコいいです。
    笑いと誰かを想う強いエネルギーで
    温かい気持ちに包まれてます。マハマジックですね、これは。

  • 1995年、神戸市長田区。
    地震の後の火災で両親を目の前で失った、イッキ、ニケ、サンクの三兄妹。
    そのとき3人を救ってくれた医師のゼロ先生。彼も妻を震災で失くしていたのだった。

    仮設住宅で新たな暮らしが始まり、復興を願う町の人たちと共に一歩一歩前を目指していく4人。
    震災のときのけがにより、足が不自由なニケは親のいないことも併せて、級友からの表面的な同情と残酷さを受け入れられず孤立を深めていく。

    それでも彼らは、仮設住宅のコミュニティーに助けられ、町の大人たちからも気にかけてもらい、また、尊敬し寄り添える大人たちから自分を認められて居心地のよい居場所を得ていく。

    それにしても、目の前で大切な、かけがえのない人を失くすとはどのようなものか。想像もつかない。
    目の前で消えゆく命をただ手をこまねいて見ていることしかできず、
    自らの命も危険にさらされる中で、放置して立ち去らねばならなかった。
    それは仕方のないことだったと人がなぐさめてくれたとしても、
    自らを許すことはできず、想像を絶する辛さと苦しさを感じ続けるに違いない。

    それでも、人は生きていく。
    自分の辛さや悲しみを受け入れて、人の哀しみに寄り添いながら、一歩ずつ歩いていく。
    マハさんはそんな情景を丁寧に描いていく。
    言葉を選びながら紡ぎだされる物語。

    マハさんの言葉の選び方は私の好みに合っている。
    実に納得できることが多い。
    だからこそ感じる個人的な気持ちですが、
    ネーミングにこだわらなくてもよかったのではないかと思うし、
    ファンタジーを織り交ぜなくてもよかったように思う。
    リアルな日常を描きつつ、人の力による再生の物語を読んでみたかったなあ。
    人の持つ力にもっともっと圧倒させられたかったし、マハさんの持つ言葉の力に読み手の感情を委ねたかったなあと思う。


    がれきの山に埋もれた瀕死の母親に火の手が迫ったとき、子ども達に向かって呟く。
    「あんたらが、うちの子で、よかった・・・」(P21)

    この言葉が、残された子供たちの背中を少しでも支えてくれたと信じたい。

    自分が発する言葉が人を傷つけたり、不快にしたりすることなく、少しでも人を勇気づけ、笑顔にさせることができたらなあ・・・。
    何気なく話す言葉も疎かにできないな、と感じた。

  • 原田さん独壇場の美術 とは離れたメルヘンチックな話。阪神淡路大震災で残された3人兄妹が冴えない心療内科おっさん医師に救われ父子となり育って行く。震災時に足を負傷した二女ニケがストーリーテラーで、兄妹の大事なおっさん医師が持病で倒れた時の行動に おっさんの私も泣かされた。
    こら あかん!わしの心を掴んで泣かせよる!わし こういうのんに むっちゃ弱いねん 笑。
    まあハッピーエンドで良かったよ♪
    二つの大震災を踏まえて書かれたメルヘン。

  • 久しぶりに涙腺の刺激された作品。
    主人公の背中に羽が!現実にはあり得ない現象だけど、愛する恋人のもとへ、あるいは、かわいいわが子のもとへ、飛んでいきたい一途な気持ち、その象徴が羽ではないか。
    SF小説ではないが、十分納得できる展開。

    心の病気を治すのが、心療内科=ゼロ先生。
    心に灯りをともすのが、原田マハ。

  • 夢中で読みました。
    泣いてもーた。
    ありえない話だから
    リアル好きな自分の好みではないんだけど、
    子どもたちのセリフが
    かわいくてかわいくて
    何回も泣いてもーた。

  • 阪神淡路大震災で両親を亡くした三人兄妹と、彼らを助け引き取る事にした医師。この四人が懸命に生きる姿を描いた、心温まる物語です。

    1995年1月17日。幸せな夢を見ていた少女・ニケがふと目を覚まします。時刻は午前5時45分。その1分後、ドーーーン!!と、世界が一変する未曾有の大惨事が・・。
    この序盤の地震の場面で、もう胸が締め付けられて泣きそうになる私。
    その後、医師のゼロ先生こと佐元良是郎に助けられ、仮設住宅で共に暮らすことになった三人兄妹。震災孤児になってしまった子供たちとゼロ先生の温かく強い絆がとても微笑ましいです。
    地震の時に足を大怪我を負い、家では明るいのに学校では疎外感を感じて孤立してしまうニケや、ゼロ先生と息子さんとのすれ違い等、しんどいこともあるけれど“家族四人”が助け合い、乗り越えていく様に心からエールを贈りたくなります。
    ニケの“羽”のくだりは好き嫌い別れると思いますが、こういうファンタジーな展開もフィクションならではなので私的には嫌いではなかったです。
    ただ“羽”の描写が妙に生々しくて、限局性恐怖症の傾向がある私は“う・・(汗)”となってしまいました。できれば描写もファンタスティックにして頂きたかったです。
    ラストは、希望にあふれていて、明るい気持ちで読み終わりました。
    因みに、本書の登場人物の名前が、ゼロ先生(0)長男・イッキ(1)長女・ニケ(2)次女・サンク(3)と、遊び心にあふれていて、さらに原田さんらしいのは、主人公のニケとゼロ先生の苗字佐元良(さもとら)→『サモトラケのニケ』(『ミロのヴィーナス』と並ぶ超有名彫刻ですね)と、お得意の美術ネタ(?)を絡めております。きっと、ニケの翼のように羽ばたいてほしいという意味があったのかなぁ。と思いをはせた次第です。

