禁足地巡礼 (扶桑社新書)

著者 :
  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594080839

作品紹介・あらすじ

大島半島ニソの杜、氣比神宮の社叢、沖縄の御嶽、八幡の藪知らず、将門の首塚、対馬のオソロシドコロetc.

人が足を踏み入れてはならない場所が、日本各地には点在している。

奈良県大神神社の三輪山や沖縄の御嶽(ウタキ)のように、主にご神体とされている山や祈祷所のような神聖な場所であることが多いが、千葉県市川市の「八幡の藪知らず」のように、謂われがはっきりとわからなくても未だに「入ったら出てこられない」といわれている怪談要素の強いところもある。

古代信仰が残っている長崎県の対馬にある禁足地は、その名もずばり「オソロシドコロ」。うっかり足を踏み入れたものは、わらじを頭に乗せて「インノコ」(犬の子)と、自分は人間でないと言いながら後ずさって出なければならない、転んだときは片袖をちぎって身代わりに置いていかなければいけないなど、厳格な畏れの地だったという。
また、対馬のお隣、沖之島はいまだに島全体が禁足地で、限られた男性が祭りの日に入ることだけが許されていたが、世界遺産に認定されたことで、禁足が格段に厳しくなってしまった。

男子禁制、女性禁制であった場所が、時代の移り変わりとともに男性も女性も参拝できるようになったり、管理者・後継者がいなくなって消えていったところもあるように、時代とともに禁足地も変わりつつある。
本書であげられたスポットすべてに足を運んだ著者が、誰も体系的に論じたことのない「日本の禁足地」が持つ「恐れ」と「怖れ」と「畏れ」について考察する。

もくじより
第1章 代表的な日本の禁足地
第2章 人の手が入らない「なにもない空間」としての禁足地
第3章 祟る樹木、森神信仰と畏れ
第4章 現代に残された本当の禁足地「天皇陵」
第5章 現代の禁足地「心霊スポット」

著者プロフィール:吉田悠軌
怪談、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集・発行人。怪談の収集、怪談現場や会期スポット、奇祭など探訪をライフワーク都市、その活動は国内にとどまらない。
『怪談現場 東海道中』(イカロス出版)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)、『一行怪談漢字ドリル 小学校1・2年生』(幻冬舎)、『ムー実話怪談「恐」選集』(学研プラス)など著書多数。
TBSの「クレイジージャーニー」の常連でもあり、世界の奇祭や日本の禁足地を紹介している。

感想・レビュー・書評

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  • 「禁足地」という言葉には、それが醸し出す、何とも言いようのない(著者も書いているように)“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”がある。
    ま、この場合、“ワクワク感”よりは、ゾクゾク感の方がキモチにフィットするだろーという気もするがw

    とはいえ。その「禁足地」に“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”は持てても、民俗学にそれほど興味はあるとはいえないわけで。
    つまり、“読ませるエンジンとしてのオカルト要素”も適度に散りばめられてないと、この手の本は「つまんない」で終わっちゃうように思うのだ。
    ていうか、それは何より著者がそういう人なせいもあってか(さらに言えば、一般向けの新書という制約もあってw)、民俗学的要素とオカルト的要素、それなりにいいバランスの本になったように思う。

    ただ、そのバランスの良さが、内容の良さにつながったかというと、必ずしもそうは言えないところがこの手の本のまた難しいところで。
    好奇心をそそらせてくれる面白さという意味で言うと、そのバランスの良さゆえに、どっちつかずの内容になってしまった感がなきにしもあらず……、のようなw

    というのも、第1章:代表的な日本の禁足地、第2章:人の手が入らない「なにもない空間」としての禁足地、第3章:祟る樹木、森神信仰の畏れ、第4章:現代に残された本当の禁足地「天皇陵」までは、民俗学的(あくまで“的”で、“学”ではない)に興味を引いて面白い反面、な~かいま一つ物足らなさ感があるんだよなぁ…。
    つまりだ。人というのは他者に対してだけでなく、実は自分に対してもタテマエとホンネがあったりするわけだ。
    つまり、タテマエ的は「今時、祟りだの呪いなんてあるわけないじゃんw」で読むわけだ(何の根拠もないくせにさw)。
    でも、ホンネ的には(内心では)、「その民俗学みたいな話はもういいからさ。それより、例の“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”の要素の祟りとか呪いとか、おどろおどろしくってゾクゾクさせてくれる話!それがもうちょっとあっていいんじゃないのぉ~」みたいな感じ、とでも言ったらいいのか?w

    ぶっちゃけ、4章の天皇陵とかなくてもいいからw
    1章の代表的な禁足地や3章の祟る樹木をもっと紹介してくれるとか。もしくは、2章の沖縄の御嶽(ウタキ)とか、もっと詳しく知りたいんだよぉもぉ~、みたいな感じ?

