ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-12)

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  • Amazon.co.jp ・本 (516ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750514420

作品紹介・あらすじ

レイプ犯の8割以上が、顔見知りである。

モンタナ州第2の都市、ミズーラ。
この町のシンボルは、15,000人の学生が通い、800人以上の教員が勤めるモンタナ大学である。
同大学のアメフトチーム「グリズリーズ」は、市民たちの誇りでもあった。だが、2010年から2012年にかけてグリズリーズの選手たちが引き起こした複数のレイプ事件が明るみに出ると、静かな大学町の空気は一変する。
被害者への誹謗中傷、理解を示さない警察、事件を不起訴にする検察、加害者の特権意識、世間の偏見……なぜ加害者は町ぐるみで守られるのか。なぜ被害者たちが、捜査と裁判の過程でセカンドレイプに苦しまねばならないのか。
詳細なインタビューと丹念な取材を通して、レイプスキャンダルの真相と司法制度の矛盾に斬り込む、全米ベストセラーノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 断言できる、2017年に読むであろう本の間違いなくベスト3に入る傑作ノンフィクション、これが本書「ミズーラ」である。

    舞台はアメリカ、人口7万人でモンタナ州第2の都市であるミズーラ。この街で1.5万人の学生を有するミズーラ大学のアメフトチーム「グリズ」は市民の最大の娯楽であるが、このアメフトチームのメンバーにより相次いで女子学生へのレイプが引き起こされる。

    しかしながら、「素晴らしいスポーツマンがレイプなどをするわけない」という狂信的な市民の反応を背景として、大学・警察・検察の怠慢により、犯人の男子学生は罪を逃れ続ける。そればかりか、弁護側の卑劣な尋問により、被害者の人格までもが攻撃される「セカンドレイプ」とも呼べる事態が引き起こされる。

    著者のジョン・クラウワーは、緻密な取材を元に、ミズーラで起こった一連の不正義を明らかにしながら、それが決してミズーラという街の特殊性に起因するのではなく、アメリカという国家に存在する社会的な問題であるということを暴きだす。

    何せ、ある調査によれば、アメリカ疾病予防管理センターの調査によれば、アメリカ人女性の19%がこれまでにレイプ被害を受けたことがあるとされているのだから。また、別の調査によれば、8割以上は顔見知りによる犯行であり、その被害のほとんどは表面沙汰にならない。それはミズーラで現に起こっていたように、レイプ被害者に不利な司法制度に基づく高い犯人の不起訴・無罪率、司法過程でのセカンドレイプという問題があるからである。

    実際、直近では大学のスポーツ選手によるレイプ事件は何もアメリカに限ったことではない。私自身の母校でも過去に同様の事件があったし、近年では千葉大学での事件が記憶に新しく、決して他人事ではない。

    本書には、こうしたレイプの再現や、愚劣の極みとも呼べる裁判、被害者の心的外傷など、読み手にとっても辛く生々しい叙述が多いが、レイプがいかに被害者の人権や尊厳を傷つけるものであるかを理解することができる。その点で、男女問わず、多くの人に読まれるべき一冊。

    そうそう、男性だからレイプ事件の被害者にならないわけではない。前述のアメリカの調査では、男性の1.7%も一生のうちにレイプ被害にあうそうである。

  • いつも思うが、クラカワーは妙なところに突っ込んでいくな。
    性犯罪の犯罪立証の難しさ。男性と女性の認識のずれ。
    スター選手、トップカーストであるところの男性の傲慢さ。
    それを男性筆者が取材して書くというのに、意味があると感じた。

