- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620210339
感想・レビュー・書評
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「故人にゆかりがある食べ物に反応するのは、なにを意味しているのだろうか。
確かに生きていた。生きて何かを食べていた。
その人が生きていたことの証明であるような気がするのかもしれないのであった。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
このエッセイのDTPは、行間をかなり多めにとっている。叔父、そして著者の父との永遠のお別れ。語り尽くせない思い出が、その行間にあるような気がする。父の最期を看取れなかった著者だが「父の人生だった。……わたしを待っていてほしかったというのは、おこがましい」という部分が印象的。
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叔父と父の死を中心にしたエッセイ。
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オトーさんという男を読んでこの本に出会った
おこがましいけどオトーさんの思い出を共有してる気分になった
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自分にもお父さんがいて、不器用で、若い時なんかは特に怒りっぽくて癇癪持ちで、、(悪口しかでてこん)
定年した今は旅行一緒に行くと本当に嬉しそうで
娘を楽しませてることにドヤ顔になってるから
それが面白くて、こっちも嬉しくなって
でも旅行行くのもあと何回なんかなぁって思ったりもして
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年齢重ねるたびに後悔って増えていく -
去年選書していただいた本を時々ふと思い出したように読んでいる。今日は手元に図書館から借りている本もなく、思い出したように手に取った。タイトルに惹かれたのと、電車の移動時間に読めるような短編集であることがきっかけだった。
電車に乗って本を開いた。
「叔父が亡くなった。」その文章から始まっていた。
奇しくも、自分もおじの(正確には母にとっての叔父なので、私はおじさんという意味でのおじなのだが)葬儀に月曜日出たばかりだった。コロナもあって闘病していたおじに移したら大変だと、数年会っていなかった。
母は姪だが、私は更にその娘と、想い出がたくさんあるわけではない。それでも私にもいくつか明確な私だけの、嬉しく優しい想い出があるそんな人だった。
先月末には別のおじを亡くしていて、喪服をクリーニングに出し、暫くは着ないかななんて思っていた矢先だった。闘病していたし、高齢だったから覚悟はしていた。だけど、祖父からいつもかかってこない電話があった瞬間に、「ああおじさん亡くなったのか」とピンときてしまった。
この本に書かれているのは、身近な人を亡くした人が全て体験することなんだと思う。
淡々としている文章の中に、自分がいる。
この先もきっと身近な人間を亡くしていくのだろう。
そしてそのたびに、悲しみながら、毎回数か月して、数年して、
「振り返ってみれば、どんな言葉も時間ほどの力は持っていなかった」
と思いながら、生きていくのだろう。 -
この先自分にも確実に訪れる出来事、自分だったらどんなことを思い出すかなとかいつもの日常を大切にしようとか、そんな事を考えながら読みました
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大切なものをなくしてしまった時に寄り添ってくれ、1冊本棚にあると安心するようなお守りのような本。
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1話目から泣ける
バッハが良いなと思ったものを時代も国も超えて、今の私が良いと思えるのって素敵だって書いてあって、すごく納得した。この考え方を忘れたくないなと思った -
誰もが自分の人生を生きている。誰もがいつか直面する親の死。考えないようにしているけど、私にもいつか必ず直面する そう思って読んでいた。
そうなってああしておけば良かったこうしておけば良かったと思わないために、素直にめんどくさがらず生きるのて難しいよなあ。
本書の中で共感と自分だけじゃなかったんだと安堵した一文。
自己啓発本 強い心になって傷つかず生きていきたいのである 何冊読んだところで相変わらずズタズタに傷つき深夜のデニーズにいるのだ。