ブラックアース(上) ―― ホロコーストの歴史と警告

  • 慶應義塾大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766423501

作品紹介・あらすじ

ヒトラーの世界を目撃せよ

ヒトラーとは何者だったのか ――。
限られた資源、土地、食糧をめぐる生存競争の妄想にかられたヒトラーは、
ポーランド、そしてウクライナの肥沃な土壌(ブラックアース)を求めて侵攻し、
国家機構を完璧に破壊し始める。
ドイツの絶え間ない生存競争を、ユダヤ人の倫理観や法感覚が妨げると考えたヒトラーは、
やがて、人種に基づく世界、ユダヤ人のいない世界を構想し、
それを現実のものとすべく実行に移した ――。

前著『ブラッドランド』でホロコーストの歴史認識を根底から覆した気鋭の歴史家が、
ヒトラー「生存圏」(レーベンスラウム)の思想に鋭いメスを入れ、ホロコーストの真因を明らかにする傑作。

感想・レビュー・書評

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  • (上下巻あわせて)

    この5〜6年、全体主義、ナティス、ホロコースト関係の本をボチボチと読んできて、ようやく全体像がわかり始めた気になっていたのだが、そんなわたしの理解を簡単に吹き飛ばしてしまった驚愕の本。

    ホロコーストの象徴となるのは、アウシュビッツ。ユダヤ人を計画的に輸送して、工場で効率的に死体を製造するというイメージ。ユダヤ人に対する残酷な行為もさることながら、人を人として認識していない徹底した非人間的な扱い。そして、それを運営しているのは、普通の人々からなる官僚組織、さらにそのトップはクラシック音楽を愛好する教養人。そんなイメージがあった。

    だが、この本は、アウシュビッツは、ホロコーストの全体を象徴するものではなく、比較的最後の方ででてきた3番目の形態であり、規模においても、他に比べ大きいわけではない、と主張する。むしろ、ホロコーストの全体を見えなくする、局所化するための機能すら果たしているとする。

    ユダヤ人は、強制収容所よりも射殺されて穴に埋められたり、一酸化炭素などのガスで殺されたりしているほうが多かった。そして、その殺戮が多かったのは、ポーランドやウクライナといった地域なのだ。

    こうした地域では、ナチスとソ連が入れ替わり立ち替わり支配し、というか、国家システムを破壊し、その都度、それぞれに対しての敵を虐殺するということが繰り返されている。そうしたなかで、程度の違いはあるが、ユダヤ人は常に殺戮の対象であった。

    ブラックアースは、こうした暗黒の地であるとともに、肥沃な黒土地帯。

    ナティスは、当初、ドイツ民族が生存していくために必要な食料を賄うという観点で、この黒土地帯を植民地化することを考える。ナティスは、一旦は、独ソ不可侵条約を結ぶものの、フランスを屈服させたうえで、当初のプランに戻り東側に攻め入る。

    が、当初の目的の食糧確保にはなかなかつながらず、具体的な成果がみえるユダヤ人絶滅のプロジェクトにフォーカスは移っていく。

    そして、ユダヤ人虐殺には、ナティス以外の普通のドイツ人、さらにはドイツ以外でも支配地域の多くの普通の人たちが参画することで進められていた。

    ナティスは、新たな土地を求めるのではなく、国内の農業生産の技術向上に力をいれることで、より効率的に目的を達成できたはずなのだ。

    ハンナ・アーレントは、ナティスのユダヤ絶滅にむけた活動は、体制に反対する勢力が実質的にいなくなり、ナティスにとって戦況がわるくなってきてから強化されたこととして、そこに全体主義の「運動」としての特質をみた。つまり、「運動」は、なんらかの権力の安定を生み出すものではなく。つねに敵を作りだし、よりエスカレーションさせていく必要があると考えた。

    そうした側面もあるんだろうと思うが、この本によるとユダヤ人虐殺の大部分は、ヴァンゼー会議での「最終的解決」のまえに行われていたということ。「最終的解決」は、むしろドイツ国籍のユダヤ人に対する殺戮の強化・徹底という性質のものだったのかもしれない、わけだ。(ちなみに著者は、ハンナ・アーレント賞を受賞している)

