図書館でふと目について借りた本だったが、良い本に出会えたなという感想です。いろいろな意味でとてもよかった。
山本周五郎(本名:清水三十六)が作家として、当時多くの作家が暮らしていた東京大森の馬込文士村で、1941年(昭和16年)12月8日から1945年(昭和20年)2月4日までの生活を記した日記である。
当時、周五郎は38歳、妻と長男10歳、長女8歳、次女6歳、その後にもう一男生まれるが、戦時下の非常に厳しい環境の中で、筆一本で家族を支えながら、作家業に奮闘する日々が記されている。
12月8日の日本軍真珠湾奇襲のその日から日記が始まっている。当時の戦時下の人々の暮らしぶりが生々しくわかるし、そういう環境下での作家がまたどのような暮らしぶりだったのかも知ることができる。
プライベートな日記が編集されたものであるが、日記さえも読み物として読者を満足させてくれる。秀逸な文章は当時をリアルに再現してくれる(作家でも、日記中には誤字が多いんだと変な驚きも・・・編集者はママとして表記している)。
周五郎はこの頃、作家としてもっとも油ののってきた頃かもしれない。いつも数本並行で原稿を抱えている。自宅への来客は多く、親戚、知人、それに各出版社の編集が入れ替わり立ち代わり原稿を取り立てに来訪する。
周五郎は主に夜中仕事のようだ。仕事にいかに集中できるか、原稿の締め切りまでのペース配分を入念に練っているのだとは思うが、来客に時間を食われる他、折り重なる空襲警報のため時間を割かれる。
空襲警報は終戦に近づくにつれ激しくなっていくが、そのなかで彼は自分の命よりも、妻子の命を失うことに恐怖を抱き、あらゆる恐怖と闘うために執筆行に全精力を注いでいるという感じだ。
執筆のストレスは、食と酒で解消するタイプのようで、日記のいたるところに、食のこだわりや、来客との酒の談笑、二日酔いの話などが登場する。
戦時下で、洋酒やワインを飲んだり、ステーキを食ったりと、当時は富裕な生活をしていたように思うが、空襲警報に寝込みを襲われ、ひと箸いれたところで壕への避難を強いられるなど、当時の人々の悲惨な生活もリアルに知ることができる。
ある日の日記ではこんなことも書いている。
「しかし、過去の多くの体験はいつも己を成長させることに役立ってきた。困難はいつも己を磨く役割をつとめた・・・」
真摯に自身の人生を考えながら生きる生き方が数々の名作を生み出したのだなと思えた。