- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622077534
感想・レビュー・書評
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雑誌"Wired"の創刊編集長のケヴィン・ケリーによるテクノロジーの「進化論」。
テクノロジーの総体、システムを「テクニウム」と名付けて、それが生物の進化同様の動きをしていることを説明するにとどまらず、物質や宇宙の進化、生命の進化、そしてテクニウムの進化を一つの進化の大きな流れとしてとらえる。
ダーウィンの進化論にもとづきつつも、それ自体がある種の目的性というか、方向性をもっており、かならずしもランダムな変異と淘汰だけのものでないと論じている。
ここは、議論が分かれるところであろうが、著者は、神秘的なものではなくて、複雑系的な秩序が自己組織化し、一定の方向感をもって、進化することを主張していて、結構な説得力がある。
もっとも、技術自体については、日頃、あまり考えていないので、議論として実感をもって理解できないところもあるので、主張がどのくらい説得力があるのかは、わたしにはよくわからない。
そして、そうしたテクノロジーと人間はどう付きあうのかが、もう一つの大きなテーマ。著者は、過度な悲観論にも、楽観論にもよらず、一定の距離をおきつつ、テクノロジーとつきあおうという感じかな?
というと当たり前の結論ぽいけど、途中で、アーミッシュのコミュニティのテクノロジーとの関わり方の話しが、結構、丁寧に記述されていて、彼らがなんでもかんでもテクノロジーを拒否しているわけではなく、一つ一つをじっくりと検証しながら、どうそれと向き合うか時間をかけて考えているというところが、とても印象的だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すでに面白い。テクノロジーやクリエイティブに対する捉え方が柔軟で新鮮。社会の動向を描いた本の中でも何歩も先を行く内容だと思う。
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テクノロジーの発展の背後に潜むテクニウムをこれまでの歴史の中核に据えて論じてある。テクニウムは自律した方向性を持っており、それにより長い目で見れば自己組織的に発展している。テクノロジーの発展は我々の進化と通底するものであり、これからテクノロジーはまさに何者になっていくのだ。
現代の主流の科学とはあいなれない部分のある理論であると思ったら。根源的なところから振り返ってみると、テクノロジーが独自の方向性を望んでいるというのもわからなくもないと思った。
テクノロジーの発展は人類全体に可能性のある可能性を提供できるという点で自分の目指す道かもしれない。 -
人類は様々な技術を駆使し発展を遂げてきた。その歴史の中で、状況に応じまるで生物のように進化を続けているテクノロジーの変遷から垣間見たその畝りをテクニウムと定義し、過去から現在の流れを俯瞰する事で良き未来を見据える。重厚な展開に深い感銘を受けた。良書。
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テクノロジーの本質について、生物の進化史を敷衍しながら解き明かす革命的名著。テクノロジーを動詞的で「生命を持った精神」と措定し、その普遍的構造や進化のベクトルについて詳らかにしていくプロセスは圧巻の一言に尽きる。ケリー氏の慧眼にただただ瞠目。
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読みました。生命という現象は、水と有機化合物を混ぜ合わせただけのものではない。同じように、テクノロジーも単体で見るのではなく、それらの生成や進化の過程、他の技術や人間、環境との関連性をふまえた「テクニウム」という概念で見ないと、その未来や評価を正しく見ることはできませんよ、という話。
著者のケヴィン・ケリーはWiredの初代編集者で「ホール・アース・カタログ」の編集もやっていたような、デジタルヒッピーの元祖みたいな人なので、なんかところどころ「なにかをキメているのではないか」と思うような主張や表現も出てきますが、なかなかおもしろい視点を得ることができます。
アメリカで大ブレイクしたこんまりの片付けの魔法とやらも、この文脈なんだなーと思った(小並感 -
ちょっと難解かも。でも読む価値はある。
結局3回借りてやって読み終えた。 -
テクノロジーの総体をテクニウムと呼ぶ。テクニウムは自己増殖する。
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ジュンク堂で見て
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再読。蓄音機は死にゆく人が遺言を吹き込むため、ラジオは地域の農民に教会の説教を伝えるため、インターネットは危機状態でも使える予備の通信として当初は発明されたとのこと。実際に使われ、評価され改良され再設計されることで、発明された当初の意図とはかけ離れた使い方が現在ではされている。どちらかといえば正反対の分野で。そこがなんとも面白い。
その人を形作っているのはその人が今までにどんな選択をしたかということ、選択の余地が広くなることが進化であるということ、人間としての使命は、その選択肢をほかの人のために広げてあげること、か。なるほどー。