山と獣と肉と皮

著者 :
  • 亜紀書房
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感想 : 27
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516646

作品紹介・あらすじ

「生き物を殺して食べること」「自然とともにいきること」。
忘れかけていた大切なことが胸に迫る、注目のノンフィクション。


3人の子を持つ母親であり、妊婦や出産、葬儀など命にかかわる写真を撮り続けている写真家でもある著者が、長崎と佐賀の里山で猪と鹿の狩猟に密着した4年間。
そこで出会った、狩猟を生業にする人々との交流や、家族とのつながりから得たものとは……。


写真家という第三者の立場から、そして女性の視点から、狩猟と向き合い、肉をさばき、家族のために料理をし、命と人とのつながりに向き合う。

民俗学者・赤坂憲雄氏、絶賛!

感想・レビュー・書評

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  • 里山に息づく命の感触 「山と獣と肉と皮」刊行  長崎市の写真家 繁延あづささん | 長崎新聞(2020/10/12)
    https://nordot.app/688211819926848609

    繁延あづさ「山と獣と肉と皮」 「かなしい」を「おいしい」に転換|好書好日(2020.11.30)
    https://book.asahi.com/article/13957625

    弁護士会の読書:山と獣と肉と皮(2021年1月11日)
    https://www.fben.jp/bookcolumn/2021/01/post_6364.php

    連載『山と獣と肉と皮』 最終回 : きょうのできごと(2020年6月17日)
    https://adublog.exblog.jp/240389663/

    山と獣と肉と皮 - ケモノ喰らい Ⅰ | ウェブマガジン「あき地」
    https://www.akishobo.com/akichi/shigenobu/v1

    亜紀書房 - 山と獣と肉と皮
    https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=979

  • ジビエが好きなので、どうしようもなくタイトルに惹かれて。
    写真家である繁延さんが、地元の猟師であるおじさんの狩猟についていき、そこで撮影してきた写真と率直な言葉が綴られている。
    解体作業で裂かれ露わになった臓物や、絶命したばかりの猪の瞳、母鹿の胎内から取り出された生まれることなく死んだ小鹿、内臓をすべて抜かれて干される猪、全身の皮を剥がされる途中の鼻先。
    ページをめくって現れるエピソードと写真一枚一枚が強烈で凄まじい。あまりも鮮やかに共存する生と死のコントラストにたじろぐ。
    スーパーに綺麗に並べられた肉を買い料理し口にする日々の食卓で、私は本当の意味で自分が何を食べているのかなんて一切分かっていなかったんだ。
    山ではそれらの命がすべて循環し完結している。食って、食われて、食って、食われる。生きるために。
    その営みには駆除だとか殺しだとかそういう概念が差し挟まれる余地なんてないのかもしれない。決して可哀想ではない。頂く命に感謝しておいしく食すのみ。
    食育の一環として小さい頃からそう教えられてはくるものの、中々理解するのは難しいものなんだと改めて思う。大人になるとさらに麻痺していく。
    肉を食べて、これまで自分が「何頭食べたか」なんて思うことはまず無い。食べることで自分の中に命が積み重なっていくような感覚を持ったことさえも。
    本当に"生きること"そのものの原点に立ち返らせてくれるような凄みのある一冊だった。
    ちょうどこれから焼肉食べに行くんだけど、なんか心構えが違う。と言ったら安着すぎるだろうけど、私にも、命をいただくのだ、絶対おいしく食べてやる、という覚悟が芽生えた気がする。

  • 写真家の繁延あづささんが家族で移住した長崎で出会った猟師たち。その営みを目にし、人間と獣、さらには生と死と生き方を考えるようになるエッセイ。

    私も読みながらすごく考えさせられた。

    目の前で獣の死を目の前にして変わっていく生死感
    肉を食べるということは命を頂くということ…
    「絶対、おいしく食べてやる」という思い
    そして「殺すなら苦しまないように一気に殺すこと」という思いなど…

    先日、友人が生きた伊勢海老をもらったということで捌きに行ったのだけど私もその時に思ったのが「殺すなら苦しまないように一気に…」と思った。ナンマンダブナンマンダブとつぶやきながら捌く私に友人は「食べにくいわ!」と言ってたけど生物の命を絶つっていう行為はなかなか覚悟がいると思う。
    魚やエビとか貝とかならまだしも、獣となると相当な覚悟がいると思う。

    筆者の繁延さんは「そんな罪悪感を持たないようにスーパーなどのお肉コーナーは無機質で、生き物感をわざと出さないようにしている」というようなことを書かれていて私もハッ!とした。
    そうなのよ…スーパーでパック詰めされているお肉も元々は生きた生き物だったのよね。当たり前だけどそんなことを意識してない…というか意識させないようにしているだろな…

