さすらう雨のかかし

著者 :
  • 求龍堂
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本棚登録 : 44
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763008015

感想・レビュー・書評

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  • 松田優作演じる朝倉に心奪われていた若き日に「ハードボイルドってーのは生き方なんだよ小僧!」と平手打ちを喰らわせてきたのが誰あろうこの丸健親分。
    でもその頃は全く歯が立たない…と言うかその違和感に歯牙にもかけなかったとしたほうが正直だろう。
    で今回再生復活版を読んでみたわけだがするとどうだろう、情景豊かな独特の文章も心地よくスーっと物語に入ることが出来るではないか!
    会社も乗っ取らずカウンタックにも乗ることのない片田舎の小役人の中年男の心情が我が身とオーバーラップし胸にジンジン響く。
    寄る年波と言ってしまうのは簡単、でもそれでも「安定、退屈、単調な日常をぶち破れ!」とアジる親分の熱い心に触れるのはこれからなんだと思わせられた覚醒の一冊、名作である

  • 度肝を抜かれるほど素晴らしかった。
    我が国にこそ必要な文学作品であると思った。
    凡庸な人間はどう生きれば良いのか、代わりはいくらでもいそうな、でも一つしかいない自己とは何なのかについてとても考えさせられた。
    生涯、町を囲むイチョウとカエデを管理し、町を出る事なく苦情処理係として働いてきたが、田舎の町に突如現れた自分そっくりな男との出会いから、自分が43年間正しいとしてきた生き方に疑問を持つ様になる。語り手の主人公は町に尽くし、依存し、この町の異物である動物や人間の死骸を処分し、2種類の木々を管理することで、この町に自分の存在を示し、不自由のない生活を送り、不幸でないことこそが幸福なのだと信じていた。一方で突如現れたその自分に似ている男は、生き方はまるで自分とは異なり、さすらうものであった。祖父の言いつけでさすらうことを禁じられていたために、その様な野蛮な人間や、ましてやその生き方など否定的であって当然であるとする主人公である。しかし瓜二つの自分を見て、置き換えたりしている内に、考えたこともなかった世界の魅力が主人公の胸臆に芽生え、騒ぎだす。祖父や父やこの町を去っていったもの、入ってきた異物といったあらゆる物事を回想し、思案をめぐりにめぐらして、読者も気がつかない内に主人公は自分の生き方に否定的な立場を取るようになる。ここで自分に似せて作られたカカシというのが実に小道具の妙で、重要な役割を担っている。主人公はかかしを見ることで、自分を客観視し、魂を具現化し、自身と対話し、さすらう男を思う。カカシはさすらう男でもあり、この町に刺さって動かない自分の象徴でもある故に、恍惚でもあり、邪魔者でもある。そして最後に行くにつれ、主人公は一周して帰ってくる。結局自分は自分であったのだ。

    まさに言葉の芸術であった。美しい風景描写は、ただ美しいままに読者に想像させるだけでなく、主人公の深層心理と結びついている様な気を起こす。この町を支配するために植えた2種類の木々が風にそよぐたびに、主人公の思慮が濃密になっていく様である。主人公は思いの旅をして結局元のところに帰ってくる。しかしこれはわかりきっていたことだとも感じる。この物語は、一言短い独白をし、その後ろに説明をするという節を何回も繰り返して描かれている。そこから逸脱する事はない。畢竟、旅は旅でも頭の中であり、続く毎日は一緒であるということがこの描き方にも出ているのではとも感じた。しかし最初と最後の「もし何かいいことが起きるとすれば、きっとこんな日に違いない。」の表す意味は変わっているのだと思う。

    物語の感想として私が感じたのは、自分という人間はどこまでも凡俗で、その世界から抜け出したいと思ってもできないものがあり、それを容易く行うものもいる。価値観なんてものは独断なものに過ぎず、揺るぎないものなどでは全くない。目移りせずに生き続けることになんの意味があるのか分からない。それでも人間は生きなければならないのかもしれないということだ。命を保っておくことが自分であるという、矮小ながらも、確固たるアイデンティティであり、それに気がつくためには時には艱難辛苦し、懊悩することが必要である。しかし、最終的には絶対に打ち勝たなければならないのが肝心である。我々は他人でなく、自分と戦わなければならないのだ。自分は取るたらぬ脆弱な身だからこそ、自分が手強く感じる。それでも勝たなければならない。生きることについてこれほどまで迫る作品は初めてであった。今まで見たことない人間愛がここにあった。

  • 海ノ口町という寂れた田舎町を舞台にした物語。何かが起こるわけではないのだが、何も起こらない=先が無いというゾワゾワとした不安感が全編通して伝わってくる。達観してはいるが、あくまてその認識は土地に縛られたものだということを暗示しているのは非常に面白い部分ではあった。

  • 淡々とした文章だが読む人の生き方に揺さぶりをかけてくる恐ろしい作品。結婚をし可もなく不可もなく仕事に励み一つの土地に住み続ける人生が果たして本当に幸せなのか。1人の流れ者の登場で中年男性の人生観が混乱の嵐に巻き込まれる。

  • 文章は読み難く、エネルギーを消費する。
    節を連ねて連ねて最後に引っくるめて打ち消したり、消化するのに結構なバッファーが必要で、ながら読みには向かない。
    その割に、要約すると、原稿用紙1枚でもまとめられそうな気がする。
    そんな、希釈された文章の中に、自分に無い物に惹かれる43歳の中年の葛藤が、身動きの取れないはずの案山子とさすらいの男によって浮き彫りになる様は、滑稽なまでに絶妙。

  • 海沿いの小さな町に流れ着いた祖父が築いた町一番の豪邸に暮らす43歳の男。役場の苦情処理係として町のあらゆることに精通している。父が交互に植えたイチョウとカエデの鮮やかさだけがこの町の彩りだ。町を出て行きたいと思いながら、それができない。閉塞状況のこの町こそ男そのものだ。怠惰な田舎町なのに男の頭のなかは緊迫している。日常と非日常がからみあう刃物のような作品。

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著者プロフィール

1943年、長野県飯山市に生れる。国立仙台電波高等学校(現在の国立仙台電波工業高等専門学校の前身)卒業後、東京の商社に勤務。66年『夏の流れ』で第23回文學界新人賞を受賞。同年、同作で芥川賞を受賞し作家活動に入る。68年に郷里の長野県に移住後、文壇とは一線を画した独自の創作活動を続ける。また、趣味で始めた作庭を自らの手による写真と文で構成した独自の表現世界も展開している。近年の作品に長編小説『我ら亡きあとに津波よ来たれ』(上・下)。『夢の夜から口笛の朝まで』『おはぐろとんぼ夜話』(全3巻)、エッセイ『人生なんてくそくらえ』、『生きることは闘うことだ』などがある。

「2020年 『ラウンド・ミッドナイト 風の言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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