建築の難問――新しい凡庸さのために

著者 :
  • みすず書房
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622089797

作品紹介・あらすじ

「わたしが考える建築は、建築の原型へ遡行していくようなある種の〈普遍的な凡庸さ〉を求める傾向があります。かつてはその先にある姿形を〈素形〉と呼んだことがあります。一方で、建築はそこに存在しているだけでいやおうなく何かを表明してしまいます。すなわち〈表現すること〉と無縁ではいられません。ここに表現者として個人の問題が生まれてきます。
つまり〈凡庸さ〉とは匿名性のことで、〈個人〉とは作家性のことです。このせめぎあいに、心ある建築家なら誰でも苦しんできたといってもよいと思います。そしてわたしの場合、より〈凡庸さ〉に近いところに位置するのが問題なのかもしれません。だから〈個人〉の作家性を至上とする建築界とは距離ができてしまうのです。
問いかけられる難問に答えることで本書で挑もうとしているのは、その垣根を乗りこえることです。わたし自身の思考を俎上にあげて再検証し、その作業を通してふたつの異なるOSを橋渡しする新たな回路を模索することです。それは建築に対する世のなかの誤解を解くことにつながるかもしれないし、閉じられた建築の価値に風穴を開けることになるかもしれません」
建築・都市・土木の分野を自在に往還、3・11以後は三陸の各種復興委員会に名をつらねた著者によるラディカルな建築論、渾身の問答集。聞き手・真壁智治。

感想・レビュー・書評

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  • p.224
    凡庸さから逃れるための小さな差異

    答えを見つけることではなく問い続けることが目的のInfinite Game;雑談に近い行為

  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000114929
    学外からのアクセス方法は
    https://www.lib.muroran-it.ac.jp/searches/searches_eb.html#mel
    を参照してください。

  • 大好きな内藤廣さんの本。自分が小学生のときに、自宅の建て替えということがあって、その際に、僕はミサワホームのプレハブがいいって言ったんだけど、その案は採用されなかった。プレハブって言葉のちょっと未来な感じへの憧れとか、モジュール構造への憧れみたいなのはこのころに培われたのかもしれない。レトロフューチャー的な(古!)未来の人間が住むのはこんなところなんだ。というイメージ。内藤さんがそこに切り込んでいるところが面白かった。日本のプレハブはすげえいいんだけど、クローズドシステムとなって、しかもプレハブによるコストダウンが全部住宅メーカー側に行っちゃったのがまずい。みたいな論評とか。あとは、建築家は意思と重力、公と私をつなぐ特権的な位置なんだみたいな話だとか。東大の都市工学は結構安保の中心だったとか。そうか、バウハウスとか、そういう尖った感じで都市工学と左翼が結びついてへんな方向に行っちゃったりしたのかも。そしてそこには磯崎新のアジテーションとかが絡んでたりするのかも。東京オリンピックってのが、やっぱあのころの中心だったんだろうねえ。なんてことを思う。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50251730

  • 【配架場所】 図・2F開架図書
    【請求記号】 520.4||NA
    【OPACへのリンク】
     https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/456046

  • 好きだなぁと思う箇所もあれば、なんだかなぁと思う箇所もあり。
    たとえば、相変わらず小難しい、観念的な話を志向していたり、それを(そういうものだと)譲らない感じさえもあったりする。「不親切な本です」なんて言わないでほしい。
    あるいはまた、やはり相変わらず二項対立を持ち出して自身の側を正当化したり、
    (建築界は置いておいて)政治や官僚の批判をしたり。。。ザハの案の撤回なんて政治のせいというよりは建築界のだらしなさのせいでしょうという気もするし、復興だって、官僚は何も考えていなくて(予算執行と法律順守しかできないときいて唖然とした)自分たちしかできないと言いたげで薄気味悪い。
    (渋谷駅や復興公園のことで語られている、委員をやっていた立場から急にプロジェクトの受注にまわるというプロセスも、気持ちよくはないよなぁ・・・)

    歳をとったからという面もあろうが、ただとりとめのない雑談をしているようにもきこえるなぁ。

    一方で、性悪説に基づく「契約関係」ではなく、(「和解」と内容はよんでいるが)人と人の関係とか、利他を――キリスト教や内村鑑三や、山形の本間利雄や、あるいは國島教授が土木の美徳として語ったのを持ち出したように――志向する様子は、我が意をえたりという感覚だった。
    人々に愛されること、むかしかたあったような気がすると言われるのを好む姿も、少し新鮮だけど、嬉しい感覚(本当はすべてがすべて愛されている訳でもないのかもしれないが)。

    建築による(敷地をこえた=リーディングプロジェクトとしての)良い波及効果とか、建築や土木や都市の連携といった普遍的な不変的なテーマも共感。そういう意味では、読んでよかった。

    土木は五十年、百年先を考えて作らなければならない(ということは、世界の進み方を考えると、その二倍とかあるいは千年前のことを創造しなければならない)というのにはハッとした。
    また、ハードだけでは自然災害には対処できないから流域管理も必要というのを、東日本の経験のなかから語られていて、やはりだからこそ東北にそういう考え方の下地があるということかもなと思った。
    あと、アアルトのマイレア邸はやはりいつか行きたい。

  • 土木発注の不可解さ。
    橋を一ついくらで発注を、有識者が普通に話す。
    ビジネスとしてありえないですね。会計監査を入れてしっかりと行って欲しいものです。税金の無駄遣いですから。

  • 建築、都市、土木を繋ぎ、都市への解放を実践する人物とし、重要な建築家。渋谷のまちづくり調整会議の副議長や、福島の復興にも現在進行形で歴任。
    特に都市への視座として、土木と建築の制度の問題や、市場の中の位置付け、建築家とその周辺についても語られている内容。

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著者プロフィール

1950年神奈川県横浜市生まれ。建築家。1974年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学院理工学研究科にて吉阪隆正に師事。修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、2002-11年、同大学教授、2007-09年、グッドデザイン賞審査委員長、2010-11年、東京大学副学長。2011年、東京大学名誉教授。建築作品に海の博物館(日本建築学会賞、吉田五十八賞、芸術選奨文部大臣新人賞)、安曇野ちひろ美術館、牧野富太郎記念館(村野藤吾賞、毎日芸術賞)、倫理研究所 富士高原研修所、島根県芸術文化センター、虎屋京都店、静岡県草薙総合運動場体育館、富山県美術館、高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設(芸術選奨文部科学大臣賞)、東京メトロ銀座線渋谷駅など。著書『素形の建築』『構造デザイン講義』『環境デザイン講義』『内藤廣と若者たち』『内藤廣の頭と手』『形態デザイン講義』『内藤廣の建築1』『内藤廣の建築2』『内藤廣設計図面集』『空間のちから』ほか。

「2021年 『建築の難問 新しい凡庸さのために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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