    大学生の時に山の生活を学習する…みたいなキャンプみたいなのがあって、友人に誘われて参加した時に「鶏をしめて捌く」っていうのがあったのを思い出した…。
    しめるのは男子がやるということになってたのだけどなかなかな感じで…泣いてる女子もいたけど…。

    生き物を殺して食べるという行為
    殺すということにはある意味責任がある。
    今は、殺す行為を誰かが別でやってくれているから
    食べる人たちは「その殺すという責任」を請け負わないでいられる。

    繁延さんの息子さんは養鶏をされているそうだ
    そして卵を産まなくなった鶏を自分の手で「終わらせる」ということまで背負っているそうだ。
    すごいことだと思う。

    メメントモリ

    人の命はいくつもの命の上で成り立っている

    すごい本を読んだ。

  • 狩猟の話はつい読んでしまう。ぼく自身は狩猟はやらないし今後もやることはないだろうが、山を海や川に、獣を魚に入れ替えれば、ぼくのやる釣りになる。たぶんぼくは、ほかにいくらも食べるものがあるのに、わざわざ山の獣や川の魚に迷惑をかける、その合理的な理由、もしくは免罪符のようなものが欲しいのだろうと思う。

    誰かが狩りや釣りをしようとしまいと、食べ物としての肉や魚はスーパーに行けば所狭しと並んでいる。きれいに包装された肉や魚は、その状態でどこからかポカンと飛び出してきたわけではない。命を奪う作業をほかの誰に押し付けただけの話だ。ぼくらが肉や魚を食う以上、命を奪う過程をほかの誰かに任せてそ知らぬ顔をしているべきではない、という考え方はわからないでもないが、なんとなくもやもやする。
    本書にわかりやすい答えが書いてあるわけではない。著者自身は狩猟はやらないので、狩猟者本人より、命を奪うという行為の重さについて自覚的なのかもしれない。

  • 著者は写真家。出産に関わる写真をライフワークとしている。
    東日本大震災を1つの契機として、それまで住んでいた東京から縁もゆかりもない長崎へと移り住む。そこで猟師の「おじさん」と知り合い、肉を分けてもらうようになる。そうこうするうち、狩猟の現場にも連れて行ってもらえることになった。
    カメラのファインダー越しに、死の瀬戸際で猛っていたケモノが、命を失うさまを目撃する。
    そしてケモノは放血・解体され、肉となる。
    生きものが食べものとなる瞬間。
    著者は思うのだ。
    絶対、おいしく食べてやる
    と。

    長崎に引っ越すことになった顛末。
    試行錯誤しながら、「おじさん」にもらった肉の調理法をさまざま試し、おいしく食べられた時の喜び。
    犬と猟をする別の猟師と、その女性スタッフの不思議な関係。
    まだ幼い息子が養鶏をすることに決め、2年ほど卵を取ってから「潰す」ことにし、親子で奮闘する話。
    鞣し皮職人を訪ね、その仕事ぶりを見学させてもらったときのこと。
    そうしたエッセイの合間に、ケモノや猟師、解体や鞣し作業のモノクロ写真が挿入される。
    元はウェブマガジンの連載で、それらを再構成し、書き下ろしを加えた作りである。

    全般に生きることの手触りを探っているようなエッセイである。
    食べることは生きること。
    肉であったものはかつては生きていて、それを殺した延長線上に食肉はある。
    死を目撃するのはやはり衝撃的だ。けれども、いやだからこそ、なのか、いのちをもらった以上は、肉であれ皮であれ、無駄にすることなく、大切に「いただく」。
    そんな猟師や職人の気概を、間近で見守る著者もまた、いのちについてさまざまに思いを巡らせる。
    整合性の取れた話ではない。結論があるわけでもない。
    ただそうして、いのちの現場に立ち会うことで、見えてくる景色もあるはずだ。
    読者もまた、著者とともにその現場に赴き、いのちについて考える。
    そんな上質のフォトエッセイである。

  • "“死後の再生”なんて、生きることだけが目的の私たち人間にとっては観念的なものにすぎないとも言える。私自身そう思っていた。けれど、山に通い、台所で肉を捌くようになってから、少し変わってきた。観念ではなく、事実としての自分の死体の行方を考えるようになったからだ。今は、遺灰を畑に撒くよう家族にお願いしておきたいと思う。せめて、土と交わりたい。あたらしく生まれる命あるところへ。"(p.77)


