ウィトゲンシュタイン、最初の一歩

著者 :
  • 亜紀書房
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本棚登録 : 236
感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516882

作品紹介・あらすじ

こんな風に教えてほしかった!
「20世紀最大の哲学者」の思想を、とびきり優しく解説。

全くの初心者でも、解説書や入門書で挫折した人でも、大丈夫。
予備知識ゼロで、めくるめく哲学の世界への扉が開く。
最高にスリリングな入門書!


この本では、中学生や高校生に向けて、わかりやすく哲学を語りたいと思います。
この時期こそ、人生に一番悩み、この世界の難問に正面からぶつかって苦しむ時だからです。四畳半や六畳の部屋で、私も一人悶々と悩んでいたので、とてもよくわかります。
そういう苦悩につきあい解決する際の手がかりにしてほしいと思っているのです。
かつてそうした経験をして大人になった方々にも、楽しんでもらえればと思っています。(著者より)

感想・レビュー・書評

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  • ウィトゲンシュタインの言葉を導き手として、世界や私や言語についてラディカルに(哲学的に)とらえる手本を示しているかのように見える。最後のあたりのデリダ、ハイデガー、フロイトらの思想との関係についた触れた部分も面白かった。

  • ウィトゲンシュタインについて、まさに最初の一歩となるような、分かりやすく解説した一冊。
    それでも一回読めばわかるものでは無いんだけども。

  •  

  • 刻復習シリーズ第二弾

    ウィトゲンシュタインの思想を前期から後期まで分かりやすく説明してくれる超良書。
    前期(論考時代)の哲学は理屈っぽく正直理解が大変な部分があるのだが、本書はサラッと流して後期メインで話してくれる。「家族的類似」や「言語ゲーム」なんかは哲学入門としても非常に分かりやすいだろう。

    個人的に「確実性について」が抜けていたせいで、後期の土台を何としているのかがずっと不明だったが、「蝶番命題」の説明なのでようやく分かった…。早く読んでおけば良かったね…。

    後期ウィトゲンシュタインのスタンスは徹底した(日常的という意味で)現実主義だ。魂など証明のしようもないもの、存在という驚きに対する態度、我々の「当たり前」からスタートし、深遠な思考を経て「当たり前」の風景に戻ることができる。
    少しカッコつけて言えば、彼は再び「ハシゴを投げ捨て」ることを徹底したのだ。

  • 今まで読んだヴィトケンシュタインの本の中で一番わかりやすい!これをきっかけにもっと固有名詞のある本もチャレンジしたい。

  • 友人として今後も活躍を期待

  • もっともわからないことは、世界の存在。

    言葉の意味は私用。わたしの考えている言語の意味は自分仕様である。他人にはわからない。

    本物の持続を持つ語、「指差す」など
    持続を持たない語、「覚えている」など を持続を持つ語と勘違いが起こる。

    行為そのものは背後になにも連れずにいきなり登場する。というのが行為のありかた。

    疑うためには基盤がいる。
    疑いの背景には「信じる」がある。

    その信じるは信じるということを意識しないぐらい受け入れていること。

    基盤そのものがかわることを「パラダイム・シフト」という。

    もっとも肝心なことは普段はふれない。

    言語は人間の内側と無関係。

    われわれの存在に深く関わる「絶対的なもの」を表現することはできないのが言語。

    いったん私になるとそれ以外の可能性はなくなる。

    世界があり、私という比類ない背景があり、その私が使う言葉がある。これらは私には手が出せないし、隔絶している。

    内に意味があってそれを語で表現しているわけではない。意味などなくても会話は進む。

    私の考えている言語の単語は喋る人だけにしかわからない。私的な
    ものは言語化できない。

    恋人、友達など言葉が先にあるからその関係にはまらないことに悩む。

    会話では話した後にしかその内容を確認しない。

    行うことを行うだけ。そこに行為者は存在しない。行為そのものが背景になにも引き連れずにいきなり登場する。これがわれわれの行為のありかた。

    なにもかも信じるという土台に立ってこそ、疑うことができる。

    蝶番命題
    わたしは大谷環
    地球ははるか昔から存在していた。
    日本列島がある。
    だれでも脳を持っている。
    私の両親と言っている人が実際のわたしの両親だ。など。

    他人は私という唯一無二の世界の中のただの登場人物。

    言葉は本質的に公共的で、私的領域には触れ得ぬもの。

    どんな言葉もその言葉を否定する言葉が存在してこそ意味をもつ。

  • そんなわからないことがだらけの変な世界が、そもそも「ある」ということ。これはいったい何だ?どしてこうなっているのか?と考え込むのが、哲学です。

    語りえないものについては、沈黙しなければならない:
    本当のことが分かりもしないのに、駄弁を弄するな。自分や共同体の思い込みによって、いい加減なことを喋ってはならない。

  • 134-N
    閲覧

  • 読みながら思ったのは、この書籍を読む中高生は幸せ者だな! ということ。
    私も中高生くらいのときにこの本を読みたかった。
    そして同じくらい痛感したのは、中高生の時にウィトゲンシュタインに出逢わなくてよかったということ。
    絶対耽溺してわけのわからぬ中二病を病みながら何かの限界に突進していただろう。それはそれで幸せだったのかもしれないけれど。

    簡単な易しい言葉で綴られている本書だが、決して簡単に理解できるとは思わない。
    平易な単語で表現すればたやすく理解できる、なんてことはない。
    でも本書と出逢えて本当によかった。ありがとうございます!

    以下自分の備忘録として書き留めておきたいことを簡単に記しておきます。


    19 石になる
    「だるい」という言葉を習得した日を覚えている。小学3年くらいだった。
    私の使う「だるい」は母が私を心配そうに覗きこんで「だるいの?」と訊いたときの「だるい」と本当に同じものなのか、不安があった。いまも思う。私の「だるい」は他者の用いる「だるい」と同じなのか?

    27 顔
    ひとはどのようにして、笑顔、を習得できたのか。鏡のない時代にも笑顔はあっただろう。目の前の人間が敵意のない証拠に笑顔を見せる。それと同じものを返して自分にも敵意がないと教えたい。そのとき、どうやって「自分の顔」が見えない(確認できない)人間が、目の前の笑顔と同じ表情を浮かべていると自覚できたのだろう。

    28 嘘をつくということ
    「だって、言葉は、そもそも嘘なのですから」
    嘘=虚構。現実と離れて別世界を構築するのが言葉の特性。

    29 デリダとウィトゲンシュタイン
    ひとが概念を外部に(他者に)渡すとき、言葉は意味を持って生まれる。
    外部に出さなければ言葉と無縁でも存在できるが、誰かと共有しようとすれば言葉にせざるを得ない。

    31 フロイトの弟子
    フロイトについての批判的立場。
    あああぁぁぁぁああ! それぇぇぇえええええぇ!(圧倒的共感)


    ※「哲学探究」を読みたい。
    「確実性について」も機会があればぜひ挑戦したい。

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著者プロフィール

1958年長崎県佐世保市生まれ。中央大学文学部教授。小林秀雄に導かれて、高校のときにベルクソンにであう。大学・大学院時代は、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッドに傾倒。
好きな作家は、ドストエフスキー、内田百閒など。趣味は、将棋(ただし最近は、もっぱら「観る将」)と落語(というより「志ん朝」)。
著書に、『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)、『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社)、『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社)、『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)、『落語―哲学』(亜紀書房)、『西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か』(講談社選書メチエ)『続・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)など。

「2021年 『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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