    著者は、今後の地球温暖化による居住環境や食糧生産の変化に注目しており、ホロコーストは昔の話しではなく、未来においても起きうることとして書いている。

    そして、今、ウクライナで起きていることとまさにシンクロする内容が多く、読んでいて恐ろしくなった。

  • 著者は、20世紀の前半にヨーロッパで起きた「ホロコースト」の全体像を、現在生きる人および後世に生きる人びとに理解をしてもらうために本書を書いたという。
    ホロコーストは確かにナチスによって進められたが、それを可能にしたものは何かを本書は分析し追究する。それを可能とした力学を正しく理解しなければ、我々は考えや行動を誤る可能性があるのだと著者は指摘している。なぜあれから数十年を経た今、これだけの熱意でホロコーストを記述するのか。著者は、次のように語る。「ホロコーストを理解することは、人間性を失わないようにするための好機、たぶん最後といってよい好機だ」―― それがこの本が書かれた理由なのである。

    【アウシュビッツとホロコーストの理解】
    ホロコーストの力学を理解する上で、アウシュビッツがその象徴、唯一でそれを代表するものとしてのホロコースト全体の換喩、とみなされていることはある意味でその全体的な理解を妨げるものですらある、というのが著者の指摘だ。それはある意味では新しい指摘でもあるが、その理由は丁寧に説明される。アウシュビッツでは確かに夥しい数の人間が亡くなっていったが、一方で強制労働力として移送されてきた(そのほとんどが移送直後に殺害されたにせよ)。そのために、アウシュビッツにいた人は生き延びることが可能であったし、実際に多くはないが生き延びて解放された人がいた。それと比較して、トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボル、ヘウムノといった殺害だけを目的とした絶命収容所に移送されたユダヤ人や、それ以前にポーランドやウクライナで穴の中に並べられて射殺されたユダヤ人は生き残ることはなかった。そして、ホロコーストの理解において、より重要でありまた先行して起きたのが、そういった穴の中での警察部隊による殺害や絶滅収容所の方であるというのが著者の指摘であり、アウシュビッツを正しく理解して位置付けることが重要である理由なのだ。

    また、ホロコーストをアウシュビッツに代表させることで、心理的にも免罪されてしまう人がいたということもアウシュビッツをホロコーストの象徴としての認知が不当に高く広がった理由でもある。著者はそのことから目を逸らすべきではないと指摘する。アウシュビッツへのホロコーストの限定は、なされた悪を実際よりも小さく見せることになっている。ホロコーストはナチス以外のドイツ人によってもなされたし、またドイツ人以外の多くの人によってもなされたのだ。アウシュビッツは、ドイツ人はそのときユダヤ人の大量殺戮を知らなかったという「グロテスクな主張」をいくぶん正当化するものでもあったのである。

    それらのことを含めて理解しないでは、ホロコーストが行われた力学を理解したことにはならない。アウシュビッツに訪れて、そこで起きた悲劇を驚き、二度と起きるべきではないと強調するだけでは足りないのだ。ホロコーストは我々が理解できない何者かが起こした悲劇ではないことを理解することが重要だ。その全体像は理解されえないものではない。そして、それを理解しないままでいた場合には、また同じことが形を変えて起きる可能性が高くなると本書は警鐘を鳴らすのだ。アフリカ、中国、ロシアの状況、気候変動、水不足、などグローバルな不安定要因は除かれておらず、戦争や内戦のリスクがグローバルに消滅したわけでは決してない。著者は本書の最後に次のように書いている。

    「ユダヤ人 ―― 老若男女のユダヤ人一人ひとり ―― に対してなされた悪は無かったことにはできない。けれども、それは記録されうるし、理解されうるのだ。実際、それと似たことが将来起きるのを妨げるように、ホロコーストは理解されなければならないのだ。我々にとっては、そして心から願っているが後に続く者たちにとっても、それで十分であるに違いない」

    【ホロコーストと国家】
    各国のユダヤ人の運命に大きな影響をもたらした要素として次の三つを挙げている。「市民権」「官僚機構」「外交政策」である。そして、それらはすべて「国家」の存在に由来している。