    "はっきりわかっている大事なことは、明日も生きるなら、まずは食べるしかないということ。考えてみれば、山の獣はじめあらゆる生き物はそうやって生きている。うちのコッコも、食べて、排泄して、産卵、以上。そんな暮らしぶりだ。大事なことから順番に考えるとスッキリする。スッキリした頭で考えていきたい。"(p.232)

  • 「川と皮と革 すべてをかわと読むのはそのつながりを示している」
    「ニワトリと卵と息子と思春期」を読んで読みたくなった。 
    人は様々な命を咀嚼して取り込んで生命を維持してるのに、その命のサイクルから逃れてるわけか、、

  •  すごくいい本を読んだ。無駄な文章など1行もなかった気がする。評価は☆4.5です。 
     山で実際に獣を追い、自らの手で殺し、捌いて得た肉とスーパーにきれいにパックされた肉。同じ肉でもその尊さには圧倒的な差がある。
     生きるためには食べなければならない。その基本原理にある“食べるためには生き物を殺す”ということを知らなくていいはずがない。そして目の前で息絶えた獣の肉だからこそ「絶対においしく食べてやる」と食を大事にする心が芽生えるのだろう。
     子供も自ら生食べるためとわきまえたうえで動物を飼い、食と命という隣り合わせの真実に向き合っている。
     そんなことはあまり考えもせず、多くの人が洒落たレストランできれいな服を着て美しい皿に盛られた肉をいただいていることだろう。
     図書館で借りて読んだけれど、これは買っておこうかな。

  • ふむ

  • 鹿の前足をもらった時、どうやって食べようか、一瞬躊躇した。仕事で標本や剥製にするための動物の亡骸を回収していた時のことを思い出した。自身の経験してきたことと重ね合わせながら、読んでいると共感できることが多い内容だ。
    スーパーで肉を買うなとか、フライドチキンをウーバーイーツで頼むなとか言えた柄ではないが、時々、生きることについて真剣に考えてみる必要がある。特に子育て世代の人たち。一番厳しい局面に立たされている人こそ、向き合って考えてみる必要があるのではないか。SDGsとかいう頭でっかちな押し付けよりも響く。

    小さい頃祖父が私に言って聞かせた言葉「自分が仕留められると思うものを食べろ。もうワシは牛は食わん。」と言って家族団欒のすき焼きの座敷には姿を見せず、祖父は台所で魚を食べていた。あの光景を思い出す。その時その時の選択が、後に生きるものの命を繋ぐということを、今になって教えられた。

    ***下記 亜紀書房サイトより
    「かわいそう」と「おいしそう」の境界線はどこにあるのか?
     山に入るたび、死と再生のダイナミズムに言葉を失いつつも、殺された獣を丹念に料理して、一家で食べてきた日々——。
    獣を殺す/料理する/食べる。
    そこに生まれる問いの、なんと強靭にして、しなやかであることよ。
    いのちをめぐる思索の書。
    母として、写真家をして、冒険者として。
    死、出産、肉と皮革を、穢れから解き放つために。——赤坂憲雄氏、推薦!
    【目次】
    はじめに
    序章  獣の解体と共食
    第1章 おじさんと罠猟
    第2章 野生肉を料理する
    第3章 謎のケモノ使い
    第4章 皮と革をめぐる旅
    おわりに

    著者紹介
    繁延 あづさ(しげのぶ・あづさ)
    写真家。兵庫県姫路市生まれ。桑沢デザイン研究所卒。
    2011年に東京。中野から長崎県長崎市へ引っ越し、夫、3人の子ども(中3の長男、中1の次男、6歳の娘)と暮らす。雑誌や広告で活躍するかたわら、ライフワークである出産や狩猟に関わる撮影や原稿執筆に取り組んでいる。
    主な著書に『うまれるものがたり』『永崎と天草の教会を旅して』(共にマイナビ出版)など。現在「母の友」および「kodomoe」で連載中。
    ブログ「きょうのできごと」

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著者プロフィール

写真家。兵庫県姫路市生まれ。桑沢デザイン研究所卒。
2011年に東京。中野から長崎県長崎市へ引っ越し、夫、3人の子ども(中3の長男、中1の次男、6歳の娘)と暮らす。雑誌や広告で活躍するかたわら、ライフワークである出産や狩猟に関わる撮影や原稿執筆に取り組んでいる。
主な著書に『うまれるものがたり』『永崎と天草の教会を旅して』(共にマイナビ出版)など。現在「母の友」および「kodomoe」で連載中。

「2020年 『山と獣と肉と皮』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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