- Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
- / ISBN・EAN: 9784777150380
感想・レビュー・書評
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近所の住人が凶悪犯として捕まったらどうだろう?
有罪となるもじつは冤罪で刑務所から戻ってくる。
はたして私は何事もなかったかのように涼しい顔で
それからの日常を何事もなく割り切れるだろうか?
冤罪は誰にでも起こり得ること。
濡れ衣を着せられる側としても、
濡れ衣を〝着せる〟側としても。
日本の裁判員制度は2009年5月21日に始まり、選ばれる確率は0.01%程度。基本的に辞退できない。
対象は〝重大〟事件。有罪か無罪か、有罪ならどんな刑にするかを検討し、決定する。死刑も、ある。
「間違えました」では到底済まされない、
とてもとても深い傷が多方面に残されて、
それがいつまでも消えることなく、残る。
ジョン・グリシャム、
最初で最後のノンフィクション。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フィクション作家のジョン・グリシャムが新聞の記事を気づいて是非ノンフィクションとして作品にしたいと思った事件。えん罪が作られる構造とそれが正されない構造、そしてでもえん罪として正しく審理が必要と声をあげる人の存在が描かれている。
意図的かもしれないが、えん罪として疑われてしまうかもしれないふるまいについても延々と述べられている。夢ばかり追いかけて現実を受け入れず、酒と薬におぼれているロン・ウィリアムについてはよいように描かれているポイントは全くない。また全面的に支え続けるのが家族であれば、なんとなく中途半端な扱いになってしまうのもまた家族である。
しかし、酷いのは検察であり、裁判所であり、弁護士である。これは一部なのかもしれないが、大多数なのかもしれない。一度疑いがもたれてしまったら疑い先行で証拠あるいは権力をもっている力に逆らう、あるいは真実を認めさせる、あるいは誤りを認めさせるのは本当に難しい。敢えてその手法で記載されているのかもしれないが、ここまで杜撰であるにもかかわらずここに至ってしまうのは、単なる問題として片づけることのできない人間の闇をみてしまったようだ。
翻って日本はどうか?警察の正義とえん罪の恐怖をどのように見極めていくか、あるいは世論、裁判員としてどのように向き合っていくのか?これは作品の世界の話にはとどまらない私たちがまさに直面している世界なのだ。 -
読了。心からロン・ウィリアムスとデニス・フリッツの両名が無実となりよかったと思う。しかしロンの肝硬変による死はなんと劇的なのだろう。彼にとって死は最後の安らぎだったのだろうか。それにつけても彼らのために戦った法律家の勇気と精神に賛辞を送りたい。
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アメリカで実際に起こった殺人事件を書いた本。
警察のずさんな捜査で無実の人間が10数年も牢で過ごすという恐ろしい事体に・・・
無実の彼が歩んだ栄光だった日々、転がり落ちた日々、精神を病んだ日々、無罪を勝ち取るまでの日々を綴った上下本。
結末が気になり下は一気読みだった。
無実が証明され無罪にに翻った判決後の警察の態度も相当ひどいもんだと思った。
現実にこのような問題は多々あるらしい・・・ -
ストーリー形式ではないので、読むのがしんどい。
元祖足利事件である。 -
出版社 / 著者からの内容紹介
リーガル・サスペンスの巨匠ジョン・グリシャムが、 全米を震撼させた冤罪事件に挑んだ初のノンフィクション作品。
ニューヨーク・タイムズ、NO.1ベストセラー! 1982年、オクラホマの小さな町で起きたレイプ殺人事件と不公正な捜査の全容を描く。
あらすじ
1982年、オクラホマの小さな町で21歳のウェイトレスが強姦され殺された。警察の捜査は行き詰まったかに見えたが、事件から5年後、地元に住む元野球選手とその友人が唐突に逮捕された。物的証拠は皆無、しかし警察がでっち上げた証人と、お粗末な科学捜査により、ロンは死刑判決を下される。12年にもわたる過酷な刑務所暮らしが始まった。刻一刻と迫りくる死刑執行の期日。徐々に彼は精神を蝕まれていったが、そこにDNA鑑定という一筋の光明が差し込む……。
内容(「BOOK」データベースより)
1982年、オクラホマの小さな町で21歳のウェイトレスが何者かに強姦され殺された。警察の捜査は行き詰まったかに見えたが、事件から5年後、地元に住む元野球選手とその友人が唐突に逮捕された。物的証拠は皆無、全米を震撼させた冤罪事件のはじまりだった…。リーガル・サスペンスの巨匠が挑んだ初のノンフィクション作品。
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「オクラホマの片田舎で起こった殺人事件で、捜査官の決めつけ捜査により逮捕され、自白を強要された主人公が死刑判決を受けるまでの前半部分と、刑務所内で精神異常をきたしながら、死刑執行直前に再審が決定し、DNA調査により無実であることが判明、釈放されるという後半部分から構成される」「DNA鑑定の結果、彼の無実は証明され、長きに渡る刑務所生活も、終わりを告げる。しかし町の人間の中には、未だに彼が殺したと信じるものもおり、彼の、徹底的に壊された生活と精神は、二度と戻ることはないまま、長年に渡る薬とアルコールと精神的ダメージにより、病没する」というもの。