  • 目で見た事は全て真実ではあるが、
    受け止められない現実も中にはある。

    ある日、何気なく眺めていたTV画面に地獄が映った。
    (何これ?)
    まるで巨人が踏み潰した後の様な街。
    陥没した道路。
    堕ちた橋。
    瓦礫と化した建物の間から
    幾筋も立ち上る炎の柱。

    大きな地震によって壊滅した街は
    ほとんど地獄の様相を呈していた。

    ぶるぶると震えながら
    とにかく頭を駆け巡るのは
    ここで生き残った人達は今、どうしているのだろう。

    著者である原田さんの目は
    離れた所からこの地獄へと入り込んで
    苦しむ人達の下へと届いてしまった。

    そして
    どうしようもなく
    救いたい、
    救いたい、
    どうにかして救いたい!

    と、思われたのではないでしょうか。

    著者の強い思いは
    ある少女に捧げる翼になった。

    目には見えない架空の翼は
    祈りと同等の強さを秘めている。

  • 泣いた、泣けた。
    ニケの切なさに、純粋さに。
    ゼロ先生の優しさに、男気に。
    至る所で涙が零れて仕方がなかった。

    阪神淡路大震災で被災し、両親を亡くした三兄妹の物語。
    主人公ニケの幼い関西弁が、そのやるせない心情を見事に表現している。
    心と体に深い傷を負ったニケ。
    でも、そこに現れたスーパーマンのような優しいおっちゃんゼロ先生。
    そして、ニケの他人を思いやる純粋な気持ちが奇跡を起こす。

    “大丈夫、翔べるって。
    こうしてな、こうして・・・・・・ほうら。
    翔ぶねん。“

    原田マハ、何でも書けるんですね。
    その抽斗の多さに脱帽です。

    • mizunikatamukuさん
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      2014/03/16
  •  ニケは失ったものへの悲しみと引き換えに、翼を得たように感じた。
     震災で両親が亡くなったとき、わずか3歳だったサンクが、「心が泣いてる」と言う場面が切ない。
     失ったものへの悲しみと、いま一緒にいてくれる大切な人への愛情。それをつなぐものが、ニケに生えた翼なのかな。

  • 神戸市長田区の阪神大震災の日から始まる物語。

    新聞の書評を読んで、手に取ってみる。
    だから阪神大震災の話だとわかっていた。
    わかっていても、やはり読むのに勇気がいる。

    ファンタジーありーので、子どもには読みやすいのかも。

    登場人物の名前は原田マハさんならではのこだわり、なんでしょうね。
    きっと、サモトラケのニケが出てきて
    ゼロ、イチ、ニ、サンとなったんだろうなぁ。と
    勝手に想像。

    しかし、目の前で、地震で倒壊した家に押しつぶされて
    おまけに火事で炎が襲ってくるなか
    生きているお母さん、お父さんを置いて、逃げなければならなかった
    子どもの気持ちを思うと
    辛すぎる。
    ファンタジーでもなければ辛すぎる。
    現実にはファンタジーはないのだけれど。

    あの、街がぜーんぶ焼けてしまった長田の街を思い出す。

    小さな子どもが、一生懸命生きようとするけれど、
    やっぱり辛くて、お父さんお母さんの所に行きたいと思うのは
    ごくごく当然で、
    頑張って、頑張って、頑張っている姿を思うと

    もう、たまらなくなってしまう。
    泣かないページはなかったかも。

    パンを焼いとう時のにおいとか
    一生懸命、生きとう子どもたちとか
    何やっとん!と思とうこととか
    完璧な神戸弁の再現でした、素晴らしい、嬉しい。

    ありがとう、マハさん。

  • 阪神大震災で両親と家をいっぺんに亡くし、ゼロ先生に救ってもらう三兄妹。羽の存在は現実なのか夢なのか。どちらだとしても人を大切に想うと人は変わっていく。強く生きて行くのはツライけど、生きていかなきゃならない。頑張ろうと思える作品でした。

  • 阪神淡路大震災で両親を亡くした三兄妹と妻を亡くし三兄妹を助けたゼロ先生が家族になる物語

    こういう物語を読むとなんとなく身動きができなくなる感覚におちいってしまう
    簡単に同情したらあかん!同情ってのはそもそも同じ気持ちなるって字やけど同じはなれんよな〜って気持ちと
    いやいや同情の何がいかんのや!助け合いってそういう気持ちから始まるんじゃないのか!って気持ち

    ムズ〜

    考えないほうがいいのか!と思ったりする
    鈍感になって自己満足でええやん!と思ったりする
    自分のしたいようにする
    そうすることで
    大好きなおじちゃんとずっと一緒にいたい!と思うニケのように羽根が生えたりするんだろうか?
    一緒にするな!とニケに言われそうw
    ニケは敏感で周囲の人の心に寄り添える子だもんね

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。森美術館設立準備室勤務、MoMAへの派遣を経て独立。フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。2005年『カフーを待ちわびて』で、「日本ラブストーリー大賞」を受賞し、小説家デビュー。12年『楽園のカンヴァス』で、「山本周五郎賞」を受賞。17年『リーチ先生』で、「新田次郎文学賞」を受賞する。その他著書に、『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『常設展示室』『リボルバー』『黒い絵』等がある。

原田マハの作品

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