    とか言って、巻頭のカラー写真にある「神武天皇陵」の写真、あれは何か妙に心をざわっとさせられて、ちょっと驚いた。
    何なんだろう?あれだけの空間に人が一人もいないから?それだけ?
    そういえば、前に知り合いが仁徳天皇陵(大仙陵)を見に行った後。
    「あれだけの物を造らせた権力者の欲なのかなぁ…。何とも言えないどろどろしたものを感じて、見ていて気持ちいいものではなかった」と言っていたのを思い出した。
    とはいえ、その時代においては、“祀る”ことが政治であり科学でもあったわけだ。それを“権力者の欲”と言ってしまうのは現代人の価値基準でそれを推し量っているだけとも言えるわけで…
    でも、神武天皇陵のあの写真なんか見ると、どろどろした“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”感じてしまう、かなぁ…w

    そんな、「もうちょっとオカルト感あってもよくな~い?」な4章までだが、それが真逆になっちゃうのが、第5章:現代の禁足地「心霊スポット」だった。
    いや、正直言って4章まで「もうちょっとオカルト感あってもよくな~い?」だったから、5章はもう期待しまくりだったのだw
    ところが…
    全っ然!(笑)

    というのは、5章は怪談作家としての著者が出すぎちゃったんだと思う。
    それが出すぎちゃったがために、読者としては「自分は超常現象なんて信じない賢い現代人だからね。この本はあくまで民俗学的興味で読んでるんだからね」というタテマエに反しちゃう内容になっちゃったんじゃないだろうかw
    それどころか、「5章って、これじゃいわゆる実話怪談じゃん。“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”、じゃないじゃん!」なんて思っちゃったりw
    あ、でも、ないこともないのか?
    オカルト的な要素が好きな人からすれば。
    ただ、この内容だと、そのオカルト的な要素が好きな人ほど既知の話だと思うんだけど…。
    ていうか、むしろこれは純粋に民俗学的な興味で読む人(オカルトには興味がない)からしたらとっても興味深い内容なのかな?
    そう考えると、もしかしたら著者は5章を含め、あくまでその視点でこの本を書いたってことなのか?
    ただ、民俗学“的”好奇心49%、オカルト的要素の好奇心51%で「禁足地」について書かれたこの本を読む自分のような者からすると、1章から4章的内容、5章的内容、別々に本を書いて欲しかったかなぁ…、なんてw
    (昨今、そうそう本も出せないんだろうけど)

    この手の本は難しい、というのはそういうことだ。
    興味が完全にオカルトの方にいっちゃっている人はともかく、信じてないんだけど信じてる人、あるいは信じてみたいんだけど世間からバカにされそうで信じないと言う人みたいな、(おそらく)世間の大半の人の“ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”を満足させるさじ加減というのはものすごく難しく、それこそ禁足地の神さまにお百度でも踏まないと無理なんじゃないかとw

    というのは、この手の事象というのは現在は世間一般的に、“近代以前に信じられていた非科学的なことで、迷信にすぎない”と「信仰」されている傾向があるからだと思うw
    その反面、よっぽど民俗学的興味に寄った人は別として、普通の読者がこの手の本をとる時というのは、心のどこかにオカルト的な要素(面白さ)を期待しているからだと思うのだ。
    つまり、読者の中に超常現象的なことは基本的に否定するという常識と不可知なものに対する好奇心という相反するものがあるため、そもそも無理なところがあるように思うのだ。
    なぜならば、現代人は現代の原理原則となっている科学が否定する“近代以前の原理原則であったその手の事象”を、現代科学への「信仰」から理解を拒否する傾向があるため、内容に少しでも非科学的なことがあると、その部分のみならず内容全体をオカルトと判断、非科学的なバカバカしい話と片付けてしまう傾向があるからだw
    と、なんともまあわかりにくい文章で(しかも同じことをくどくどw)自分で書いていて笑ってしまうが、ぶっちゃけ言うなら、(微妙にニュアンスは変わるが) オカルト的要素を期待して読む人と、民俗学的要素(ま、“学”まではともかく)を期待して読む人では、この手の本は真逆の評価になりがちだ、と言ったらいいのか?w

    そういう意味で、著者はこれを書くのに(たぶんネット世論を含め)いろいろ気を使ったんだろうなぁーと、いろんな意味で「ご苦労様でした」と言いたいw
    この本はちょっと辛口の評価になってしまったけど、 “ロマンと恐怖と畏怖の混ざったワクワク感”を満たしてくれる本、ぜひまた期待してますので頑張ってくださいw

  • 禁足地…その名の通り、足を踏み入れてはいけない場所
    その理由は、神様の場所であったり、禍々しい場所であったり…様々

    この本は日本全国にある噂の禁足地に行ってみて、その理由を探ったり推測したりしたというもの

    平将門の首塚伝説は、実はその当時よりも後年になってからの方が祟りに対してナイーブになった話とか
    高度成長期に祟り話が増えたとか
    犬鳴村伝説とか
    異界駅の話とか