  • ☆モンタナ州ミズーラにおけるグリズリーズの選手による複数のレイプ事件に迫る

  • 『荒野へ』で知られる作家クラカワーが、自身のごく身近に蔓延していながら知ることのなかった性暴力の重大さに衝撃を受け、モンタナ州ミズーリの大学町で頻発するレイプ事件を取材した。町で英雄視される大学アメフトチーム選手たちからレイプ被害を受けた若い女性たちは、信頼していた相手に傷つけられたショックを早く忘れたいという気持ちと、このまま訴え出なければ次に誰かが犠牲になるかもしれないという恐れの間で苦しみ、勇気をふりしぼって警察に届け出ても、しばしば訴追は行われず、あるいは著しく軽い処分しかなされず、そして非常に多くの場合、誹謗中傷に苦しむことになる。本書は、被害者や家族へのインタビュー、裁判の傍聴などを通して、被害者が正義をかちとることがなぜこれほど困難なのかを明らかにしていく。
    筆者が強調するように、レイプとは見ず知らずの男に暴力的に襲われることである、行為を本気で嫌がっているなら大声で助けを求めるものだ、相手をその気にさせておいて拒む女に責任があるといった「レイプ神話」は、アメリカでも日本でも、多くの性暴力被害者を沈黙させ加害者を無罪放免にしてきた。特にミズーラのような町で、人びとが誇りとするような優秀なアメフト選手を性暴力加害で訴える被害者たちは、前途有望な青年たちの将来を破壊する加害者のように扱われてしまう。
    このような性暴力被害をとりまく人々の関係や感情を生き生きと描き出す一方で、本書があきらかにしようとしているのは、性暴力を裁く司法制度の問題であるということは明確に意識されておくべきだ。刑事司法手続きとは根本的に国家対加害者の問題であって、被害者の権利保障は優先事項ではないということが、特に偏見にさらされやすい性暴力被害者たちを非常に苦しめることになってきた点は、日本も同様である。
    しかし、日本とアメリカとの間の法・実践における重要な違いは無視できない。そのひとつは、明確に合意のないセックスは性暴力なのだということが、少なくとも法規範上は明確にされているという点だ。一緒の部屋でビデオを見ながらいちゃついているうちにレイプされてしまった事件など、日本の刑事手続きではあくまで加害者の主観が判断基準とされているがゆえに、訴追される可能性は最初からほぼ排除されてしまうだろう。この違いが、正義を求める個々の被害者たちにとってもつ意味が決して小さくないことは、本書を読むとよくわかるし、日本でもまずは「合意なき性的接触は性暴力だ」という原則を法原則に位置付けることがなによりも不可欠だとあらためて思う。
    さらに、アメリカ司法省が、各州の検察局による訴追実践や警察による捜査実践を組織的にモニタリングし改善を促すメカニズムを持っていることが、問題を改善していくうえで非常に重要な役割を果たしうることがわかる。これは日本においても重要なヒントになるはずだ。また、アメリカのキャンパスレイプほどではないとはいえ、日本でもキャンパスセクハラは重大な問題になっており、刑事司法とは異なる基準から、被害者の権利保護に重点を置いた調査と処分のメカニズムをどのように機能させるのかも非常に参考になる。
    本書が日本語に翻訳紹介されたことは意味があるけれど、性暴力の問題に関心があっても刑事訴追の基本的なしくみであるとか、日米の重要な制度上の違いについては知識のない読者が少なくないだろう。せめて訳者解説の中でもかんたんに解説をつけておくべきだったと思う。そこはかなり残念。

  • 先行の世代の頑張りのおかげで、ある程度の恩恵を最初から享受できた世代なせいか、フェミニズム関連の運動には個人的にはあまり関心が持てない。その手のテーマの本も読んだ記憶がない。
    それでも、昨今、逆風覚悟で頑張って声を挙げている Me Too Movement を応援したい気持ちは普通に持っておりますし、かつ、この間も何やらくだらない発言をしていた杉田某議員みたいなミソジニストたちはまとめて殺虫剤でも噴射して殲滅してやりたいくらいの気持ちはございます。
    ということで、たまには苦手なテーマについて考えるのも良かろう、と思い、この本を読んでみた。
    例によって渡辺由佳里さんがおすすめされていて、興味を引かれたので。

    図書館で予約して届いたのを取りに行ったら、やたら分厚くて、一瞬げげっ!となったが、あっといういう間に読み終わった。これはもう著者の筆力が素晴らしいからに他ならない。
    ノンフィクションなので、登場人物がどうしても多くなるし、対立項が一つじゃなかったりしてややこしいのだけれど、全然混乱せず、また途中で飽きもせず、まっすぐに問題の焦点へと導かれていった。
    素晴らしい、の一言。
    この著者は自然をテーマにした本も書かれているようなので、ぜひそれもそのうち読んでみたいと思った。