    その要素の存在の有無が、同じようにユーデンフライ(ユダヤ人のいない状態)を宣告されたデンマーク(90%が殺害を免れた)とエストニア(90%が殺害された)のユダヤ人の運命を分けたものだ。エストニアはまずはソ連によって、そして次にナチスによって国家を破壊された。一方、デンマークではそうではなかった。ナチスはデンマークを占領したが、主権を奪うことはしなかった。それがデンマークのユダヤ人の命の多くが助かった大きな理由のひとつだった。

    ホロコーストが徹底的に遂行されたのは、ソ連に一度支配され、そしてその後ドイツの支配権に入った地域である。それらの地域ではソ連によって国家・主権がいったん破壊された。そしてナチス占領時に、ユダヤ人が共産化の片棒を担いだとすることで、ユダヤ人以外のソ連への協力者の行為や責任を隠蔽することができた。ハンガリーやルーマニアでも多くのユダヤ人が殺害されたが、戦前よりハンガリー領であったりルーマニア領であった地域のユダヤ人はより多くが生き延び、戦時中に体制が変わった地域に住んでいたユダヤ人はその多くが殺害の対象になった。イタリアのユダヤ人も、当初から枢軸国に属していたにも関わらず、その多くはムッソリーニの転落後ドイツの侵攻が始まった後に命を落とすこととなった。そしてフランスはドイツに侵攻されながらもヴィシー政権が国家の体を取っていたことから域内の四分の三のユダヤ人は生き延びることができたのである。一方で主権を失ったオランダやギリシアでは逆に四分の三のユダヤ人が生き延びることを許されなかった。奇妙なことに、ドイツ市民であったユダヤ人は、ドイツが破壊した国家の市民であったユダヤ人よりも生き延びる可能性が高かったのだ。
    また、ユダヤ人が保有していた不動産を中心とした財産を地元の住民が手に入れることができたことも特筆しておくべきことである。ユダヤ人の告発が彼らの心理面と財産面の両方を利することであり、ナチスがそれをなすべきことと指定した段階で、ある範囲の人びとは積極的にホロコーストに加担するようになったのである。そういった多くの「心理的資源」を意図的にせよ、また意図的ではないにせよ、結果として活用することでホロコーストは進行していったのである。

    「ホロコーストは国家が弱体化した場合には広がるが、それから先には広まらなかった。政治的な構造が保たれている場所では、それがユダヤ人を助けたいと願う人々に支持や手段を与えた」――というのが著者が本書で指摘する実態であり、統計上のデータからも見て取れる結果なのである。

    著者はホロコーストで起きたような過ちを繰り返さないための処方として、「国家」の存在を重視する。
    「国家が不在になれば、いかなる定義にせよ「権利」は持続しえない。国家というのは、当然と見なされたり、いいように利用されたり、あるいは廃棄されたりすべき組織ではなく、長く静かな努力の賜なのだ」

    「全体主義を求める者たちへ与える解答は無政府状態ではない。なぜなら、無政府状態は全体主義の敵ではなく、僕であるからだ。解答は、思慮に満ちた、多様性を持つ制度だ。しかり、差異を生じさせる創造を果てしなく紡ぐことである。これは、想像力、成熟、そして生き存えることの問題である」

    「人間は人間的条件の下でのみ人間たりうる」―この条件を維持することが国家の目的なのである。

    【ホロコーストの救済者】
    もちろん、そんな中でもユダヤ人の救済に走った人びともいた。本書でもそれらの人びとについて比較的多くの紙幅を割いて説明している。オーストリアでの何鳳山、リトアニアでの杉原千畝もその名前が挙がっている。しかし、ユダヤ人の救済に奔走した多くの人は戦後も報われることは少なかった。ウィトルド・ピレツキ、ヴワディスワフ・バルトシェフスキ、ヤン・カルスキ、ヴィトルド・フラニツキ、ラウル・ワレンバーグらは、暗殺されたり、投獄されたり、スパイの疑いをかけられたりとソ連や東側諸国の中で「反体制分子」として迫害された。
    市井の中でも危険を顧みずユダヤ人を助けた例も取り上げられている。「汝殺す勿れ」や「隣人を助ける」というキリスト教の教えに従って異教徒であるユダヤ人たちを助けた人びともいた。しかし同時にそれらの人びとは少数派であったこともまた確かであった。宗教が助けになることもあったが、特に政府側と強い結びつきを持っていた教会は概して救いの助けには向かなかった。
    ホロコーストのような事態を防ぐということにおいて、そういった人びとの存在に頼ることはできないし、また頼るべきものではないのである。著者が次のようにに書く通り、その行為は決して合理的な行動ではなかった。「善良さに対する報酬が天国ではなく地獄であった惑星において、善良であることは、邪なものを避けるだけでなく、見知らぬ人間のために行動する半端でない決心を意味する、そんな時代であった」のだ。多くの場合、ユダヤ人の迫害に加担する方が合理的であったのだ。著者の次のような指摘に対して、そうではないと自信を持って言えると考えるべきではないのである。