えん罪事件というのは、本当におそろしい。アメリカの話とわりきれるものではない。 -
イノセント・プロジェクトなる組織がつくられるほど、アメリカでの冤罪って多いの? じゃあ日本は? 日本は大丈夫だろうか? 世の中には、ほんっとに運の悪いひとがいるものだ。一番可哀想なのは勿論、殺されちゃった女の人だけれど、自分の犯していない罪で裁かれてしまったひとたちの苦しみは想像を絶する。警察と検察と裁判所の関係者の方々には、こういうものを読んで襟を正してもらいたい。
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グリシャムによる最初で最後のノンフィクションらしい。最後の、というのは、グリシャム自信がこれからはフィクションしか書かないとあとがきで書いているからだ。
グリシャムがノンフィクションを書こうと思い立ったきっかけは、ある犯罪裁判のニュースに触れたことがきっかけである。何が作家をして膨大な調査作業に駆り立てたのかわからない。彼は、数時間のうちに主だった関係者に連絡を取り、その後、関係する場所に飛び、多くの事件関係者にインタビューを試みる。とにかく小説とは違った種類の労力を惜しげもなく駆使して、彼は一本のノンフィクション大作に仕上げた。そして、これがベストセラーになってゆくことに驚く。
冤罪で死刑を宣告された1980年代オクラホマ州のある青年の物語だ。ヤンキースの元投手であったロンは、野球に挫折し、オクラホマに帰郷、その後、酒と薬に溺れ、身を持ち崩して精神を病んでゆく。粗暴で、奇行を繰り返し、地元でも知らない者はない問題児であった。その彼が、近隣の若い女性をレイプして殺害した容疑者として、一気に真犯人に仕立て上げられてゆく恐怖こそが、この小説のモチーフである。
冤罪に至る経緯は、それ自体まるで世界へのスクープそのものだ。一方で、死刑制度を改めて照射してみせたこの本は、著者の『処刑室』(映画化されたときは「ザ・チェンバー」と原題のままだったか)を思い出させる。
アメリカの死刑に関しては、印象的な本や映画がある。『無実』を読み進めているとうちにそれらの本の記憶がどんどん甦ってきて、ぼくの頭の中で、互いに関連性を帯びてくる。それほど、死刑、冤罪という二つの不条理は、深く考えさせられる人間的不条理なテーマとして心を悩ませるものがある。
ノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』は世界で最も有名な死刑囚となったゲイリー・ギルモアの実録だが、それ以上に印象的だったのが、実弟マイケル・ギルモアが兄の障害を綴った『心臓を貫かれて』(村上春樹訳)である。犯罪に引き込まれてゆく一人の人間の破滅と、これを裁き処刑してゆく社会のシステムが、モルモン教の王国であるユタ州を背景にして陰影が濃い。『無実』のロンも、また幼い頃から教会で祈りを捧げゴスペルを唱和する敬虔なクリスチャンであったことを考えると、アメリカにとっての神と罪の問題は、とても重たい。
死刑に関連する小説で、有名なところは、スティーヴン・キングのファンタジック・ノヴェル『グリーンマイル』だろう。ある意味古臭い電気椅子処刑の時代のものなので、よけいに処刑シーンが生々しく、神や天啓といったものを超えて、癒しといったところにまで人間の生を導いてゆこうとするキングらしい小説だ。
処刑シーンそのものということで言えば、ぼくは、ショーン・ペンとスーザン・サランドンが記憶に焼きつくような素晴らしい演技を見せてくれたあの映画『デッドマン・ウォーキング』が、忘れられない。現代アメリカの処刑室のシーンはこれに近いものなのじゃないかと思う。静脈注射にシリンジのプランジャーを押し込んでゆくだけで、一分前に生きていた人間が、唐突に死んでしまうシーンは、生々しく、強烈で、『無実』を読んでいる間も、あのときの映像が、死んでゆくショーン・ペンの眼差しが、祈りを捧げるスーザン・サランドンのシスターの敬虔な表情が、幾度となく映像として甦ってくる。
さらに遡ると、冤罪の小説としては、二十歳の頃に読んだバーナード・マラマッドの『修理屋』が、やはり忘れられない。スターリンがシベリアに送った流刑者を思わせる恐怖に満ちたものだった(ソ連や赤軍がまだまだ怖かった時代だった)。
日本の小説としては加賀乙彦、生涯の傑作である『宣告』と、死刑囚監房勤務時代の記録を綴ったノンフィクション『死刑囚の記録』が忘れ得ぬ罪と罰のコントラストをぼくの心に刻んで残した。未だに人生のマイ・ベスト・ノベルは『宣告』であると、躊躇いなしに言えるほどである。
とにかくそうした多くの記憶が甦り、ふたたび人間の罪と罰という場所に連れ戻されるような気分になるのが、この『無実』という本であった。裁判員制度が、現在もニュースでかまびすしいが、ぼくの中では、人を裁くということ、また犯罪の真実というものは、一筋縄では行かない最も困難で理解を阻むものごとの一つなのである。
だからこそ、この本は余計に重たい。読めば読むほどずしりとこたえてしまう。しかし、最後の最後のシーンまで、そしてグリシャムのあとがきも、白石朗氏の訳者による解説まで含めて、魂が震え出すほどに感動的な実話である。全米ベストセラーにとどまらず世界に流出し、何かを変える力を持ってゆく本であろう。
かつて『ミッドナイト・エクスプレス』という映画がトルコとアメリカとの犯罪人身柄引渡条約の締結に一役を買ったように、この本もまだ刑務所に残るウォードとフォン手ノットの運命を救うきっかけになってくれればいいのだが。(関心のある方はこちら→http://www.wardandfontenot.com)