    タイトルのミズーラというのは、町の名前。
    この町のシンボルであり、誇りでもある大学のアメフトチーム「グリズリーズ」の選手たちが2010年から2012年にかけて引き起こした複数のレイプ事件を取材した本である。
    選手たちは町のスターだから、被害者たちの訴えは一様に「フラれた腹いせに言ってるだけだろう」などと言われて信じてもらえない。加害者は町ぐるみで擁護され、警察に訴えても、ほとんどが起訴されない。

    ・・・と書くと、被害者の女性にとって、かなりひどい状況に思えるけれど、日本人の私の目から見ると、この状況でも、日本よりはるかに進んでいると思った。正直、驚いた。
    まず指定病院のレイプ被害に対する体制はかなり整っていると思ったし、途中で批判を浴び、改善に取り組んだモンタナ大学の対応はとても素晴らしかったと思う。
    (まあそれでも被害者救済は一筋縄ではいかないわけですが)

    公判まで持ち込んだ2件のケースのうち、1件は、おそらく日本では起訴どころか、まともにレイプだと取り合ってもらえないような気がした。
    というのも、被害者は別の日のパーティで「いつでもヤるよ」と加害者を誘うようなことを言っており、レイプされた日も、自ら加害者を部屋に招き入れ、上半身裸にされても特に抵抗せず、途中まではキスしたりいちゃいちゃしていたという。

    もちろん、このあと拒絶するのに押し切られてしまうのはれっきとしたレイプで、被害者には深い傷を残している。
    でも、紆余曲折はあったにしろ、ちゃんと起訴され、公判まで持ち込まれているのだから、「アメリカの人権意識、進んでいるなぁ。日本だと裸にまでなっておいてふざけるな、とか言われそう」などと考えてしまった。
    フェミニストに、「そこは感心するところではありません。あなたの考え方は論外です」と怒られそうだ・・・
    たしかに、届け出114件のうち、起訴されたのは14件だった(2008年~2012年4月までの間で)というのは、感心することではないけれど。

    アメリカの司法がこれらをどう裁いていくか、も2件の事件を通して詳細に述べられており、とても興味深く読んだ。
    何が焦点となっているか、制度の問題点は何か、が非常に分かりやすい。
    陪審員を務めた人のインタビューもあり、なぜその判決だったのかも理解できた。
    ここに来るまでの道のりは被害者側にかなり厳しいものがあったと思われるけれど、この裁きの場は私には非常に公平だったように思えた。
    このあたり、多くの人に読んでもらってぜひ感想を聞きたいところ。

    加害者にどんな処罰が適当か、という問題については、担当の判事もかなり悩んでいたと書かれていたが、私も相当考えさせられた。
    私には結論が出なかった。
    上記とは別の1件(幼馴染の女の子が寝ているうちにレイプされた件)の求刑が「禁錮三十年、執行猶予二十年」(=服役十年という意味らしい)という部分を読んだ時の第一印象は正直に告白するが「えっ?そんなに?」だった。

    でも、じゃあどれくらいが妥当だったんだ、と言われると困ってしまう。やはり10年かな・・・
    本当に分からない。
    いろんな人の意見を聞いてみたいなぁ。

    レイプが他の犯罪と違って厄介なのは、被害者に与えるダメージが正しく理解されないから、というのはこの本を読んで非常によく分かった。

    「障害が残るわけでもないし、別に減るもんでもないだろ。輝かしい未来のある優秀な若い男子を、ちょっとハメを外したくらいで10年服役させるとかやりすぎだろ」程度のことに考えている人は(男女問わず)多いのではないだろうか。
    「トラウマとかすぐ言っちゃって大げさな」などと苦々しく思う人も多いかもしれない。

