- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784776210054
作品紹介・あらすじ
3千人以上を看取ってきた
医師が見つけた
本当に後悔のない人生をおくり
ずっと幸せに生きるための心得とは――。
病いや不幸を得たり、
大切な人を亡くしたりしたとき、
多くの人は「幸せ」とは何かと悩みます。
ですが、たった7つのことに気がつけば、
幸福に生き、穏やかな最期を迎えられる。
私はそう患者さんから学びました。
それまでどれほど後悔の多い人生を送ってきたとしても
重い病気を抱え、「なぜ自分だけが」と
言いようのない苦しみを抱えているとしても。
人は、どんな状況からでも
人生をやり直せ、新しい一歩を踏み出せるのだと彼らが教えてくれたのです。
死に直面してですら、幸せだと思える人たちに
共通する7つのこと。
この世を去って行った患者さん、
一人ひとりが教えてくれた
「幸福な人生の過ごし方」をきっかけに
みなさんが今日から少しでも幸せを手にしていただければ
望外の喜びです。
感想・レビュー・書評
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全く考えが及ばないような内容ではないけれど、改めて文章化されてそれを読むことできちんと考える時間を持てる。
できれば88歳の義父に読んでほしいけれど、遅いかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歳を重ねと体感することが色々と見えて来るのが楽しい!本当に幸福感を日々感じることが大事なんだだと思う。
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死を目の前にした患者と関わるホスピス医の言葉は重いなあ
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素晴らしい本だった。共感すること、学ぶことが、沢山あった。
読み直すための赤線だらけになった。
私は、真面目に120歳以上健康に生きるつもりでいる。しかし、「いつ死んでもいい」とも思っている。それは今が幸せだからだ。
お陰様で「怖いくらいに幸せな毎日を過ごさせてもらっている。」だからこそ歌贈り人等の活動をするようになった。心から人の幸せを願ってる生きている。自分のできる範囲で少しづつやっている。毎日悔いなく生きている。だからこそ「いつ死んでもいい」と思えるのだろう。なんて幸せなんだろうと思う。
この本を読んで、私の生き方は間違っていないと思えたし、参考になることを沢山学ばせてもらうことができた。
読んで本当に良かった。 -
さっと読むことができる本ですが,時々,読みながらぐっときました。
この本を読む前から,色々な人の人生を見たり聞いたりして,家族がいてもいなくても,人は死ぬときは原則一人なのではないかと考えていました。
その考えは変わりませんが,死ぬときは,周囲の人に感謝しながらそのときを迎えられるよう,家族や友人は大切にしたいという思いに駆られました。
あのときこうしていたら,とか,結局できないままだったなとか,人生は思い通りになることばかりではありません。
そうだとしても,全ては自分の心のありよう次第,死ぬとき,どれだけ心穏やかに,自分の人生に感謝しながら,死を迎えることができるか,これからの人生はそのことを意識しながら,過ごしていきたいと思いました。 -
巷にあふれる自己啓発本よりも、いかに人生を生きていけばいいのか感銘をうけた。
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参考になった。
前向きになるということか。
家族を心から愛す。感謝する。
一期一会を大事にする。 -
自分を受け入れ、大切にする。わかっているようで、なかなか難しい時も多い。一番わからないのが自分の感情、心。今年は、とりわけ自然災害の多い年でした。家族の命の大切さを感じた人は、多かったのではないでしょうか。
自分がこの世界を去るとき、どんな思いが駆け巡るのだろうと、思った瞬間の多い1年だったように思います。これから始まる多死時代、そんな瞬間が身近にある時代になるのでしょう。多くの御高齢の方の日々を見ていると、子ども達や若者に寄せる眼差しに、希望を見ているような輝きを見ることがあると思うのは、私だけでしょうか。 -
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小澤竹俊
