ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと
- 亜紀書房 (2018年5月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750515328
作品紹介・あらすじ
ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」とのフィールドワークから見えてきたこと。豊かさ、自由、幸せとは何かを根っこから問い直す、刺激に満ちた人類学エッセイ!
「奥野さんは長期間、継続的にプナン人と交流してきた。そこで知り得たプナン人の人生哲学や世界観は奥野さんに多くの刺激と気づきをもたらした。この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った。」
――関野吉晴氏(グレートジャーニー)
感想・レビュー・書評
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「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
奥野克巳(著)
2018 6/22 初版第一刷発行 (株)亜紀書房
2019 10/22 第五刷発行
2020 7/11 読了
長い変なタイトルに
民族学者の変な価値観で描かれている変わった民族のおもしろ話かと思って買ったけど
ちゃんとした話でした^^;
「熱帯のニーチェ」って題名で
亜紀書房のウェブマガジンに掲載されてた内容に加筆して発行されたらしい本書。
「熱帯のニーチェ」だったら読んでないな^^;
異民族、異文化に暮らす人類に興味を持って
調べて書籍にするなんて
本当に無粋だなぁ…と思うけどとても興味深い内容でした。
加速度的に熱を帯びて持論を展開する筆者に
引っ張られるように読んでしまったよ。
こんちくしょう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
立教大学で教鞭を取る文化人類学の著者がプナンという狩猟採集民族について書いた本。
プナンとは、ボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成る)に暮らす、人口約一万人の狩猟採集民である。彼らは今日でも、資本主義社会の一端に巻き込まれながらも伝統的な社会を持ち続けている。
本書で紹介される通り、彼らの生活は我々の生活と何もかもが違う。
プナンの社会には、「おはよう」もないし、「ありがとう」もない。「ごめんなさい」もなければ、時間という概念もない。ないない尽くしである。
プナンは常に生活をひとつの共同体で完結させているので、我々が使う交感言語(伝達機能を持たないが、一体感を生み出すような社会的な機能を持つ話し言葉)を使う必要がない。だから、「おはよう」「さよなら」という言葉がない。
プナンは死と隣り合わせの厳しい自然に生きているので、あらゆる物を分け合い、協力することが当たり前なので、プナン語には何かをもらったときの「ありがとう」にあたる言葉がない。
プナンは「反省」をしない。
共同体の中のだれかの過失でみんなが損害を被ったとしても、当人の能力や行動が追求されることはない。失敗は個人の責任ではなく、以後の共同体としてのおおまかな方針に反映されるだけだ。だから当人も反省することはない。「ごめんなさい」にあたる言葉もない。
上記のように、プナンの社会は我々の社会とはまったく似つかないものである。
どちらが良いとか優れているとかではなくて、根本の発想からして違っている。そしてそれぞれの社会は相手方の社会の在り方から学ぶことが多くあるだろう。
プナンが「反省」をしないのは、彼らに発展や向上を目指すという目的がないからだと著者は述べる。
なぜ反省が必要かというと、ある事柄において「次はもっと上手くやろう、効率よくやろう」という価値観があるからだ。この根底の発想がない以上、反省する必要がないのだ。
必要がないから、存在しない。これは自明だ。
このことは特に我々に示唆を与えてくれる。
資本主義の専制の下、我々の社会は断続的で際限のない発展を続けてきた。しかし、現在我々はその成長の限界を目の当たりにしている。顕在してきたあらゆる環境問題、倫理的問題は成長主義の限界を示している。
その中で、脱成長主義にシフトしていくためにはプナン社会の考え方がその一助になるのではないか。そう感じた。
本書は、まったく未知の社会のイデオロギーを紹介し、読んだ人に新たな視点を与えてくれる本だと思う。少し長いが、読んでみて損はない良書。 -
狩猟採集民だからといって
プナンは資本主義や物質を
否定してるわけではない
でも 価値観が違うのだ
ということを理解するのが 難しいですね
やっぱり 日本人の価値観が染みついちゃってるから -
おもしろい!
