山本周五郎 戦中日記 (ハルキ文庫 や 7-10)

著者 :
  • 角川春樹事務所
5.00
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 14
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784758438254

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 図書館でふと目について借りた本だったが、良い本に出会えたなという感想です。いろいろな意味でとてもよかった。

    山本周五郎(本名:清水三十六)が作家として、当時多くの作家が暮らしていた東京大森の馬込文士村で、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)2月4日までの生活を記した日記である。

    当時、周五郎は38歳、妻と長男10歳、長女8歳、次女6歳、その後にもう一男生まれるが、戦時下の非常に厳しい環境の中で、筆一本で家族を支えながら、作家業に奮闘する日々が記されている。

    12月8日の日本軍真珠湾奇襲のその日から日記が始まっている。当時の戦時下の人々の暮らしぶりが生々しくわかるし、そういう環境下での作家がまたどのような暮らしぶりだったのかも知ることができる。

    プライベートな日記が編集されたものであるが、日記さえも読み物として読者を満足させてくれる。秀逸な文章は当時をリアルに再現してくれる(作家でも、日記中には誤字が多いんだと変な驚きも・・・編集者はママとして表記している)。

    周五郎はこの頃、作家としてもっとも油ののってきた頃かもしれない。いつも数本並行で原稿を抱えている。自宅への来客は多く、親戚、知人、それに各出版社の編集が入れ替わり立ち代わり原稿を取り立てに来訪する。

    周五郎は主に夜中仕事のようだ。仕事にいかに集中できるか、原稿の締め切りまでのペース配分を入念に練っているのだとは思うが、来客に時間を食われる他、折り重なる空襲警報のため時間を割かれる。

    空襲警報は終戦に近づくにつれ激しくなっていくが、そのなかで彼は自分の命よりも、妻子の命を失うことに恐怖を抱き、あらゆる恐怖と闘うために執筆行に全精力を注いでいるという感じだ。

    執筆のストレスは、食と酒で解消するタイプのようで、日記のいたるところに、食のこだわりや、来客との酒の談笑、二日酔いの話などが登場する。

    戦時下で、洋酒やワインを飲んだり、ステーキを食ったりと、当時は富裕な生活をしていたように思うが、空襲警報に寝込みを襲われ、ひと箸いれたところで壕への避難を強いられるなど、当時の人々の悲惨な生活もリアルに知ることができる。

    ある日の日記ではこんなことも書いている。
    「しかし、過去の多くの体験はいつも己を成長させることに役立ってきた。困難はいつも己を磨く役割をつとめた・・・」

    真摯に自身の人生を考えながら生きる生き方が数々の名作を生み出したのだなと思えた。

  • 1941年(昭和16年)12月8日(真珠湾攻撃の日)から1945年(昭和20年)2月4日までの【山本周五郎】の日記である。太平洋戦争の本土空襲の記録、家族の動向、執筆に関する事柄が中心に記されている。<昭和18年8月3日(晴れ)朝香西昇「直木賞」の事で来訪、断わる。>とある。

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

山本周五郎(やまもと しゅうごろう)=1903年山梨県生まれ。1967年没。本名、清水三十六(しみず さとむ)。小学校卒業後、質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む(筆名はこれに由来)。雑誌記者などを経て、1926年「須磨寺付近」で文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説などを発表。1943年、『日本婦道記』が上半期の直木賞に推されたが受賞を固辞。『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『青べか物語』など、とくに晩年多くの傑作を発表し、高く評価された。 

解説:新船海三郎(しんふね かいさぶろう)=1947年生まれ。日本民主主義文学会会員、日本文芸家協会会員。著書に『歴史の道程と文学』『史観と文学のあいだ』『作家への飛躍』『藤澤周平 志たかく情あつく』『不同調の音色 安岡章太郎私論』『戦争は殺すことから始まった 日本文学と加害の諸相』『日々是好読』、インタビュー集『わが文学の原風景』など。

「2023年 『山本周五郎 ユーモア小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山本周五郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×