- Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
- / ISBN・EAN: 9784764265356
作品紹介・あらすじ
なぜ、ユダヤ人は迫害されてきたのか?ヨーロッパの裏面史ともいえる「反ユダヤ主義」の流れを古代から現代まで通史的に辿り、ナチス・ドイツによるホロコースト(大虐殺)に至る歴史的・心情的背景に迫る。
感想・レビュー・書評
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ロシアにおける反ユダヤ主義は1470年代に発生した「ユダヤ的異端」に端を発する。ロシア商人を保護するためのユダヤ人追放令は何度も発せられている。啓蒙君主であるピョートル大帝を除くと、ほとんどの工程はポーランド分割に至るまでは、ユダヤ人追放という一貫した政策を取っていた 。1772年、1793年、1795年の3回にわたるポーランド分割により、約1000万人のユダヤ人がロシア支配下になった。その結果ロシアは当時世界で最大のユダヤ人人口を有する国となった。ロシアにおけるユダヤ人問題はここから生じることになる 。
10月革命期において、反ユダヤ主義は反革命軍によって利用された。これに対して、レーニンは反ユダヤ主義を社会的政治的悪だけでなく、革命を達成するために戦わなければならない敵とみなしていた。1939年以降、独ソ不可侵条約締結後、ソ連の新聞は、ナチスの反ユダヤ主義、ポーランド侵入後のユダヤ人虐殺などについては報道しなかった。1941年6月のドイツのソ連侵入後、報道するようにはなるが、曖昧だった 。大戦後のスターリン体制最後の数年間はユダヤ人にとって暗黒期だった。反ユダヤ主義は第一にスターリン独裁の主要な道具として、第二に冷戦期における対西側政策の一環として利用された 。1956年2月、フルシチョフはスターリン批判を開始する。しかし、この際、スターリンが行った反ユダヤ政策については全く触れなかった。フルシチョフの反ユダヤ政策はスターリンほど強いものではない。だがユダヤ人を経済的犯罪者(資本家)として描き、スターリン同様の大衆宣伝を行った。この宣伝は1961年から1964年まで保安警察によって行われた。この時期にはシオニズムとイスラエルとは告発するだけでなく、ユダヤ教そのものを、歴史的にも文化的にも有害な宗教として告発する本、パンフレットも現れた 。詳細をみるコメント0件をすべて表示