なぜ国際日本研究なのか―「国際日本研究」コンソーシアムシンポジウム記録集―
- 晃洋書房 (2018年3月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784771030657
感想・レビュー・書評
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2017年に行われたシンポジウムの記録集。本書のように、もともと口頭のディスカッションだったものを活字化した本は、文字で論旨を追うのが少々しんどく感じる。
1 松田利彦氏:大学改革を背景にした国際日本研究への注目を紹介し、本書の構成を解説。
2 酒井直樹氏:基調講演だけあってキーワードがいくつも出てくる。
・現代の地域研究はアメリカの大学で、国の政策に資するintelligenceとして発展。パックス・アメリカーナの終焉とともにどうなっていくか。
・根源には西洋=文明人の視点から、特定の土地及び原住民を研究する思想がある。The West and the Rest。
・人文科学にはhumanitas/人文学と、anthropos/人類学の2面がある。前者は一般的な哲学や倫理学等、その背景にはヨーロッパ中心の思想を持つ。後者は地域や民族を対象とする。
・アメリカでは、もともとヨーロッパ志向であった研究思想が近現代以降変化。要素の1は学問の大衆化→学歴社会化→留学生の増加による国際化。要素の2は学際的傾向→地域言語スキルの重視。言語を共同体と見なす思想は、国民国家にとって好都合だった。
・国民国家の弱体化と並行する文化資本の格差。西欧中心主義への批判と、バックラッシュとしての人種への回帰への警戒。
3 友常勉氏:日本に特殊化された歴史研究が避けられる傾向にある中で、日本の文脈独自のニュアンスを持つ語をいかに訳するか。
4 宇野田尚哉氏:大阪大学における「日本学」の動き。
・80年代に日本研究の高揚の波があり、90年代以降日本の経済的凋落とともに退潮。2010年代に再び波がある。前者は世界から日本への関心が高くなった売り手市場の波、後者はどうにかプレゼンスを上げたい日本側からの買い手市場の波。
・ガラパゴス化とジャパン・パッシング化。日本で作られた研究成果が日本語の壁ゆえに世界的に参照されにくい。それゆえ研究の世界における日本の存在感低下。今後国内におけるアカデミア市場が縮小する中で、若い研究者は海外に目を向ける必要。
5 鐘以江氏:アメリカの大学の「神道」のシラバスと、日本の大学の「日本思想史」のシラバスを比較し、日本に対する相対的な視線の欠如を指摘。経済発展に直結しない批判的思考の養成がおざなりにされてきたとする。
6 牛村圭氏:実際に北米で日本研究をした経験等。本来スペシャリストである人物が、教育の場では日本のことならなんでも扱うジェネラリストたらざるを得ない現状とそれによる課題。
7 鼎談:日本研究について考える際、中国や韓国の影響を無視できないという指摘。韓国の人文学には、植民地時代に移入された日本の制度の影響が色濃く残る。
8 総合討論:
・欧米との関係では非植民地国である日本が、東アジアとの関係では宗主国として振舞う構図。
・国民社会は共感の社会、別の国民の存在を前提とする。
・従来日本の人文学において、理論は西洋のものであると信じられてきた。いまやアジアで研究している日本研究者も、知識の生産制度自体に踏み込むことが求められる。
9 ジェームズ・E・ケテラー:日本研究の変遷。ミッシングリンク、語られなかった歴史=歴史認識。1960年以降に行われた近代日本会議。
あとがき:日本研究に「国際」をつけることには賛否があるものの、地域研究は国民主義や植民地主義と密接に関わるものとして、あえて矛盾を可視化する意義がある。
国際化=英語と思ってしまうが、それだけでなく、自分の視座を相対化し、文脈を共有しない相手に説明する能力が必要とされる。どうやっても生の政治と離れて存在することはできないので、自覚的でなければならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示