ピョートル大帝: 西欧に憑かれたツァーリ (世界史リブレット人 57)

著者 :
  • 山川出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (88ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634350571

作品紹介・あらすじ

西欧化に向けて大きく舵を切り、帝政ロシアの礎をきずいたピョートル大帝は、自らを「国家の召使」と自覚する「近代人」であった。だが彼はいかなる法の制約も受けることのない専制君主であり、改革は大きな犠牲をともなった。サンクト・ペテルブルクは改革のシンボルであるが、伝統的なモスクワの人々の心性と大きく乖離していたのである。本書では大帝の諸改革をとおして人間ピョートルに肉迫することにしよう。

感想・レビュー・書評

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  • 事実描写メインで、特にドラマティックさを求める対象ではないです。大帝のリーダーシップを学ぶには別の書が良いでしょう。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    ピョートル大帝の名前は聞いたことがあるが、その功績はほとんど知らなかったが、ロシアの大国化の礎となった人物だったということがよく分かった。
    一代で改革を進めたことによる軋轢は多かったようだけど、一度は進めてしまった改革はかなりの部分でそのまま残り、ロシアは近代化していったようだ。

  • ひげに税金をかけた名君。ロマノフ王朝を西欧近代化した名君。変装して外国視察に侵入した君主。おもしろ君主。


     古く凝り固まった悪弊を壊す人が歴史には必ずいる。ピョートル大帝もその一人である。その人を取り上げた薄い本。

     出自は庶子であり、跡取り問題でいろいろあって、さらに自分の子供の跡継ぎ問題も起きている。色々人生経験も豊富で、だからこそいろいろ思い切ったことができたのかなとも思う。日本で言えば傾奇者(カブキモノ)だね。

    ____
    p19  お雇い外国人はクズ
     当時のロマノフ王朝ではお雇い外国人を高給で招いて、西欧の法や政治の制度、技術全般を導入しようとしていた。しかし、お雇い外国人というものは二流三流のバッタモンが多い。一流の知識人は安定した地位を降りて後進国で波乱の生活に魅力を感じるわけもない。また、重要人物を国家がそう簡単に手放すはずもない。
     彼らお雇い外国人はクズ呼ばわりされた。日本の明治維新の時代もそう変わらない。二流三流の技術を何とかして駆使して進化させるが後進国の宿命である。

    p25  カール12世の猶予がロシアを近代化させた
     北方戦争でロシアはスウェーデンに初戦敗北した。カール12世はロシアは後回しにしても大丈夫と判断したのか、ポーランドなど周辺国から落とし始めた。
     この間にピョートルは敗れたスウェーデンの軍制や軍略を研究し、捕まえた捕虜から新たな技術を学び、近代化の歩を止めることはしなかった。その結果、ウクライナの要塞ポルタヴァで決戦し、勝利した。長い戦争で疲弊していたとはいえ、スウェーデン軍に勝利しピョートルは大喜びし、敵を「我らの良き教師」と讃えたという。
     この戦争は二スタット和平条約で終わり、ロシアはバルト三国を手に入れ、バルト海への窓を手に入れた。この功績を認められピョートルは元老院から皇帝(ツァーリ)の称号を贈られ、この時から帝国を名乗るようにあった。

    p33  徴兵制の対象
     ピョートルは新たに徴兵制を導入し、全国の村々から20世帯につき一人というように成人男子を徴収した。村では最初はくじ引きなどで決めたが、そのうち、村の怠け者や大酒のみ、経営のヘタな借金持ちなどむらのならず者が追放者として選出されるようになった。当時の納税は村単位で行われ、ダメなやつの分は周囲が補わなければならなかった。領主も村の生産性を高めるためにこの方法を推奨した。

    p36  ピョートルは親貴族的
     ピョートルは出自より能力を重んじるという開明的なイメージがあったりするが、そうではない。平民を抜擢する例もあったが、貴族諸侯を要職につけることを基本とし、貴族は教育・教練を修めたもの以外は自立させないという規則も作りリーダー教育にも力を入れた。貴族の官等表という役職の階級差を付けて貴族の職業意識を高める方策も取り入れた。とにかく、国家運営の中心は相変わらず貴族階級であった。

    p36  平和は戦争より危険である
     当時のヨーロッパは弱肉強食の社会であった。デンマークのある政治家は「平和は戦争よりも危険である」と表現した。ピョートルも同様に考え、戦後も軍隊を解散させることはなく、膨大な軍隊維持の費用を捻出することに苦労した。そこでピョートルは人頭税を導入した。

    p44  ピョートル=ペテロ
     ロシア語でペテロ(キリストの使徒)はピョートルである。サンクト=ペテルブルクはピョートルの町である。そう、ピョートルが作ったのである。モスクワという従来の首都を離れ、北方の暮らしづらいペテルブルクに遷都したのである。跡取り問題で血を争う闘争を繰り広げた確執深きモスクワからの脱出。海外留学で学んだ、外国的都市へのあこがれ。これらの思いがあったのではないか。

    p72  息子との確執
     息子のアレクセイは開明的な父とは対照的に、軍事書よりも信仰書を好むような浮世に秀でた性格で、跡取りとして難を抱えていた。アレクセイは父のもとから家出して海外逃亡もした。ピョートルはこれを外国と組んで王位転覆を企てたと疑い、息子を拷問する羽目になった。アレクセイは拷問に耐え兼ね陰謀を自白した。アレクセイは死刑が宣告されたが、過酷な拷問でその前に獄死した。
     アレクセイの父への反発は、ピョートルの近代化に反対する勢力の後援を受けた。それもあって、アレクセイ事件では反近代化勢力の存在とその排斥の問題にもつながった。

     その後、ピョートルの跡継ぎは一人残った幼いペトロヴィチに決まったが、幼く死んでしまった。直系男子を失ったピョートルは新しい後継制度を作る。

    p79  ロシアの女帝はピョートルから
     ピョートルは後継者問題の対処として、「帝位の譲渡は統治している君主の意志に基づいて、彼が望む者に相続させる」(男女は問わない)とした。
     これによって、次の王が皇后のエカチェリーナ1世になった。

    p83、85  近代化の考察
     ピョートルの近代化が成功したのは「農奴制」「専制」という後進性が色濃く残っていたからでもある。
     ピョートルが受け継いだ「強い専制権力」「国民を一斉に徴用できる農奴制」これがあったから一元的に軍制や税制を改革できた。議会制という漸次的にしか政治が動かない社会ではこんなスピードで改革はできない。

     この農奴制が終わるのはクリミア戦争敗北後だが、本当の近代化はそこからである。

    p86  ヒゲ税
     海外視察から帰って、まず、貴族のひげを切った。

     伝統への挑戦状、絶縁の鋏入れ。

    ______

     薄い本だったから深く踏み込んだストーリーはなかったが、掘り起こせばもっと武勇伝に満ちた人のような気がする。

     海外視察では間違いなく面白いことをしまくっているはず。興味あり!!

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著者プロフィール

1947年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。現在、一橋大学名誉教授。訳書、クリュチェフスキー 『ロシア農民と農奴制の起源』 未来社、1982年。著書、『岐路に立つ歴史家たち―二十世紀ロシアの歴史学とその周辺』 山川出版社、2000年。

「2010年 『V・O・クリュチェフスキー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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