1963年東京生まれ。87年東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。91年山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。救命救急センター、農村医療に従事した後、94年より横浜甦生病院ホスピス病棟に備め、病棟長となる。2006年めぐみ在宅クリニックを開院。これまでに3000人以上の患者さんを看取ってきた。医療者や介護士の人材育成のために、2015年に一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立。著書『今日が人生最後の日だと思っていきなさい』は25万部のベストセラーとなる
そのような気持ちに襲われたときは、ぜひ自然に目を向けてみてください。 山や海へ出かけ、環境をがらりと変えるのもいいですし、それができないときは、身のまわりの自然を、一日のうち、ほんの数分眺めるだけでもかまいません。 自然はきっと、たくさんのことを教えてくれるはずです。
ところが、「もうすぐ自分は、この世を去るのだ」という思いを抱きながら、通い慣れた道を歩いているとき、彼は今まで一度も心に留めたことのない、あるものに気づいたのです。 それは、道端に咲く小さな花でした。 アスファルトのわずかな隙間から顔を出し、けなげに咲いている花を見て、彼は「なんて美しいんだろう」と思わずにはいられなかったといいます。 名もない小さな花でも、ただそこに存在しているだけで、十分に美しく、 尊く、人に安らぎを与えてくれる。 そのことに、彼は生まれて初めて気づいたのです。 それ以来、彼には空の青さ、太陽の輝き、木々の緑の鮮やかさ、頬をなでる風の気持ちよさなど、すべてのものが愛しく感じられるようになったそうです。
笑顔をなくし、しばらくふさぎ込んでいた彼女に変化が訪れたのは、登山好きな友人のおかげでした。 友人に無理やり家から引きずり出され、東京近郊の山に登った彼女は、頂上から見た景色の美しさに、しばらく涙が止まらなかったそうです。 そして、今までそんなことを考えたこともなかったのに、ふと「自分たちは大自然に生かされ、大自然に帰っていくのだ」「大自然は、自分という存在を丸ごと受け入れてくれるのだ」と思い、「病気」という苦しみと、きちんと向き合う覚悟が生まれたといいます。 特に都会で生活していると、私たちはつい「自然の中で、自然と共に生き、自然によって生かされていること」を忘れてしまいがちです。
ちなみに、私が「自分はこのために生まれてきたのかもしれない」と初めて強く思ったのは、医師を志すようになった高校生のときでした。 当時の私は、とても医学部に入れるような成績ではありませんでした。 高校三年生になって受けた模擬試験の結果にはことごとく「合格の可能性5%未満」「志望校変更が望ましい」と書かれていたのです。 どうしても医師の仕事がしたくて必死に勉強したものの、なかなか成績がついてこず、心が折れそうになったことも何度もありました。 そんなとき、私を支えてくれたのは、山口百恵さんが歌う『いい日旅立ち』の歌詞でした。 何の資格もない、医学部に入れるかどうかさえわからない高校生だった私ですが、心の中で「日本のどこかで、医師になる私を待っている誰かがきっといる」と信じていたのです。 そんな「誰か」のために、私は勉強を続け、神様に祈りました。 「どうか私に、医師としての道を与えてください。もし、その道を与えていただければ、私は必ず、苦しむ人のために人生を 捧げます」と。 思いが神様に届いたのか、私は奇跡的に 慈恵 医大に入学することができ、緩和ケアの現場で働くようになり、めぐみ在宅クリニックを開設して 10 年以上の月日がたちました。
そのような人生を歩んできた人が、病気や怪我をしたり、大きな苦しみや挫折を味わったりしたとき、初めて人の優しさ、ありがたさを知り、自分がやるべきことは「ただお金を稼ぐこと」「欲望を満たすこと」ではないのだと気づいたり、「自分は多くの人に支えられて生きていたのだ」と気づいたりすることがあります。 そこで「これからは、もっと家族を大事にしたい」「人の役に立つことをしたい」「自分の人生を、もっと価値あるものにしたい」といった新たな希望や目標を持つことができれば、何歳であろうと、どんなタイミングであろうと、人生は大きく変わり、本当の意味での幸せを感じられるようになります。
私は人生において、「不幸でしかない出来事」というのは、そう多くないと思っています。