今思っている
「当たり前」のこと
食べること
ねること
あいさつをすること
すまうこと
まとうこと
かんがえること
なやむこと
気を遣うこと
働くこと
…
それらのことが
根底から覆されていく
その快感
むろん
それが「良い」とか「悪い」
とかの基準などでは全くない
「人間」が「人間」として
この地球の上で
この土の上で
生きていること を
新しい眼で
考えさせられてしまう
一冊 -
筆者がボルネオ島で狩猟を主生業とする民族プナンと一緒に暮らして考えたことの記録。プナンは人から物をもらってもありがとうを言わないし、失敗しても個人のせいにしない。物は個人のものにせずみんなのものとして扱い、親族が亡くなると早くその人のことを忘れるために近親者の人たちは一時的に名前を変える。つまり、私たちとは違うことだらけなのだ。この本を読んで改めて人って自分が培ってきた感覚のフィルターでしかものを見られないんだなあと再確認。でも、だからこそそれがひっくり返ったときに面白いって感じる。
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ボルネオ島の狩猟採集民プナン。遺族のデスネームは生前最も親しみを込めてその名を呼んだのは誰かってことなんじゃないだろうか。個に一切の責任を持たせない集団のあり方は興味深い
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なんかプナンは、「野生人間」ってかんじだな。
ほしいからもらう、ほしがってるからあげる、いらないからいらない。
強引なところも少しはあれど、基本本能のままに生きている。
対してわたしたちのような「囚われの人間」は、社会にも、法律にも、倫理にも、他人にも、お金にも…とにかく何もかもに縛られている。
どちらがいいとは言えないけど、プナンのいいところは積極的に取り入れて生きていけたらどんなにいいことか。だってプナンには、少なくとも著者が見てきた限りでは、こころの病気を患っている人がいないんだよ。それだけで取り入れる価値はだいぶあるんじゃないか。
とりあえず、取り入れられそうなものだけ抜粋
・誰がなんと思うのかなんて考えない
・著者が考えたみたいに、外からは反省してるように見えるけど実はまったくしてないみたいな姿勢(反省は見せかけだけでもしておいたほうがスムーズだとは思うから)
・要らないモノはただ要らないから要らない
常識や当たり前をとっぱらって、自由に考えて、強く、楽しく生きていきたい!
犬とかヤマアラシとかに関する直視できない部分もあって、ただ、いまも世界では当たり前のようにこれよりもっとひどいことがあらゆる動物(人間も含む)に対して起こっているんだなと、ふと考えてしまった。
わたしも命をいただいて生きているから何も言えないけど、でもせめて、なるべく出処がはっきりしたもの、または大切に育てられたものだけ買わせてもらおう・食べさせてもらおうと思う。
欲張らずに、必要なものを必要なだけもつようにしたら、人間はもう少し平和に生きていけるんじゃないだろうか。
とにかく、もういい加減、あらゆる暴力が世界から消え失せてほしい。 -
いやこれ、久々に脳ミソ揺さぶられた著作だった。反省することや感謝することがそもそも存在しない世界に生きるボルネオの狩猟採集民プナンと暮らした著者である人類学者が、軽妙な文体で現代に生きる、いや過去から文化的に生きてきたと思っていた人間の価値観を揺さぶり続ける。それが今も生きてるプナンの人々の暮らしの事実と、思いもよらぬ視点からの考察で、今の我々の生き方の根元に疑問を投げかけてくる。それは今の我々が間違っているというわけではなく、こういう考え方もあるよという可能性の提示であるので、イヤな気持ちにもならない。これは面白いものを読んだ。久々得した気分の読書だった。
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現代社会でがんじがらめになっている、そんな人たちが読んだら概念ぶち壊される、そんな本
国が違えば、価値観は変わる
時代が違っても、価値観は変わる
そんなことは知っていたけど、国どころじゃない、民族であっても、価値観は変わる
そういったことに何故気付けなかったのかと自分の思考回路の狭さに呆れ果てました
ニーチェも気になる、そんな作品 -
「ありがとう」は「よい心がけ」
反省の観念なく、ケチはもっとも悪いこと
いちばん貧しい人が居ればその人がみんなのリーダー
子どもを学校へ行かせる理由はない
狩猟採集したものはみなで均等に分かち合う
子どもはみなで育てる
私たちの息苦しい暮らし、人生を根本から揺り動かすサラワク州プナンの人たちの世界観と哲学
本書の最初のタイトルは『熱帯のニーチェ』 -