    色々な考え方はあるけど
    祟り話って人間の世界で「何らかの超えてはならない」部分にブレーキをかけるような何かがあるような気がする~

    超自然的ブレーキ
    とでもいうのかしらん?
    そうあってほしいと私が思ってるからなのかな~。

    とか言いながら、私は樹木の祟りとか禁足地とか信じてる方なのよね。

    だってね、そういった樹や場所に行くとホントになんか神々しいような何とも言えないすごさを感じるのよね。そう思ってみているからだけなのかもしれないけどね。

  • 2022.12.16 社内読書部で紹介を受ける。
    平将門の首塚、八幡の藪知らずなど。由来が現代では分からなくなっている。

  • 2022年9月4日読了。人の立ち入りを禁ずる「禁足地」、語り継がれる祟りや神道・天皇家などに関連する神聖性などについて取材の上考察する本。土地や宗教の歴史の専門家でない著者のため、自分で断っている通り各考察には食い足りないと感じる点も多いが、「禁足地」に感じるある種のロマンというか、「禁じられているからこそ行きたい・見たいけど見たくない」という二律背反した感情に関して、天皇陵にある通り「空っぽの対象を秘することで神秘性が生まれる」のではないかという仮説・分析は納得できるところもある。後半の心霊スポットに関する分析、実在の場所からきさらぎ駅などの「ネット上で参加者が共有する架空の禁足地」に関心が移ってきたのではないか、というあたりはなかなか読み応えもあった。

  • 以前に読んだ『 禁足地帯の歩き方』で禁足地と言う言葉に興味を持ちました。
    入ってはいけない場所だからこそ覗いてみたい、知りたい、と言う好奇心を起こす言葉です。
    現地に赴き取材をされるのでリアルな姿が読めました。
    神社に古墳と言った場所から心霊スポット、ネット上の場所まで『禁足地』と一言で言っても広がりがすごかったです。

  • 「禁足地」という言葉に惹かれて読了。
    ちょっと後ろめたい。いけないのだけれど見てみたい。触れてみたい。
    経験してみたいという。
    してはいけないことに触れてみたい。
    好奇心や冒険心(冒涜心かも?)を駆り立てる内容。
    一般人が足を踏み入れてはならない本当に存在する場所。
    行けるけれど誰もなんとなく触れなくなった場所。
    この世に存在しない場所までいろいろな「禁足地」について書かれている。

  • ただただ怖がらせるだけの内容ではなく、取材に基づいた事実がメインの本。
    怪談としてはあまり怖くはない。
    しかし、ルポルタージュとしてはなかなか読み応えがあった。
    この人の怪談はあまり嘘や誇張が多くないように感じるので一度怪談を聞いてみたい。

  • 「禁足地」・・・なんとも言えない背徳なイメージと,
    うっすらとしたロマンを感じ手に取りました。
    (立入禁止場所)とは違う、響きになんとも期待感が膨らみます。
    著者は怪談研究家とのことですが、古代の事案について民俗学的なアカデミックな考察を進め、またネット版怪談話においては、現代のネットだからこその流布・展開を考察され、納得できる内容でした。
    近所の「禁足地」を探してみたくなるような一冊です。

  • ネットで見かけて。

    あまり学術的ではなく、
    どちらかいうとミーハーなにおいもする、
    禁足地談義。

    禁足地と半アウトローは相性がいいとか、
    禁足地は異界であり、
    異界に行って帰ってくる疑似行為として
    イニシエーションを行っているのではないかとは、
    面白い指摘もあった。

    対馬にある禁足地「表八丁」では、うっかり石塔を見てしまった場合、
    履いていた草履を頭の上に乗せ、
    「インノコ、インノコ(猪または犬の子の意)」と唱えながら後ずさりしないと命を失うと言われている、とあった。
    いやいや、神様はそんなことではだまされないでしょ、と思ったが、
    そうやって人が畏れや敬意を示せば許してくれるのかもしれない、神様は。

    それと、壱岐島の北の無人島、「ケンの池」と呼ばれる池には、王と王妃の財宝が隠されたという伝説があるそうだ。
    宝を求めて池を覗き込めば、
    その中心に本人がいちばん欲しいものが浮かび上がり、それを取ろうと手をのばせば水底に引きずり込まれてしまう、ということだ。
    自分なら、そこに何を見るのだろう。

  •  足を踏み入れてはいけない禁足地をまとめる。

     宗教上の理由や天皇陵、将門の呪いからもはや理由がはっきりしないものまで非常に多種の禁足地を取り上げている。カラーではないが写真も多くそれぞれの禁足地の雰囲気が味わえる(訪れることができない場所はその近くまでだが)。
     最後にはいわゆる心霊スポットや都市伝説まで。でもそこに突飛な感じはなく、ある意味では心霊スポットも現在進行形でつくられている禁足地のようにも感じた。最後のネットの噂話のエピソードでは禁足地はもはやどこだか分からないどこかへと変化しているのかもしれない。

     様々な禁足地を知りながら禁足地とは何かを考えさせる一冊。 

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著者プロフィール

怪談研究家。1980年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、ライター・
編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、
オカルトや怪談の研究をライフワークに。テレビ番組「クレイジージ
ャーニー」では日本の禁足地を案内するほか各メディアで活動中。
著書に『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)、『オカルト探
偵ヨシダの実話怪談』シリーズ1~4巻(岩崎書店)、『怖いうわさ 
ぼくらの都市伝説』シリーズ1~5巻(教育画劇)、『恐怖実話
怪の残香』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』
(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。

「2022年 『現代怪談考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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