    「たぶん、我々は将来の災厄の何かに遭遇したら救助者になることを想像していよう。けれど、国家が破壊され、地元の組織が崩壊し、経済的な誘因が殺害へと向かわせるときに、我々のなかで立派に振る舞えるものはほとんどいまい。我々が1930年代、1940年代のヨーロッパ人にくらべて道徳的に優れているとか、ついでにいえば、ヒトラーがあれほどうまうまと普及させ実現させた考えに対し付け入れられる隙が少ない、などと考える理由はまずなかろう」

    【ホロコーストとは何だったのか】
    著者はホロコーストについて次のように記載する。
    「ヒトラーを反ユダヤ主義、反スラブ主義の人種主義者として性格付けては、ナチスの発想の可能性を過小評価することになる。ユダヤ人やスラブ人についてもヒトラーの考え方は、たまたま極端になった偏見というのではなく、世界を変える可能性を蔵した首尾一貫した世界観から発したものだった」

    ナチスは特別であり、我々は彼らとは違うと思うことはおそらくは正しくない。著者は次のように指摘する。
    「時期も違い幸運もあって、我々は国家社会主義から切り離されているので、ナチスの考えを、それらがどう機能していたかを熟考することなくたやすく払いのけている。忘れやすさのおかげで、我々は、自分たちにも同じところがあるということを経帷子で覆い隠して、自分たちはナチスとは違うのだと確信できる」

    当時のドイツ人がヒトラーを熱狂的に支持したのは、決して彼らが非合理的であったり馬鹿であったからというわけではない。多少なりとも、およそ何が起きているのかについて自覚的であったはずであり、それを善き事としてとらえてもいたと考える方がおそらくは事実に近しいのだ。「生存圏(レーベンスラウム)という概念は必要を欲望と、殺人と便宜とを結びつけた。それは、大量殺戮と、ドイツの家庭へのより良い生活の約束とで、この惑星を復活させるという計画だった」―― この考え方を程度の差はあれ、ドイツ人は共有していたと考える方が自然だ。そして、それは彼らがドイツ人で特別であったからというわけではないのだ。

    ルワンダの大量殺戮やソマリアの食糧危機はホロコーストが起こした問題が決して過去のものではないことを教えてくれる。そこでは国家の力が弱くそれが対立と大量虐殺を発生させることになった。著者は次のように書いている。
    「大量殺戮は、たいがいは、内戦とか体制変化の間に起きるものだ。人工的に国家崩壊の条件を創り出し、その後で国家崩壊の結果をユダヤ人の方へと転じるのは、ナチス・ドイツの計画的なやり口だった」

    ホロコーストは歴史でもあるが、また警告でもある。その全体を理解をすることが我々にとってできることのすべてでもあるのだ。
    自分のホロコーストの理解をある部分では壊し、そして再構築することになった。お薦めではある。

  • [あの悪とこれからと]「なぜホロコーストは起きたのか」という疑問と,そこから得られる警告は何かを徹底的に問うた作品。時が経つにつれ簡略化されていくホロコースト像にメスを入れた力作です。著者は,ハンナ・アーレント賞を受賞したイェール大学教授のティモシー・スナイダー。訳者は,著者の作品を他にも翻訳している池田年穂。原題は,『Black Earth: The Holocaust as History and Warning』。


    現段階での今年ナンバー1。「国家の喪失」と「市民権」を軸としながら,ホロコーストがどのように起きたかを鋭利に描いていく著者の筆は本当に凄まじいものがあります。特に下巻の分析には圧倒されるものがあるのですが,数あるホロコースト本の中での新たな古典と言い切ることができるのではないでしょうか。