中盤、子どもの頃のエピソードが不快だったので途中で読むのをやめた。今どきこれはちょっとマズいんじゃないの。
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文化人類学をイメージするのに最良の入門書かもしれない。著者の具体的な経験や観察と文化人類学の学問的知見が、内容的にも文章的にも無理なく接続・展開されていて、とても面白く読める。プナンの人々の暮らしを経験することで、今の自分たちの暮らしの常識や価値観が相対化される様を、ニーチェの思想と結びつけて語るのも新鮮で、それはそれでなるほどと思わされる。「所有」「自我」「言語」等について思考実験でなくフィールドワークによってラディカルに探究していくことの面白さといったらない。
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プナンの生活を通じて、すべての価値観・すべての常識・すべての当たり前を問い直すきっかけになる本。
「大いなる正午」に出くわす経験。 -
海外で仕事をする身でありながら、よくなんでこんな事がわからないんだ、なぜこうしてしまったんど、と思うことがある。
自分が育ってきた極小な世界から抜け出して本当に他者のカルチャーを、単純に面白がり、敬意を持って接する大人になりたいものだ、、、と思った。
そして、それは遠くに行かなくても、親きょうだいでも、直面することなんだな。。。
大いなる正午。に妙に関心。 -
各章の最初にニーチェの言葉が引用されています。
それがとても良い。ニーチェの言葉は説得力あるし、元気出る!
パースペクティヴィズムという概念があることを初めて知りました。
自分が生き物をじっと観察する時にやりがちなこと。
今、私に見られている対象物(生き物)がその瞬間何を考えてどう感じているのか、見ている私との関係は今どんな風か。
これ、パースペクティヴィズムの端くれちゃうの?!ちょっと出来てた気がして嬉しくなった笑
自然の中で、ただ自然の声を聞き狩猟して食べ物を得て暮らすプナン。
個人の所有欲という人間の本能かもしれない部分を幼い時期に徹底的に潰し、共同体の一員として平等に分配して皆で利益を受けるシステム。簡単なようでこれを当たり前にすることが私たちにはどれほど難しいということがこの本を読むと痛感する。 -
人間ってすごいなぁ...
この多様性ゆえに爆発的に
人類が増えたんだろうけど
面白かった! -
人間社会の原始の姿か。
社会は一体化していて、わたしたちが基本で必須だと思っている挨拶さえもないという。貸し借りの概念もなきという。
人間同士はそんなにも近しかったのかと感嘆する。 -
2023年1-2月期展示本です。
最新の所在はOPACを確認してください。
TEA-OPACへのリンクはこちら↓
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00543497 -
第50回アワヒニビブリオバトル「Thank you!」で発表された本です。
チャンプ本
2019.03.05 -
さくっと読めるエッセイ集のイメージで読んだら、それよりは重たかった。
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旅の楽しみは日常からの離脱。
自分が日頃属している社会の常識からの離脱。
そして価値観の逆転と新しい視点を得る。
それを究極まで見つめたエッセイ。
昔わたしを捉えたツィアビの演説のようなもの。
同じ社会に長期にわたって参与観察し続けた人類学者が、その面白さを各章でわかりやすく物語ってくれる楽しい本。
以下、章ごとの感想。
3 反省しないで生きる
プナンの社会では、誰かが悪いことをしたり失敗したりした場合、やらかした当人が反省することはなく、まわりの人たちの側が、そうならないようにするにはどうしたらいいか対策を考えるのだそうである。
何か問題が起きた場合、当人の反省に帰するより、当人の責を問わずにみんなで問題そのものに対して対策をした方が、当人のメンタルヘルスにもいいし、実効的な解決法にもなるよね。確かに。
4 熱帯の贈与論
もらったものは手元にとどめないで誰かに贈る。そのことが価値を生む。ポトラッチと並んで有名な理論。たぶん布施なんかとも通ずると思う。リンポチェさんなんかにプレゼントして、めっちゃ喜んでくれたと思ったのに、次に会うとその品物は違う坊さんが持ってたりするのはよくあることで、アレって何となく寂しいなと感じてしまいがちなんだけど、そうじゃないんだよね。ステキなものをもらったら誰かにあげるのが物惜しみしない良い心なんだよね。うむむ、本も手元にため込まないでみんな上げてしまうのがいいのかもにゃ。
5 森のロレックス