    しかし、そこは絶対に、大げさなんかではない、と言いたい。

    昔、私が新卒2年目くらいだったころ、終電を降りて会社の寮に帰る途中で、夜道を見知らぬ男に襲われたことがある。
    最初に言っておくが、全然怖くなかった。相手は高校生くらいの少年で、背格好が私と変わらないくらい小柄で、おどおどと手を伸ばしてくるのをカバンで払いのけていると、周囲の家の住人が気づいて「何してる!」と怒鳴って助けてくれた。男は昔の外国アニメの動物みたいにピューッっと逃げていった。
    男に凶暴な気配があまりなかったせいか、最初から最後まで、まったく恐怖はなく、1週間後には忘れていたくらいの私にとっては大したことのない出来事だった。

    だがそれから5、6年たったころ、気づいた。

    誰かが走ってくる足音が背後に聞こえると、私は飛び上がるほど驚き、そして体が10秒くらい硬直するのである。それだけじゃなく、動悸もある。
    ジョギングしている人、はしゃぐ子ども、駅まで急ぐ女性、相手が誰だろうと、背後から走ってこられると同じ反応が起こる。体が激しく硬直する。嘘みたいに全く動けなくなる。
    結婚して、当時の仕事もやめ、夫の転勤ではるか遠くの場所に引っ越していたので、最初はそれが何なのかまったく分からなかったが、やがて、路上で襲われたことが原因だと気づいた。あの足音に似ているからだ、ということに思い至るまでずいぶん時間がかかったが。
    何度も言うが、本当に全然怖くなかった。それでも、こんな後遺症があるのか、と正直、自分でも信じられなかった。
    人の心というのはなんとヤワなのか、と。

    あれから何年もたち、症状はかなり和らいだが、いまだに少しあります。おかげで、ジョッガーが苦手。音がすると派手に振り向いてしまう。先に振り向いてしまえば硬直が防げるから。

    何が言いたいのかと言うと、つまり、なんの被害もなく、なんの恐怖も感じてなかった私ですらいまだに影響があるのだから、レイプ被害者がどんなトラウマに悩んでいるのかは、完全に想像を超えたレベルの激しい苦しみなんじゃないかと思う。
    そこは特に広く周知されるべきことだと思う。

    ということで、いろんな人の意見を聞きたいと思った本でした。
    教育的な意味で10代後半の男子には必読書にしてもいいかもしれませんね。

  • ふたりは小学校1年生の時からの付き合いだった。同級生だが、女性は
    男性を兄のように思い、男性もまた女性を妹のような存在と思い、お互
    いの家族のこともよく知っていた。

    長じて男性は大学のアメリカンフットボール・チームの花形選手となり、
    女性も彼の才能の開花を我がことのように喜んでいた。

    だが、ある夜を境に仲の良い幼馴染みのふたりは被害者と加害者として
    対立する関係へと大きく変化した。

    性的暴行事件の80%以上は見知らぬ相手ではなく、顔見知りによる犯行
    だという。本書がメインで扱っている事件も幼馴染みの男女の間に起き
    た事件だ。

    このふたりの事件を中心に据え、アメリカ・モンタナ州の第2の都市
    ミズーラのモンタナ大学アメリカンフットボール・チームの選手たちが
    絡んだいくつかの事件を追っているので、少々話が入り組んでいる。

    だが、共通するのは被害者が言葉に尽くせない苦しみを抱えていること
    だ。事件を自分の責任だと感じ、自分を責め、「あれはなかったこと」
    だと思い込もうとする。

    それが心理的にも被害者を追い詰める。そして、性的暴行の相手が地域
    が注目し愛する大学のスポーツ・チームの一因であることから、加害者
    側の言い分のみを盲信し、被害者が誹謗中傷される。

    読んでいてムカムカして来る。加害者の擁護者や弁護士は加害者である青年
    の未来を奪うのかって何だろうと思う。被害者にも未来があるんだ。多くの
    可能性があったのだ。それを奪った者の将来を考慮しろだと?性犯罪者は
    性犯罪者なのだ。その罪を問わずにいたら、同じような事件が起きない
    保証はない。

    何も極刑にしろと言うのではない。犯した罪は罪として、償うことが肝心
    なのではないだろうか。例え、彼がプロスポーツ界で活躍する可能性が
    奪われようともだ。