    〜我々は,ヒトラーと同じ惑星に住んでいるし,彼の関心事のいくつかを共有している。我々は自分で考えているほどには変わっていない。我々は自分たちの生存圏を好んでいるし,政府を破壊することを夢想しているし,科学を誹謗するし,大災厄を夢想する。仮に我々が,自分たちは何らかのグローバルな陰謀の犠牲者であると考えるなら,我々はまっすぐではないにせよヒトラーの方へとじりじりと進んでいるのだ。仮に我々が,ホロコーストは,ユダヤ人,ドイツ人,ポーランド人,リトアニア人,ウクライナ人等々どの民族でも良いが,彼らに固有の民族性の結果だと信じたなら,その時点で我々はヒトラーの世界の中を動き回ることになるのだ。〜

    この読後感は久しぶり☆5つ

    ※:本レビューは上下巻を通してのものになります。

  • ホローコーストに関する以下の誤解を事実に基づき解き明かしている。
    ・ヒトラーは狂人であった
    ・ホローコーストはドイツで行われた
    ・ホローコーストはドイツのユダヤ人の問題であった
    ・ホローコーストは強制収容所で起きた
    ・ホローコーストはすべてナチスによって行われた
    自分も含め、アウシュビッツ=ホローコーストだと認識している人が多いと思うが、本書により、それはホローコーストを遥かに矮小化していることが理解できるし、ヒトラーが決して受け入れがたいが確固たる思想を持ち、極めて戦略的な行動を取ってきたことがわかる。ホローコーストが極めて戦略的に実施されたことは条件が揃えば現代でも起こりうることを示しており、ホローコーストについて理解することがこのような悲劇を繰り返さないことにつながることを筆者は訴えている。

  • ☆なぜ、ホロコーストが起きたのか?どのようにして可能となったのか?

  • 「アウシュビッツ」はナチによるユダヤ人虐殺の象徴であるが、あまりに有名になりすぎて、虐殺は収容所という非日常の中よりも、むしろ日常の中に多くあったという事実を遠ざける。

     原文をそのまま翻訳したのだろうか婉曲した言い回しが多く読解には労を要する。その中でどうにか読み取った最も重要そうな記述が冒頭の指摘である。
     ドイツ国内で殺されたユダヤ人は少ない、が、それは殺害場所がドイツ国外というだけであってドイツ内で捕らえられたユダヤ人は当然多い。
     またドイツ人のみがユダヤ人を虐殺したのではなく、ドイツの同盟国、例えばルーマニアも虐殺に参加したし、ソ連の犠牲になったユダヤ人もいた。

     資料や証言が膨大であり、またインパクトも絶大であったために様々な誤解や誇張がはびこるホロコーストについて、研究者の視点から丁寧に記述しなおす意欲作なのではあろうが、とにかく読みづらい。読解力不足で申し訳ない。

  • 我々は犠牲者を思い出すが、記念を理解と混同しがちだ。我々は記念された犠牲者だけでなく、忘れられた加害者とも世界を共有している。ヒトラーの時代にはなじみ深いものだったし、彼がそれに応えて見せた恐怖を蘇らせながら、世界は今も変わりつつある。ホロコーストの歴史は終わっていない。先例としてのホロコーストは永劫のものだし、それが与えた教訓はまだ学習されたとはいえない。ヨーロッパのユダヤ人大量虐殺の啓発的な説明は、地球規模で解釈されるべきである。というのも、ヒトラーの考え方はユダヤ人を自然の受けた板でとして扱うので、生態学的だからだ。そうした歴史は否応なく国際的になる。というのもドイツ人らがユダヤ人を殺害したのはドイツ国内においてではなく、他の国々においてだったからだ。

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著者プロフィール

ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder):イェール大学教授。1969年、アメリカ合衆国オハイオ州生まれ。専門は中東欧史、ホロコースト史。著書に『ブラッドランド──ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(筑摩書房)、『赤い大公——ハプスブルク家と東欧の20世紀』、『ブラックアース──ホロコーストの歴史と警告』、『暴政──20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』、『秘密の戦争──共産主義と東欧の20世紀』(いずれも慶應義塾大学出版会)など。

「2022年 『ブラッドランド 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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