なんと!プナンの人たちは時間や年月日の意識をほとんど持たないという。誰が誰よりも先に生まれたとか、誰それがなくなったのは自分が今の誰それのような年頃であった頃だ、とかは意識するのみであるらしい。将来どうしたいとか、そういうことを計画することもないし、誰かが亡くなると、そこに埋めて所縁のあるものを捨てその場所を立ち去るのだという。歴史もない。うわわわ究極のその日暮らし。その日暮らしができるというのは豊かだということ、何かに備える必要がないということ。
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
プナンの人々が持たないのは、時間の概念だけでなく、所有という概念も、なのだと著者は言う。物なお金のみならず、知識や能力さえ個人で所有するという概念がないのだと! しかし、小さい子どもに「自分だけのものにしたい」という所有慾はあり、それは周りの大人によって否定される。もらったものはみんなで分けるように躾けられるらしい。で、近年になるまで貸し借りの概念もなかった、と。まるで原始共産制ではないですか。
全てのものを共有するプナンの社会では、格差もない代わりに個人の持つ向上心や努力も見られないのだ、と。ふぅん。ほんまかいな…。
8 死者を悼むいくつかのやり方
近しい者を亡くしたときの情動にどう対処するのか。日本では、死者に死者としての名前(戒名)を与えて死者とし儀礼の対象とするのだが、プナンは違う。死者はそこに埋葬し死者の持ち物は焼き捨て、残された者はその場所を放棄して立ち去り、残された家族はその名を変え死者の名を口にすることを禁じられる。死者の痕跡を消そうとする…それがプナンのやり方…。
他にも学校のこととか(当たり前のことながらプナンの人たちは学校に価値を見出していない)、選挙のこととか(選挙では、ケチじゃないというプナンの徳を体現している人、つまりお金をばらまく人に投票する笑)、人の社会の価値観はさまざまであることを思い知らされる。
自分の価値観を揺さぶって楽しむにはうってつけの本だよ!
本書の元になった連載の題は『熱帯のニーチェ』。この名もなかなか素敵である。 -
価値観、人生観というものは生まれ育つ環境で色々変わるものだとしみじみ思った。私を取り巻く環境の中で森の民の価値観を取り入れることは難しいが、同じ地球上で違う常識で生きている人たちがいると知ることはこれからの人生でより大きな目で物事を見る助けとなるだろう。
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ボルネオの少数民族プナンとともに暮らし、そのフィールドワークから導き出した人生観。
ニーチェの詩と対比させ、それは「永遠回帰」の生き方と結論付ける。
驚いたのは、後天的に所有欲を抑制していること。すべて共有財産で、まるで民族が一つの生命体のように生命活動しているがごとく。そりゃありがとうもごめんなさいも不要だ。
これからの時代、見習うべきところもあるだろう。 -
虚構で現実に疑問符を投げる手段は神話,宗教,御伽噺,伝説,SFといくらでもあるが,ある現実を相対化する別の現実を体験させてくれるのは文化人類学しかないのではないだろうか.
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近代・現代
個人主義・グローバル
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共同主義・ローカル
アナキズム入門
アナキズム:”権力による強制なしに,人間が助け合って生きてゆくことを理想とする思想”
海外旅行・異文化との接触を通じ,今あるものがなぜそうあるのかと言う懐疑主義に
→ある社会や人類そのものを相対化し,根底にある前提に揺さぶりをかける学問.文化人類学の道へ
全ての生物ー>栄養を摂取し生命を維持
原始生物→人間:内臓に保持→体の外に保持→紙幣に保持
プナンの人たちは反省をしない.ー>なぜ現代人・現代社会は「反省を強いられるのか」という逆説的問い
貸し借りは財を所有するという概念が大前提
死への恐れ、打ち手が農耕→財の蓄積
プナンの長:ビッグマン
一番ものを持たない.誰よりも分け与える.だからこそ人々に支持される.独占を仄めかしたら人が離れる
倫理→自己消化的な恵みに対するお返し?精神と態度
動物の境界
野生犬→労役犬→ペット犬
労役とペットの境はなんだろ -
科学道100冊 2021 テーマ「つながる地球」
【配架場所】 図・3F開架
【請求記号】 382.243||OK
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/457695 -
プナン社会は、なんだかEVAの人類補完計画の理想形みたいだなあ。