    告発した女性たちは苦しみ考え抜いて告発に至ったのだと思う。裁判とも
    もなれば思い出したくもない経験を証言しなくてはいけないのだから。

    それでも彼女たちが声を上げたのは、自分と同じような被害に遭う人が
    いないようにとの思いからだろう。

    大学での性的暴行事件を描いた映画のテーマ曲をレディ・ガガが歌って
    いるが、彼女もまら性的暴行の被害者である。「それが自分の身に起こ
    るまでわかるわけがないのよ」。曲の中でレディ・ガガは言っている。

    「レイプなんてほとんどが被害者側の嘘だ」なんてプロパガンダを信じて
    いる人たちに考えて欲しい。あなたの娘が、姉が、妹が、友人が被害者
    でも同じことが言えるだろうか…と。

    日本でも慶応大学の学生による集団性的暴行事件があった。被害者側が
    示談に応じて不起訴になったが、彼らが心から反省しているのかを問う
    てみたい。

    尚、アメリカでは性的暴行に対する最高刑は禁固百年だとか。仮釈放なし
    なら刑期満了まで生存している確率は相当に低いよな。

  • ジョン・クラカワーは作家、登山家、ジャーナリスト。into the wildの原作家でもある。
    Montana university があるカナダとの国境沿いのモンタナ州は、自然豊かな田舎町である。モンタナ大学のアメフト部はグリズリーと呼ばれ、街の人々から絶大な人気を誇り「街のみんなの息子」として愛されている。彼らは特権階級で、レイプをしても守られ、レイプされた女性の方が傷つけられ貶められる。

    この本は、傷つけられた女性が社会に立ち向かうことの難しさを描くとともに、男性と女性レイプの概念が全く異なることを描き出している。また、レイプという犯罪の特殊性(なぜ逃げなかった?なぜ声を出さなかった?なぜなかったことにしようとした?なぜ終わった後に彼を家まで送った?)が被害者への細やかなインタビューを通じて浮かび上がる。
    片方がNOと言ったのに続けたらそれはもうレイプである。しかし、それを証明するのは難しい。そしてそれを裁くのも簡単ではない。
    より多くの人にこの本を読んでほしい。そして声をあげた勇敢な女性に拍手を送りたい。

  • 有力なアメフトチームを有する名門モンタナ大学で起きたレイプ事件を緻密な取材で追った一冊。著者は本書を通じて、レイプがいかに残忍な犯罪であるかを、そして、被害者を言われなき偏見や迫害に晒されるかを描き出す。

    胸を締めつけられるような本書だが、被害者の訴えに疑いの目で見る人間が異性だけではなく、同性にも存在するという事実に、さらに本書を重く苦しいものにしている。

    「なぜ抵抗しなかったのか」──。そんな心ない問いを被害者に問い掛ける前に読むべき本である。

  • レイプ被害者に対するアメリカ人の冷淡さが印象的だが、日本でも同じような反応を示す人は多いだろう。ちゃんとした性教育がないとこうなってしまう。

  • ある性暴力事件を中心に、被害者の一次被害だけでなく、事件後の二次被害も克明に記される。
    著者の入念な取材、性暴力事件に関する資料、論文の読み込みから、いわゆる「レイプ神話」というものが、いかに間違ったものかを知らせてくれる。

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著者プロフィール

1954年生まれ。ジャーナリスト、作家、登山家。
当事者のひとりとして96年のエベレスト大量遭難事件を描いた『空へ』(1997年/日本語版1997年、文藝春秋、2013年、ヤマケイ文庫)、ショーン・ペン監督により映画化された『荒野へ』(1996年/日本語版1997年、集英社、2007年、集英社文庫。2007年映画化、邦題『イントゥ・ザ・ワイルド』)など、山や過酷な自然環境を舞台に自らの体験を織り交ぜた作品を発表していたが、2003年の『信仰が人を殺すとき』(日本語版2005年、河出書房新社、2014年、河出文庫)以降は、宗教や戦争など幅広いテーマを取り上げている。

「2016年 『ミズーラ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョン・クラカワーの作品

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